東彼杵町に長崎県で最も歴史の古いセブンイレブンが営業しているのをどれくらいの人が知っているだろうか。千綿にある八反田郷店。森商店代表、森一峻さんの父が始めた、長崎初のセブンイレブンだ。
森さんが経営する3店舗のコンビニ総括マネージャー兼専務が今回のインタビュアー、中島幸一さん。彼が今まで歩んできた軌跡、なぜコンビニなのか、地元に対する思いなど地域活性化の面から深堀していく。
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試行錯誤を重ねた半生
「親友」の存在
東彼杵町で生まれ育ち、現在は川棚町で奥さんと子供と暮らしている。
一度は就職で県外に出たが、地元が恋しくなり帰郷。帰ってきてからは東芝セラミックスの工場に勤務しながら奥さんとの結婚も話が進み、順調な日々を過ごしていた。
しかし、2008年のリーマンショックで失業してしまう。そんな時、幼少期からの幼馴染である森一峻代表に声をかけてもらい、コンビニ事業に関わり始め、現在に至る。家族を養う責任感、失業の焦りの境地を、親友からの誘いによって抜け出すことができた。
これまでの人生を振り返り、中島さんはこう語る。
中島「自分はほんとに天然で、経営者とかは向いてないんです。幼いころからずっと森の背中を追ってきた感じです」
森さんとは幼馴染で小・中・高校と同じ学校で青春を送った。学生時代から森さんはカリスマ性、独創性にあふれており、中島さんにとっては憧れの存在だったそう。
中島「私自身は、少し天然な性格で忘れ事もしばしば、、、(笑)」
互いに無いものを持つ二人だからこそ深い関係値が築けている。
つながりが新しいものを生み出す
中島「同じ目標をもってできる仲間がどれだけいるかがその人の人生を大きく変えていくんじゃないかな」
しきりに「仲間」という言葉が中島さんの口から漏れる。中島さん自身、一緒に働く仲間の存在は、今の事業を続けられている大きな要因と感じている。小さいことでも相談できる、語り合える、そういう仲間の存在は確かに貴重だ。そういった仲間は友達以上の価値があるからだ。
一人で考え事をしてもそれがいいものかダメなものなのか結論が出ないし、周りの人にも自分の意見が一向に伝わらない。なんでも口に出してみることが自分自身が一歩ずつ前に進むカギになる。
中島「やっぱ自分でそうしたいと言うべきやね。言っていったらどこかでそういうことしたいっていう人とどっかで会うけん、伝わっていくと思うよ。だから、人に話すことによって伝わるし、その人はそう思ってなくても、その友達が『あいつそう言えばそういうこと言ってたよ』って繋げてくれたり、もともと友達っていう信頼関係あるじゃないですか。いくら自分の頭の中で考えても伝わらないじゃないですか。頭の中もわかんないし、やっぱ言わないとわかんないんで」
「ひとを売る」で東彼杵を変える
中島さんはコンビニの店長としても業務を行っており、運営や集客の方法を日々考えている。始まった当初は思うようにいかないことばかりだった。
中島「コンビニっていうのはどうしても人口に左右されるから、人口が少ない千綿ではこのままだと本当にまずいっていうくらい何十年も売り上げがグーっと下がっていった」
もとより東彼杵町の人口が減少傾向にあり、売り上げも比例して減少していき、経営面で厳しい状態が続いていた。何か他のコンビニと差別化をして、売上を上げるにしても新商品の作成などコストがかかるものはできない。
そこで取り組んだのが「ひとを売る」事業だった。
中島「セブンイレブンは全国どこにでもあり、同じ商品をどこでも購入することが可能で、唯一差別化できるのが働いてる従業員さんの”ひと”の部分でした。じゃあ人を売っていこうっていうのでコンビニでもずっと森と一緒に”ひと”を売る取り組みをやっていました。『この商品がおいしいよ』じゃなくて、『この人がおすすめする商品がおいしいよ』とか。”ひと”をピックアップしてどんどん展開していきました」
“ひと”を売ることによってその”ひと”を伝ってまた別の”ひと”にその商品のことが伝わる。人と人のつながりで大きな集客を起こすことが出来た。実際に集客の面で成功の形として「おでん甲子園」というイベントがあるという。
中島「セブンイレブンのおでんが、1個70円になるセールがあったんですよ。これを機に、『みんなにセブンイレブンのおでんを知ってもらおう』、『おいしいおでんを知ってもらおう』っていうので、めちゃくちゃ予約を取りまくったんですよ。予約というのは、『従業員さんも含めておでん70円なんで食べませんか?』『この日がセールになるので一度食べてみませんか?』とお客さんに受注予約を取ることで長崎県で売り上げ売り上げ一番を達成しました」
このイベント(計4日間)で販売したおでんの総数は約1万個に上った。コンビニの従業員が中心となって身近な人や信頼できるひとたちに宣伝活動を行った。コンビニという店の特質上、主に地元の人に認知してもらえるようにFacebookで”ひと”と商品の写真をアップしての広報活動がメインだった。
そうしてお店は賑わい、店外から見ても「あそこのコンビニ何かやっているぞ」というイメージが完成し、そこからまた集客が発生する。収益としては人件費などで±0になることがしばしばだったが、知名度アップの成果なのか売り上げは上昇傾向に転じた。人と人がつながることで小さな町を動かすことさえできてしまったのだ。
見えていなかった「魅力」と作っていく「魅力」
帰ってきて変わった地元
中島さんが十代のころは、東彼杵町には魅力的な目を引くものがほとんどなかった。特に中島さんたちが暮らしていた千綿地区は佐世保市と大村市の間に位置しており、高校時代も周りの友達からは「通ったことある!」という反応ばかりで、どんな場所なのかは知られていなかった。
中島「千綿って言われても、本当に観光の場所が何もなかったのが、自分たちが10代の時。だから自分も県外に出たかったし、もっと面白いことやりたいなとか都会に行きたいなっていうのはすごい憧れていました」
地元に帰ってきて、その景色は昔とは一変する。おしゃれな建物やカフェなど新しいものが増え、加えて自分たちが今まで当たり前に見てきたものが東彼杵町を知らない人にとっては魅力的に見えているということにも気付いた。
「千綿駅」もその一つ。ホームの中から見える景色は一面の海が広がっており、若者の間ではインスタ映えスポットとして人気になっている。
新しいつながりが生む魅力
中島「もっと”ひと”にフォーカスを当てて人と人が交流できるような繋がりができれば、長崎県全部が盛り上がっていくし、可能性がめちゃくちゃあるなと思っていて」
コンビニに営業において”ひと”にフォーカスを当ててつながりを作ることで収益アップにつながった。この経験が中島さんのターニングポイントとなる。人と人がつながることで新しい情報、ものが作ることができる。逆に一人でものごとを進めるにはどうしても限界がある。
中島「私自身も現在の事業にたどり着くまでに多くの人に支えられてきました。くじらの髭の活動を通して、自分たちのような活動をしている人がいろんな人に知ってもらえるように、その人たちにフォーカスを当てて様々な形で発信していく。そしてその人たちに会いたいと思える人とつながるきっかけになればいいですよね」
つながりを作っていく上で現状の課題も解決していく必要がある。というのも、中島さんたちが活動を行っているSorrisorisoやuminoわ、その他東彼杵の交流拠点として活動している場所では地元の人と町外の人をつなぐパイプがまだ完成していないのだ。
例えば、=VOTE(※)は、地元の人が使うコンテンツを取り入れて、そこに町外の人が魅力を感じるものをマッチングさせ、つながりを生むというのがコンセプトのため、地元の方の協力が重要になる。
人を集めることが難しい東彼杵町において、いかに人と人との強いつながりを活かして、その魅力を多くの人に伝えることができるか。小さな町に眠る町おこしのカギはすぐそこに埋まっているのかもしれない。
※=VOTE(イコールボート)は福祉施設から生まれるアート・ものづくりの技術と、地域企業の悩みである「廃材の活用」を組み合わせてサステナブルな商品を生み出している。VOTEは「投票、賛同」という意味を持ち、サステナブルな活動への賛同という意味で商品を購入し、商品開発に携わってもらうことを目的としている。店舗はコインランドリーを改装して作られた。
中島さんについて、こちらの記事も是非ご覧下さい。