稚魚の母。島原種苗「 河原 邦昌さん 」

取材

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初めて河原さんに会った時は凄く高身長な方と言う印象だが、腰が低くとても気さくな河原さん。そんな河原さんは大阪府茨木市で男三兄弟の長男として生まれ、18歳まで茨木市で過ごす。なぜ水産関係を志たのかと聞くと、子どもの頃家族旅行で行った先の海に凄く癒された経験がありその経験からインスピレーションを受けて、海に関する仕事がしたいと思うようになったそうだ。

河原:水産業界や養殖業界に進む人の中には、釣りが好きな人もいましたがどちらかというと私は、食べる方が好きでした。大学での授業3分の1、部活3分の1、寮生活3分の1、就職に関しては何かこれっと言って浮かばずでした。

学びながらも現状に疑問を持ちながら大学時代を過ごした河原さん。海洋系の仕事や食に関わる仕事に興味を持ちつつも具体的な方向性はまだ見えず公務員にも興味を待っていたとのことだが結局は違う道を選択した。就職の時期はバブルが弾けた直後であったこともあり大学院への進学を決めた。

河原:大学院には2年間在籍していました。私が在籍していた頃、今では時効でしょうから言いますが、おつまみ用に収集していたサザエを先生に見つかってしまって、その時に、その研究をしなさいと先生に言われ「サザエの呼吸」について研究に励みました。学ぶ楽しさを初めて感じれた時代でした。その時の学ぶ楽しさの感覚が今でも生きていて基本的に新しいことにチャレンジする楽しさに繋がっていますね〜。しかし、就職活動には悩み続けました。一年くらいしたある日、大学の教授に「まず社会に出て働きたいので紹介してもらうところがありませんか?」と相談したところ、株式会社福岡魚市場を紹介していただ来ました。

福岡魚市場では、魚の水揚げの集荷市場としての機能、水産物の質、量には圧倒されるものがあったと語る。なかなか関西弁が抜けず悪気なく発した言葉で先輩と言い争いになることもあったそうだ。

河原:元々何かにハマるタイプではないが、あるトピックに、徐々にハマる経験があって最初はそれほど興味深く感じなかったのですが、次第にその面白さに気づきました仕事についても最初は面白く感じなかったものが徐々に魅力を感じるようになりました。特に相手にとってメリットがある時や、相手の為になるときに、その楽しさが分かります。何ができるかを考える事や、役に立つことを探ることが興味深いと感じました。例えば中島みゆきさんは表面ではなくその奥の部分を表現しようとするスタイルが面白いと感じました。中島みゆきさんの曲には一見意味が分からないものもありますが、人によっては特別な意味があることもあります。特に「誕生」と言う曲が好きですね〜。

魚市場に勤めながら、徐々に生産者により近い立場として仕事をして役に立ちたいという思いが強くなってきたそうだ。そんな中、友人からの紹介で養殖関係の会社を紹介され、転職を決めた。そこの会社での仕事に対する厳しさや責任を学ばせていただいたそうだ。その後新規事業としてトラフグ陸上養殖が始まった際に担当者となり魚を飼育する楽しさ、やりがいを感じたと話す。

河原:毎日魚の観察をしていて、なんでこの子は餌を食べないのかなとか、なんでこの子は餌を沢山食べるのかなとか。魚飼うのって面白いなって思いましたね〜。

その後、今の種苗生産業を引き継ぎ独立することとなる。事業承継してくださったご夫婦には後継者がおらず、河原さんへ後継をお願いした。取材をしていく中でも河原さんの生き物に対する思いや、お人柄からとても納得がいく。

河原:状況としては運転資金もまた経営者としてのノウハウもなく、やめた方がいいって意見が99パーセントでした。そんな中1人だけ変わった事を言う友人がいました。福岡時代に同じ英会話教室で学んでいた友人で税理士事務所に勤めていた女性です。税理士事務所に勤めてる立場としての彼女の考えは不意を打たれた思いでしたね〜彼女はこう言いました。「チャンスってそんなにたくさん無いんじゃない、リスクもあるけど今が人生いちどあるかないかのチャンスじゃないの」と。チャレンジしないの?と進言してくれました。彼女と話すうちに自分の人生のチャンスであることを実感しました。

悩み抜いて今の島原種苗を継ぐこととなった河原さん。最初は苦労して上手く育たないこともあったそうだ。河原さんは失敗した原因を一つずつ解決し、また新たな方法を試すこと、民間の同業者が手をつけていなかった放流種苗の業務にも挑戦しそこで新たな出会いもあり事業も徐々に安定してきて会社の危機を乗り越えたと話す。同業者がしない一手間を加えた稚魚を出荷すると、取引先からも好評を得て事業が拡大していったそうだ。プライベートの方でも結婚をして、奥様の趣味であった劇団四季に河原さんも興味を持つようになった。

河原:初めて観た劇団四季は「ライオンキング」で、そのオープニングシーンに感動しました。観客席から登場するキャラクターたちに驚きその感動は忘れられないものでした。今でも初めて観たライオンキングのキーホルダーを大切にしていてお守りの様にしています。この経験が価値観に大きな影響を与え「サークル・オブ・ライフ」の思考を大切にするようになりました。

「サークル・オブ・ライフ」は、命のつながりや循環を表しており、このことを意識すると私たちは地球、何億年という時間、命あるもの全てを尊重し、感謝しながらより良い未来を築いていくべきだと語った。今回の取材で色々な失敗や困難を乗り越え前向きに、そして感謝の気持ちを忘れることなく取り組んでこられたからこそ、今の河原さんや島原種苗があるのだと感じた。また河原さんが話す言葉の節々に生き物に対する愛情や環境に対しての思いを感じることができる。まさに母の様な大きな愛を持った方だ。ここからさらに新しい取り組みも生まれようとしていて、今後の河原さんの活躍から目が離せない。