ながさき『にこり』に移住サポート拠点として紹介していただきました。

文・写真・編集

あたらしい、ナガサキ移住のカタチ。
東彼杵町の移住サポート拠点「Sorrisoriso千綿第三瀬戸米倉庫」発信元は人と人のつながり。

このページのトップで紹介されているちわたやさんの移住エピソードも掲載されてます。今ではちわたやの前野ご夫妻の魅力的な自家製酵母パンのファンがたくさんいらっしゃって売り切れ続出のパン屋さんです。記事にもお二人がおっしゃっているように家族で過ごす時間を確保するために自分たちの暮らしにベストな働き方を模索され今の「もの」を大事にするスタンスで取り組まれています。そんなちわたやさんが移住の際ももちろんたくさんの方がオープンまでの間やオープン当初、お手伝いいただきました。解体や店舗施工やオープン当初の商品開発に至るまで。その時ももちろんお手伝いに来た方々が発信してくださったことこそが、この町の発信力だと思います。

移住・開業される際にサポートさせていただいた「ちわたや」さんの特集ページもご覧になれます。ながさきにこり No48

若き3代目の経営危機へ地域の力が大きく動いたとき

2017年7月に 発生した九州北部豪雨で、東彼杵町で味噌の製造・販売をする大渡商店の杷木支店が倒壊しまし た。もともと苦しかった経営に追い打ちをかける緊急事態に、大渡商店の3代目から相談を受けました。この状況をSNS等で拡散したところ、共に活動してきたメンバーがすぐに反応し、行き場を失った4トンの味噌を販売する手助けをしてくださいました。

大渡商店の3代目がちわたやさんの改修に来ていたこともあり次は私たちの恩返しをと発信してくださったことも大きな発信力になりました。

2日間で2トン(1,400件) 分の発注があり、なんとか経営の危機を乗り越えることができたのです。 同じ年の11月、大渡商店の2代目である父が病で逝去し、彼は28歳にして後継者となったわけですが、辛い思いを経験をしながらもお店を、そして自分自身を立て直すことができたのは、 メンバーの温かいサポートがあったからに他なりません。

地域の力がこんなにも大きいということを改めて感じ、少しずつ築き上げてきたチームワークがこの奇跡を起こしたのだと思います。 これからの時代、人口減少は否めませんが、1人1人が支え合うことで大きな力になる、そして、大きな発信力になり、強い地域になるということを、地方で暮らす価値として提唱し続けていきたいと思っております。

IターンやJターンももちろんですが、Uターン者や地元の方々の活躍できる町でもありたい

最近は他地域でも町づくり関連の仕事に関わらせてもらうことが増えてきました。東彼杵町も そうですが、Uターン者もしくは地元の方が中心となった活動が少ないと感じています。私は、 中心メンバーには地元の若者が多くいることが必要だと思います。そういう町には絶対的な強さがあります。もちろん、町に魅力を感じて移住してくれるIターン者は重要な存在です。だから、 まずはIターンJターン者の活躍する場をサポートすることが大切で、Uターン者もしくは地元の方には移住者の方に興味を持ってもらうこと。Iターン者によって自分たちの町を気づくきっかけとなり、地元の方は刺激を受けて、Uターン者も自然と戻ってくるはずです。現在、東彼杵町では孫ターンも増えているのは嬉しい限りです。

東彼杵町をおもしろくする鍵は自営業者に!?

今後もマーケット育成を実施し、東彼杵町で心豊かに暮らせるイメージを後輩たちに伝えてい き、いつか町から出たとしてもまた戻ってきたい、いつでも戻ってこられると思える町にすることが私たちのミッションです。 私はUターンですので、自分の体験を広く伝える必要性を強く感じております。戻ってきて私が気づいたことは、自営業者が少ないことです。町のことを考える上で自営業者は欠かせません。 例えば、町の課題は自分たちの経営にダイレクトに影響するため、常に自分ごとと捉えて考えるようになるからです。だから私は町づくりのカギとなる自営業者が増えてマーケットを育むことができれば、そこに雇用も生まれ、雇用主となった自営業者は町づくり活動などにもっと参加しやすくなるのではないかと思います。

「つたえる県ながさき」でも私たちの写真を掲載いただいております。

掲載いただいた写真は千綿駅の90周年の際、大学生のみなさんと活動した時の写真です。この町で生まれ育った人、移住してきた人、帰ってきた人、関係人口として関わってくださっている人、そんな方々が写っている写真です。

長崎県広報課、地域づくり推進課のみなさんありがとうございました。