経済も、人情も、すべては縁で循環する。東彼杵町で愛され続ける食堂『さかえ亭』店主・石井千恵子さん

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東彼杵町で食事処を始めてはや14年。「縁を大事に繋ぎ、これまで流れに身を任せて流れてきました」と、”ちーこおばちゃん”の愛称で親しまれる、さかえ亭の店主・石井千恵子さんは語る。人に愛される食事処になるには、食事を介した店主の人柄、その人が作り出すお店の雰囲気に、どうやらヒントが隠されているようだ。

広島で鍛えた料理の腕。
地元へ戻り、さらに磨きをかけていく

出身は、長崎県川棚町。結婚を経て、広島県へと移り住んだ。

「広島では、主婦をやりつつパートでスーパーの事務職をしていました。年齢が重なってくると、PC作業で若い子たちには敵わなくなってきたため辞めることにしました。その後は、大きい病院の中に入っているレストランの厨房に入り、そこで鍛えられました。ラーメンやうどん、サンドイッチ、パフェ。品数が多かったのですが、全部作れるようになりました。そこで、調理師免許も取得して。働いてみて、事務職よりも料理の方が自分に合っていると思いました」

離婚をして、娘2人を連れて長崎県へと戻ってきた。最初に働いた場所は、佐世保市の佐世保警察署だった。

「昔は佐世保警察署には地下があって、そこに入っていた食堂で働いていました。もちろん、一般人は入れません。署内にいると、数々のドラマを目の当たりにするし、突然の出来事もザラにあります。例えば、事件や事故が起こると、所内に一斉に人がいなくなるんです。誰もいなくなると、当然使う予定だった食品が全部ロスになってしまう。予想がつかないという意味では、結構ハードでした」

しかし、警察職員たちからも良くしてもらったという。

「彼らは、舌が肥えている人が多い。そこで、OKが出たから自信も持てました。出していたのは定食が主で、カレーやうどんなどが評判でした。その後、地下は全て撤退するということで、今はもうなくなりました」

佐世保警察署での食堂が終わった後は、佐世保南高等学校付近でカレー屋を開いた。

「南高の目の前の橋を渡ってすぐに3.5坪の小さいお店があるんですが、そこの主人がお店を手放したいということで引き継ぎました。私も次の仕事をどうするかという状況だったので、渡りに船でした。カレー屋を開いたのですが、南高生の9割がきてくれました。その味を懐かしんで、卒業してからもわざわざ東彼杵まで食べに来てくれている人もいます。他にも、工業高校や佐世保高専、商業高校いろんな生徒が食べに来てくれた。当時は、南高バレー部が有名でサインをもらったり、他にも清峰高校から野球部の子たちが食べに来てくれたり」

当時の高校生たちが、今では教師やいろんな企業で働いている。いろんな生徒と出会い、彼らの成長を見るのが楽しかったという。

「5〜6年は、そのお店を運営していました。そして、東彼杵町のテナントの話が持ち上がったのです」

縁を掴み、流れに身を任せ。
心機一転、佐世保から東彼杵へ

東彼杵町にある三島眼科医院が、当時敷地内にある建物に入ってくれるテナントを募集しており、知り合いを通じて石井さんに食堂をやってみないかという打診があった。

「今のお店をずっとやり続けるか、それとも新天地の東彼杵でお店をやるか。考えた結果、東彼杵へ行くことを決意しました。仕事は楽しいけど、店が狭かったから売り上げがあまり上がらなないということ、もう少しお店を広げてたくさんの人に食べに来てもらいたいという思いで、東彼杵町での暮らしに踏み切りました」

初めて店の内装から手がけ、全て自分で考えて食堂を新たに始めることとなった。

「もちろん、不安はありましたし、悩みもしました。ですが、新しい場所から声をかけてもらえ、挑戦させてもらえるという縁を大事にしたい。そして、”流れるように、流れるわ”と考えたのです」

せっかくいただいたご縁、その想いを大事にした。とんとん拍子に進む物事を拒むのではなく、流されてみよう。それで良いと、腹を括った。

「でも、楽しいです。今も、すごい楽しい。固定客、リピーターの方が多く来てくれます。その中でも、ひとり恩人がいて。開店して半年ほど経った頃、まだまだお客さんも少なく自信が揺らいでいました。すると、ひとりでご飯を食べにきた人が、『この店は、この味で大丈夫だ』と。この味だったら、絶対にお客さん増えるから大丈夫だと言ってくれた。その人のおかげで、ここまで続けてこられました」

お店を始めて、気がつくと14年が経った。その人の言う通り、その味で勝負し続けて、やってこられた。

「お客さんの声はダイレクトに届きます。美味しいと思った人が、次は友人を連れてきてくれて。そして、その友人が料理を一口食べて顔を見合わせて。「なっ?」と、目配せをする光景を見たら、私も嬉しくなります。だから、さかえ亭は、リピーターにとても救われているんです」

食事処は、人情と愛情。
客の数だけドラマがある

様々な人から勇気をもらって、お店を切り盛りしてきた石井さんだが、自身に秘めてある力の源とは何なのだろうか。

「好きだからかな。人と会うのが、好きなんです。話を聞いて、一回来てくれた人が『今日は楽しかった』と言ってくれるのがすごい嬉しくて。『ご馳走様』や『美味しかった』の言葉をかけてくれるし、元気が出たと言って帰ってもらうのが、私の元気にも繋がります」

もともと、佐世保で高校生たちを中心に食堂をやっていた頃、娘たちから言われた言葉がある。

「『お母さん、若い子たちから嫌われなくて良いね』と。普通は、お節介を焼くと鬱陶しがられものだと(笑)。そして、『嫌々ながら仕事をしている人が多い中で、お母さんは本当に楽しそうに仕事をする』と。言われて、はっと気がつきました」

事実は小説よりも奇なりという言葉があるが、食事処で人々に食事を提供する仕事に生きてきて、そこにはたくさんのドラマがあった。

「これまで、飲食店で働いてきて、実に多くのドラマを見て来ました。本を書けるくらい(笑)。いろいろなことを教えてもらったり、気がついたり。私が、人に元気を与えたいと思うのは、出逢ったお客様から元気をいただくからでもあります」

顧客から元気をもらい、自分では経験できないようなことを沢山教えてもらえる。循環している。経済も、物流も、そして人からの元気も。すべては、縁を元に巡り巡っているのだ。

「縁って面白いですよね。こうやって人と人との繋がりが、どんどん新しい出逢いを引き起こしてくれます。たまたま、商工会に入ったらそこでも繋がりが生まれて。自然には生まれないと思います。どこかで、誰かと巡り逢うために、人は行動するのだと。だから、私が何か頼まれるのであれば、できることは協力して誰かの役に立ちたいですね」

みせについての詳細は以下の記事をご覧ください。