不思議な縁だけど、3人で集まればすごく楽しい。『ミドリブ 飯塚陽子さん・堤彩子さん・下野惠美子さん』

『ミドリブ』は東彼杵町を拠点に活躍している、店舗を持たないオーダー制の花屋さんです。メンバーは飯塚陽子さん(写真左)・堤彩子さん(写真中央)・下野惠美子さん(写真右)。年齢も経歴も生まれた土地も全く異なる3人ですが、みなIターンあるいはUターンで長崎へ移住していること、そして毎日の子育てにいそしむお母さんであるという共通点があります。

ミドリブが生み出す作品の数々は洗練された空間をもたらし、人の心に灯をともす温かな力を持っています。その魅力のルーツを探るべく、陽子さん・彩子さん・惠美子さんが経験してきた今までのことや、3人で活動していくことについてじっくりとお話を伺いました。

笑顔が朗らかな部長 飯塚陽子さん

香りが良いマリーゴールドが好きな、部長の飯塚陽子さん。ミドリブでは花束やフラワーアレンジ、ドライフラワーを用いたスワッグ制作を担当しています。

陽子さんは千葉県浦安市出身。なんと、実家のすぐそばに東京ディズニーランドがあるという素敵な環境の中で暮らしてきたとか。

高校を卒業してからは簿記を学ぶため千葉経済大学短期大学部へ。その後は東京の銀行や証券会社などに勤めました。コツコツと地道に働く最中、陽子さんの頭の中にふと「何か別のことを始めてみたい」という考えがよぎるようになります。

陽子「やるならどんなこと? って考えたとき、花屋さんになるという子供の頃の夢を思い出して。それで小さい時に自分がやりたかったものに懸けてみようって決めたんです」

それからは花について一から学ぶために、日中の仕事と並行しながらフラワースクールへと通い始め、資格試験に合格。そんなある日のこと、心を惹かれて偶然立ち寄った花屋さんがスタッフを募集していることを知ります。すぐに応募して働くことが決まり、それから11年におよぶ花屋生活を続けました。

37歳の時、地元の浦安市で出会った夫の将次さんとの間に子どもができ退職。ちょうどそのタイミングで将次さんが東彼杵町で働くこと決まり、移住することに。

陽子「その後、娘が幼稚園に上がったときに一気に腑抜けになっちゃって。それを東彼杵で仲良くなった彩ちゃんに言ったら『面白い仕事があるから一緒にやろうよ、花屋の経験があるなら大丈夫』って誘われて、まだオープン前の海月食堂の植栽を手伝うことになって。そこで惠美ちゃんとも仲良くなり、3人の交流がどんどん深くなっていきました」

やがて2017年6月に『ミドリブ』が発足。これまで培ってきた花屋での経験や技術を活かしつつ、今までで一番楽しく仕事ができていると陽子さんは語ります。

陽子「花屋で働いていた頃は常にプレッシャーがあってすごく苦しかったんです。でもミドリブでは注文をもらってから、じっくりとお客さんのことを考えながら花を仕入れて作って…というスタイルなので、今が一番自分らしい花ができているのかなって思います」

生け花と共に歩んできた 下野惠美子さん

お花も好きだけど実ものの方が好きだという下野惠美子さんは、生花を用いた空間装飾やイベントの企画発案などを担当。また、千綿でオーガニックコットンを育むプロジェクト『千綿百年紡ぎ』の中心を担っており、その活動は2021年に4年目を迎えています。

長崎、福岡、東京と両親の仕事の関係で住まいを転々としてきた惠美子さん。環境が変化していく中でも惠美子さんの人生へ常に大きな影響を与えてきたのは、祖母から手ほどきを受けた生け花でした。

惠美子「祖母が庭にある花を使って生けるのを身近に見てきたので、子供の頃から生け花が当たり前というか。お花の学校へ通うことや海外留学も夢見ましたが、壁を感じ諦めました。それでも、お仕事でなくても生け花を続けたかったので、学生時代もアルバイト代を渡航費にあてて帰省してはお花の稽古をして…長崎へ帰って来てからも更に稽古を続けて資格を取りました。本当に頑張ったと思います」

惠美子さんが長崎へとUターンしたのは、“ゆくゆくは祖母の家を継ぐ人がいなくなる”という話を聞いたのがきっかけだったそう。「祖母が大事にしていた庭がなくなってしまう、それは嫌だ」。危機感を覚えた惠美子さんは夫と共に川棚町へと移住、祖母の家を引き継ぐこととなりました。

長崎へと戻り、“花に携わる活動をしたい”と考えていたものの、踏ん切りがつきません。そのころ子どもを預けていた保育園で知り合った彩子さんから、海月食堂の植栽をする仕事に誘われ参加。そこで初めて3人が顔合わせすることとなりました。

惠美子「彩ちゃんが一緒に面白いことやろうって誘ってくれたのと、陽子さんも花屋でずっと働いていた経験があると聞いて『一人じゃなかったらお花の活動ができるかも!』って嬉しくなって。それで機会を得てからは、一生懸命活動を続けてきました」

ミドリブを始めて、それまで守ってきた生け花のセオリーとの向き合い方が変わってきたそう。より自由に、自分らしくやるには、様々な制約から抜け出す方が良いと感じたからです。

惠美子「今は我流でやっていますが、お花は正解がない世界なのでいつもドキドキしながら生けています。これからも色や造形など美術的な勉強は続けていきたいですね」

ミドリブの縁をつなぐ 堤彩子さん

やわらかな雰囲気を持つポピーが好きな堤彩子さん。ミドリブが手がける様々なお仕事のプロデュースを担当しており、ミドリブが始まるきっかけを作った方でもあります。

彩子さんは埼玉県浦和市出身。 お父様が彫刻家、お母様は美術教師という芸術一家で育ちました。彩子さん自身、絵を描くのがとても好きだったそう。大阪芸術大学ではランドスケープデザインなどを学び、その後はまちづくりを行う関西の企業へと就職しました。

しかし体調を壊し退職。しばらくすると興味が芽生え始めていたオーガニックを学ぶため京都にあるオーガニックカフェへと勤務し、さらにはオーガニック大国キューバへと旅に出ました。

彩子「キューバはオーガニックの本場なので、その雰囲気を直に味わいたくなって。『もう限界!行く!』って気持ちがあふれて飛んじゃいました」

いざ旅を始めたものの、今まで勉強してきたスペイン語が全く通じません。しかしある時“グアテマラは世界一安くスペイン語を学べる”という話を聞き、すぐに実行。スペイン語学校へ通いながら、日本人宿で管理人生活を送りました。

宿のオーナーから看板作りを頼まれ制作していた最中、一人の日本人男性が訪れました。その人の名は豪輔さん。東彼杵で活躍している、ドレッドヘアーが特徴的な苺農家さんです。

彩子「豪輔も私と同じように一人旅をしていて。得意の編み物が他の旅人から評判で、帽子や携帯ケースなど注文を数多く受けていたこともあり、しばらく宿に留まっていました。それでお互いの制作を進めていくうちに仲良くなって、落ち着いたころに彼から『日本へ帰る前に一緒にグアテマラをまわらないか』って誘われたんです」

彩子さんは快諾。一緒に南米をヒッチハイクした後は豪輔さんの出身地である東彼杵へと帰り結婚、2人の子供に恵まれました。

やがて陽子さんと惠美子さんを結び付けた彩子さんですが、2人に声をかけたのはどんな理由があったのでしょうか。

彩子「陽子ちゃんは元気がなくて心配だったし、恵美ちゃんからは『お花で何かやりたい』っていうのを聞いていました。2人とも緑や花に関わっているから、一緒にやったらどうだろうと思って。ちょうどそのタイミングで海月食堂のお仕事をもらっていたので、誘ってみたんです。それからは色んな方々に声をかけたり手伝ってもらいながら、徐々に3人の活動を広げていきました」

それぞれの才能が奏で合う

ひとところに集まれば次々と花が咲いていくように、明るい笑い声が絶えない仲良しの3人。最後にミドリブでの活動の印象を聞いてみました。

惠美子「3人がお互いに意見を出し合ったりするうちに、新たな視点が見えてくるというか。自分には無い角度から意見をもらうことでハッと気付くことがあるので、すごく助かっています。それぞれに奏でている音があって、3人そろえばきれいな和音になるみたいな感覚がありますね」

陽子「みんな得意分野が違うから、方向性を無理やり一つにまとめちゃうとやりたくないことが出てきて苦しくなると思うんです。だから私はそれぞれ別の方向を向いていても良いと思ってて。誰か1人がやりたいって声を上げたら、他の2人が応援するって形が無理なく楽しくやっていけるんじゃないかな。私たちは知り合いでも友達でもない変な結びつきだけど(笑)、集まるとすごく楽しいんですよ」

彩子「本当にみんな長所が違って、それぞれが良い感じに抜けていて(笑)。そんなところが助かるんです。子供もみんな同じくらいの年齢なので、母親仲間という意味でも。本当にありがたいですね」

年齢も経歴も出身地も違うけれど、東彼杵で引かれ合った3人の女性たち。彼女たちが奏でる才能のハーモニーは、これからも誰かの心を華やかにしていくことでしょう。

「みせ」についての詳細は以下の記事をご覧ください。