中島幸一さんは、株式会社森商店が経営する3店舗のコンビニ総括マネージャー兼専務取締役であり、コンビニ事業やその他業務全般の経営やマネジメントを行っている。おしとやかでゆったりした雰囲気を醸し出す中島さんにこれまでの経歴について伺った。
彼が森商店へ入社するきっかけとなったのは、ある”友人”の影響が大きかったという。これまでの中島さんの道のりを少しずつひも解いていきたい。
人生を変えた2008年
長崎県東彼杵町出身の中島さん。高校は佐世保にある佐世保東翔高校へ進学し、高校卒業後は福岡に本社を置くアリアケジャパンへ就職。約2年間、勤務地の愛知県で過ごすも地元である長崎を恋しく思い、帰郷する。帰郷後は東芝セラミックスという工場で勤務をすることになった。
当時を振り返って中島さんは「仕事は、あまり楽しいものではなかった」と語る。
中島「理由としては、反復作業のようなことをずっとやり続けていたからです。そんな中で、2008年に結婚したんですが、同時にリーマンショックの影響により会社をリストラされてしまうことになりました」
大変な状況の中、小中高の幼馴染である現株式会社森商店代表取締役の森一峻さんに声を掛けてもらい、セブンイレブン事業の業務に取り組むことに。
工夫されたコンビニ事業
森さんに声を掛けられてから本格的に携わることとなったコンビニ事業。実は長崎県のセブンイレブン1号店は、森さんの父親が始めた東彼杵八反田郷店だ。
森さんは父親が経営していた東彼杵八反田郷店とは別で、ご自身でもセブンイレブン東彼杵蔵本郷店を立ち上げており、さらに2014年にはセブンイレブン東彼杵川棚店をオープンさせ、そのタイミングで株式会社森商店を立ち上げることとなる。
同時に中島さんは、株式会社森商店で専務取締役を務める形で現在に至っている。
合計3店舗のコンビニ事業を続けていく中、中島さんにある危機感が芽生えた。
中島「コンビニの売上っていうのは地域の人口に直接繋がるため、人口が減っていくとどうしても売上も下がってしまう。地域を盛り上げていかないとコンビニも成り立たない。事業に限界を感じ、現状をなんとかしないとという思いが強くなりました」
そこで中島さんたちはある取り組みを始めることに。
中島「『コンビニに売ってあるこの商品がおいしいよ!』ではなく、『この人がおすすめするこの商品がおいしいよ!』というように”ひと”にフォーカルを当てた売り方をしました」
生き残っていくために、小売業において他店と差別化を図って勝負していったのだ。実際に中島さんたちが実践したことの一つにおでんの販売がある。
「もの」より「ひと」での勝負
中島「ある時期におでん1つの価格が70円になるセールがあって、これを機にみんなにセブンイレブンのおでんを知ってもらおうということで、従業員含む関係者全員で『この日におでん食べませんか?』と予め宣伝をして、予約をたくさん取りました。この活動のことを「おでん甲子園」と勝手に呼んでいます(笑)」
予約数は長崎県で一番になり、実際にセール中の3〜4日間で計1万個ほどのおでんを売ることに成功した。
中島「普通に売るだけで、セブンイレブンのおでんが急に、爆発的に売れるとは思いません。だけど、従業員さんが勧めるおでんだから売れたんだと思います。従業員さんが信頼できる人に声をかけてくれるから売れる。これは”ひと”の力だと思うんです」
まさにその取り組みは「工夫されたコンビニ事業」と言えるものだった。
見据える未来。その先の景色とは…
最後に中島さんがこれから行っていきたい活動について伺った。
中島「東彼杵町だけじゃなくて、地元の人々がこういう風に活動しているっていうのをもっと見える形にしていきたい。そうすることで、その人に会いにその地域へ行きたいという人が増えると思うし、もっと”ひと”にフォーカスを当てて、人と人が交流できるような繋がりができれば、長崎県全体が盛り上がっていく可能性があるんじゃないかなと思います」
中島「人口流出って長崎県では深刻な問題になっているけど、日本地図で見ると長崎は端っこだから仕方がないじゃないですか。それは変えられないことなので、じゃあ逆に何が魅力があるのか。長崎ならではの魅力っていうのを、その地元の人たちがもっと発信していって、より多くの方に知ってもらう。長崎県民みんなが協力して長崎県を盛り上げていけたら、必然的に人は増えていくと思います」
人口7,500人近くの小さな町東彼杵町から長崎県の未来を見据え、情熱を注いで活動し続ける中島さんたちの活躍に、今後も目が離せない。
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