「そのぎも抹茶、はじめました」。西九州初の碾(てん)茶工場『FORTHEES(フォーティーズ)』を立ち上げた、そのぎ茶農家四賢人の目指す道

取材、文、編集

写真

長崎県内の60%の緑茶生産量を占める“お茶の町”、東彼杵町。大村湾を一望できるその台地には約400ヘクタールの茶畑が広がっている。そんな茶畑と大村湾を同時に眺めながら広域農道を走っていくと、突然大きな工場が目に飛び込んでくる。西九州で初となる碾茶(てんちゃ)工場『FORTHEES』だ。

全国茶品評会で連続日本一となったそのぎ茶の可能性を広げようと、若手の生産者4人が運営会社を設立し2019年に工場は完成した。工場を設けた碾茶の製造事業は県内でも初めての取り組みとなる。

ところで、碾茶とは何を指すのだろうか。上記タイトルにもあるように、それは『抹茶(まっちゃ)』に関連する。石臼で抹茶に碾きあげる前の原葉を指し、ようは抹茶の元となるもの。碾茶は、煎茶や玉緑茶と同様に段階を経て製茶していくのだが、生葉を揉むことはせずに「散茶」と言う風で蒸された生葉を吹き上げながら冷却し、蒸し露を除去し、葉の重なりをほぐして次の乾燥工程への下準備を行う。

FORTHEES工場の鉄骨平屋建ての屋内では、茶の水分を散らす高さ8メートルの散茶機や乾燥させる碾茶炉を備える。玉露のように被覆して育てたそのぎ茶を使い、工場から出荷した碾茶を粉末状にすると抹茶になるのだ。

初の長崎県産抹茶で現代のお茶を取り巻くマーケットに変化をもたらし、未来におけるそのぎ茶の可能性を広げていく。同じ志を持った次世代の若き茶農家たちが手を取り合って、これまでになかった挑戦を始めた。事業を立ち上げた、そのぎ茶農家の若き四賢人をご紹介したい。

写真左から、

中山茶園中山公輔さん

大山製茶園大山良貴さん

ふくだ園福田新也さん(FORTHEES代表)

おのうえ茶園尾上和彦さん

各々個別のひと・みせ記事についてはくじらの髭にて近日公開予定で鋭意製作中。もう少々お待ちいただきたい。

FORTHEES誕生秘話
4人によるスペシャルトーク

さて、当記事はそんなFORTHEESの誕生秘話から現在の取り組み、目指す道などざっくばらんにお話しいただいたものをありのまま対談形式でお送りする。彼らの話の中で飛び出す数々の金言から、FORTHEESという生産者チームがお茶を介して我々消費者に何を伝えようとしているのか、拾い取っていただければ幸いである。

ーーさて、それでは御社の基本的な情報から伺っていきたいと思います。まず、FORTHEESという名前の由来から教えてください。

福田「4を意味するフォーは『FOUR』でしょ。4人で始めたのでもちろんその意味も兼ねてはいるんですが、そこからUを抜いた『FOR(〜のために)』にすることで『お茶のために。そのぎのために自分たちが何かできることをやっていこうという想いを込めて名付けました」

ーーFORTHEESである4人は、世代は一緒ですか。

福田「全然違いますね。大山が50代前半、尾上、中山が40代半ば、そして私が39なんで。みなさん先輩なんで、僕はだいたい敬語を使っています(笑)」

一同笑。

--普段打ち合わせは工場の併設されたこの事務所で行われているとのことですが、4人でどんなお話をされているんでしょうか。

3人「8割が関係ない話(笑)」

福田「そんなことはなかやろ!せめて、2割りくらいやろ(笑)。こんなことばかり話している私たちですが、FORTHEESを立ち上げて2022年で丸4年が経ちます。現在は、立ち上げ時の4人に加えて常時雇用として2名のスタッフが働いてくれています」

中山「2018年に会社を設立して、その一年後に工場ができたという流れです」

大山「その1年の間は、流れやルール、段取りを作っていった感じですね」

ーー工場の設備や配置はみなさんお茶農家として、その経験をもとに設計されたのですか。

尾上「そうですね。排水や工場の配置だったり、内装だったり。工場内の掃除がしやすいように皆でアイデアを持ち寄って」

ーーそもそもの構想のきっかけは、”抹茶”にあるのでしょうか。

福田「はい。10年くらい前から抹茶をやりたいと思っていました。構想して数年後には自分のラインに組み込めないかと見積もりなどいろいろ作って事業申請をしてみたのですが、その時は補助金がなかなか通らなかった。それから、4人で話をしながらいろんなことにチャレンジして、そのチャンスをものにできました」

大山「チャンスをものにできるまでの取り組みが、6人の茶農家が連携して取り組んでいた『ツナグソノギティーファーマーズ』。解散後、このうちの4人がFORTHEESとして会社を立ち上げたという流れですね」

ーー当時、福田さんの想いを聞いて3人はどう思われましたか。

中山「最初は乗り気ではありませんした」

大山「抹茶のことは門外漢だから、どうなんだろうねという気持ちもあったし」

尾上「自分も最初はわからない部分はあったけど、今後お茶だけでやっていくのも厳しいよねというのはあったのでやってみようかと」

中山「そしてその年、2018年に福田が日本一(第72回全国茶品評会農林水産大臣賞一等一席)を取ったんです」

福田「平成最後の年に取ることができました。そして、工場は令和元年から稼働して。それで、良いスタートを切れた……わけではないけど(笑)。スタートは不安だらけでした」

尾上「営業も全部飛び込みだったしね。僕ら当時営業のやり方を知らないから、カフェとか行けばどうにかなるかなと思っていたくらいで(笑)」

中山「営業畑の人間がいないから、企業やお店にアポイントを取るという概念がなくて。今ではそんなことしないですが、サンプルを持っていけば喜んでくれるだろうと高を括っていました(笑)。要は、サンプル配りだったんですが、最初はどこからも相手にもされませんでした」

尾上「だから、1年めは右も左もわけがわからい。どういう品質が良いのかもわからないという状態で」

中山「転機が訪れたのは、テレビに出始めてから。基本的に僕らは面倒くさがりの集団なので当時はあまりテレビとか出たくなかったんですが、だからと言って断るということもしなかったので出演依頼にはバンバン出るようにしました」

尾上「来るもの拒まずという感じで1年目をなんとか乗り越えて。だけど、2年目にコロナが到来するという」

チーム最年少でありながらもFORTHEES代表を務める、ふくだ園三代目の福田新也さん。

福田「作った在庫の7割くらいは在庫に入れて再開の機を待っていました。そもそも、たくさんは作らなかったんです。コロナの影響がこっちにも来るだろうということが予測できたので、予め1年目の7割くらいに減産しようと製造した。それでも、その製造分ほとんどを在庫で抱えることになって。コロナ禍だから営業にもいけなくなって、店舗も閉まっている状態だったので……。2年めは地獄でしたね」

中山「あれは、ヤバかったね」

福田「これで、3年めはどうしようという気持ちになっていたのが本音です」

ーー波が変わって、兆しが見え始めたのでしょうか。

福田「兆しというか、僕らはツナグソノギティーファーマーズ時代から毎年農薬検査を行なっており、どの農薬を使うとお茶にどんな影響があるかというのを勉強していて。海外にも出荷するために、ただの抹茶ではなくプラスアルファで安全を付加価値とするような商品作りを行なってきました。農薬の基準は国ごとの政治事情もあると思いますが、だからこそ海外産のものが検査を通るのはどの国においてもシビアです。それをクリアするようなお茶づくりをしてきました。そのため、茶葉の品質には自信があるというのが前提にありました」

1919年創業の老舗・大山製茶園の四代目となる大山良貴さん

大山「そして、1年目になんとか営業を各地で行っていたからというのもあります。設立後に初めて作った抹茶を持って飛び込みで各地を回って。アメリカにも行ったんですよ。反響はすぐには出ませんでしたが、それが次の年くらいから成果がぼちぼち現れて。そうした努力の積み重ねが、2年目、3年目とじわじわときてるので、抹茶は、スタート当時から比べるとだいぶ動くようになりましたし、他の商品と比べてモノが良いという評価をいただくようにもなってきました」

尾上「物を買ってくれる動き自体も、ピーク時からはだいぶ戻ってきています。なので、戻ってきてくれた人たちになるべく良い商品を提供したい」

お茶の行く末を憂う生産者たち。
“もっとカジュアルなお茶”の提案
生産初めは4人それぞれの畑で抹茶用のお茶を管理していた。しかし、できるだけ味や香りの均一化を目指すべく、使う肥料や管理方法をできるだけ統一する取り組みを行い、抹茶の品質を上げていった。

ーー4人が目指す抹茶作りはどういう方向にあるのでしょうか。日本伝統の抹茶の産地の一つに加わって商品を売り出していくのか、あるいは新しい方向性で価値を見出そうとするのか。

福田「私は後者を考えています。どうしても京都の宇治抹茶などの歴史を語られると僕らは何も言えないところがあるのですが、新しく、使いやすく、親しみやすい抹茶を目指しています」

大山「茶葉のクオリティは、八女茶とか宇治には近づけるように品質を高めることは忘れませんけどね。抹茶自体のお客さんに対する価値観に対しては手軽さを提案したい。どうしても、抹茶というと敷居が高いイメージがあるので」

中山「まず、抹茶をたてられなかったんです(笑)」

福田「スゴいですよ。長崎のベルナード通りで抹茶を皆さんに飲んでもらおうとお茶フェスを行った時に、この人はお茶の先生の前で抹茶マシーンでヴィーンとお茶を立て始めて(笑)。お客は喜びましたが、後ろにまさかお茶の先生がいるとは思わなかったので」

一同笑。

福田「お茶をたてた経験はありますか? 抹茶の産地など地域差はあるかと思いますが、お茶をたてたことない人がほとんどです。果たして、目の前に出された抹茶が美味いのか不味いのか。一缶500円と5万円の違いを比べた時、みんな割と500円を選ぶんですよ。渋い方が高いだろうというイメージで。結局はそんなものだと思います。よくわかっていないし、たて方もわかっていない。

そもそもお茶を生産する立場としては、お茶って流行りにくい世界だと思われるのが嫌だったんです。玉緑茶だろうが、抹茶だろうが、お茶って敷居が高くてデパートや本店で買わないとダメなのかなと。そうではなくって、もっとカジュアルに飲んで欲しい」

中山「だから、夏フェスなどの音楽イベントがあった時に出してみたり」

福田「そういうのを含めて、もっとカジュアルにというのが僕らみんなが思っているところです」

ーー海外展開も行われていると伺いました。お茶に対するのびしろは感じられましたか。

尾上「お茶ののびしろというか、抹茶ののびしろは感じられましたね。海外に行くと抹茶が日本茶というイメージになっているので」

中山「外国人にとったら日本茶は抹茶も緑茶も一緒……というと語弊がありますけど、抹茶がお茶だという誤った認識はされています」

尾上「急須文化がそもそも向こう(欧米)にはない。だから、カフェラテとか何にでも抹茶を入れるというような考えが生まれるのかなと。単にシェイクすれば出来上がるので、手軽さを含めると抹茶が良いのでしょう」

福田「また、飲み物だけでなく食べ物に関しても、お茶のお菓子はあまりないじゃないですか。圧倒的に抹茶の方がお菓子にしろ何にしろ多く商品を見かけると思います。そこにもニーズがあると思っていて」

新たにFORTHEESで企画され、作られた抹茶関連の商品。確かに、お茶と比べると実に汎用性が高いことがわかる。

尾上「何かしら作っていかないとということで、ポップコーンなり商品展開をしています。物を作らないと、粉だけで売っていても展開が見込めないので」

ーー碾茶の状態はかなり保存期間が長いようですが、抹茶にした時点で賞味期限が発生すると伺いました。

尾上「碾いてしまうと、一気に酸化しやすくなるんですよね」

福田「粒子が細かくなるから真空で保存できないというのもあるし」

中山「なので、甜茶の状態で保管をするというのが基本です。この状態だと真空保存ができるので」

尾上「たぶん、冷蔵庫の中に入れておけば2年以上持つんじゃないかな」

福田「そんなに寝かしておくと(会社が)潰れちゃうのでしませんが(笑)」

一同笑。

尾上「でも、少し寝かせたくらいの方が香りが上がってきますね」

中山「熟成ですね」

ーーFORTHEESの活動を通して、人々のお茶に対するイメージはどう変わったと思います。

尾上「若い人たちが飲まない。僕ら世代までは、緑茶を淹れて飲む感覚があるけど、若い人はペットボトルで飲むのがお茶だというイメージがあるし、それがお茶の味だと思っているところもあると思います。そういう人たちに、自分たちが淹れた冷茶を飲んでもらって、その違いを初めてわかった時にでる『美味しい』という言葉を聞くと、これまで体験してこなかったのだなと」

中山「若い子は、緑茶のことをお茶の素だと勘違いしている人もいるくらいで。急須で入れるのがお茶の素で、ペットボトルがお茶と捉えてる人も少なくありません」

尾上「そもそも、若い世代の家に急須がなくなってきましたからね」

福田「今の若い人たちは、おばあちゃんが淹れてくれたお茶の記憶があるからまだ良いです。でも、その次の世代は急須を知らない人が増えてきて、そうすると今後お茶業界は益々危ないですよね。一部の人たちは消えゆく産業だと言っていますが、そのくらいの危機感はあると思います」

ーー工業飲料水メーカーに文化の流れを持っていかれている現状はあると思います。

福田「それが大多数でしょうね」

ーーしかし、一方でコーヒーなどこだわりを持つ若い人は増えてきた印象を受けます。お茶にもその可能性はあるのでしょうか。

福田「そうですね。今までお茶にしろ野菜にしろ農家さんがどちらかというと隠れていたところが、作っている方達が表に出てきたことは最近。農家の顔が見える時代というか。その中で、お客さんと繋がって販路ができてくるんでしょうが。そういう選べる時代になってきたということでしょうね。

2017年に続き2022年にも全国茶品評農林水産大臣賞を受賞したおのうえ茶園の三代目、尾上和彦さん

また、根本的な問題として“コーヒーだったら一杯500円で飲むけど、お茶に500円払って飲みますか”という問題だとも思うんです。原価率としてはお茶の方が高いのに、コーヒーと同じ値段だと躊躇してしまう現状はあると思います。挽き方や淹れ方によって味が変わったりと楽しみ方のバリエーションがあって、それをうまくプロモーションできたのがコーヒーですよね」

中山「コーヒーはライバルではないと思っています。敵ではなくて、どう共存していくか」

福田「自動販売機で一番売れているのはお茶だと思うんです。第2位がコーヒーとか」

中山「コンビニなんかで売られているペットボトルのライバルはコーヒーというよりミネラルウォーターだと思うんです」

福田「不思議なことに値段が変わらないんですよ。スーパーに行くとお茶2リットル99円として、水も99円。同額ってどういうこと?って(笑)。水はどこかの産地の水を汲んできてるというのがあるんでしょうが、工程があるのに同額というのが納得できない」

尾上「昔から、アイスクリームにしろ30円のものが60円になって100円くらいまで上がっている中で、お茶は上がっていない。その辺も全体的に考えていく必要があると思います。お茶って安いものというイメージがついていると、これ以上値段が上げられないので」

走り出したFORTHEESのモットー。
「立ち止まることなく、常にチャレンジ」

ーー大山さんが時間の都合により途中で退出されましたが、御三方は今後五年先のFORTHEESをどういう風な会社にしていきたいですか。そのために、どんな活動をしていきたいと考えたりしていますか。

尾上「先ほどの続きですが、いろんな物価が上がっています。その中で、お茶の価値も上げていけるよう試行錯誤し取り組んでいきたい。今後、肥料の値段が上がり生産コストがどのくらい上がっていくのかが心配です。それはFORTHEESに限った問題ではなくて、私の家の玉緑茶にしてもそう。ガソリン代や電気代全てが上がってくる中で儲けの部分が一体どのくらい残されているのか。

FORTHEESとしては、西九州で初めての甜茶工場をスタートでき、初めて長崎県産茶葉で抹茶を作り出したので、これまで宇治とか八女とかの抹茶を使っていた人たちにこっちの抹茶も使ってみて欲しいという思いがあります。また、この工場のある土地もご厚意でお借りしていて、草を払えばとても良い景色が広がっています。人が呼べて集まれる拠り所の一つとして、人の流れを作ることができれば。そうやっていろんな取り組みを実践していく中で、いつか自分たちでやってきて良かったなと言えるようになりたい」

中山「私は、とりあえず輸出担当をメインに活動しているんですが、5年後には今の倍の出荷を目指したい。いくんじゃないかなと思うし、そうしないと話にならないとも思います。もう少し認知を広げて各方面で出荷を増やして。海外展開もそうですよね。現在は円安という状況もありますが、それを逆手にとって売れる時に売っておけば海外でも各地で広めてくれるので。総生産の三分の一くらいは海外に送りたいなと思っています」

福田「経営面で言うと、安定生産、安定供給ができる状態に。そのためにはもっと自分たちが動かないといけないなと。まだ動けるかなと思います。動くと言うと、いろんな方面があります。製造面もそうだし、茶畑に出るのもそうですし。もう一歩違った外に出て広めていく動きもそう。足で動く、体を動かすしか僕らにはできないので、そのぎのお茶の良さをいろんな方面で広めていければと思います。それが、最初に話した安定生産、安定供給につながっていくと思います。まだ、ポテンシャルはありますよ。まだやれる。僕らが、もうこれ以上はと思う時は、死ぬ時なんじゃないですかね(笑)。『まだ何かしよっとね』と言われるくらい毎年何かにチャレンジしていきたい」

ーー今御社が抱えるお茶のバリエーションは、抹茶が3種類、緑茶が4種類です。

福田「本当は、5、6種類あるんですよ。例えば、お客さんによってはこのぐらいのものがないかという話も出ます。その都度お客さんのニーズに沿ってオーダーで作るということもやっています」

中山「最初、僕らも甘かったというのがあるんでしょうね。わからなかったから全ての要望に応えていた」

尾上「何が良いのかわからない自信もなかったので、どうしてもお客さんを引き止めたいという思いで」

福田「でも、そういう対応が僕たちだからこそできることでもあって。僕ら半分お茶農家として個人でそれぞれやっているので、だれが作っているかってすぐわかるじゃないですか。誰が何をどれだけ作っていて、ある程度何を作って欲しいというのがわかっているわけだから、応えられるだけの分は作っているので。そして、商社が間に入っているわけではないのでコスト的には、同じ五千円の商品でもFORTHEESの方がクオリティが良いよねとか。そういう形で選択肢に入れてもらって長崎の、そのぎの抹茶を使ってもらいたいですよね

現在は、4人共同の無農薬の茶畑も試験的に始めています。育った成果物を見てからですが、そういう付加価値の高い商品なども今後は考えています。やりたいことはいっぱいあります」

中山「僕らが聞いてないことも、まだ頭の中にはあるはずですよ(笑)」

尾上「こういう風にしたいねとアイデアで出たものを、できるだけ形にしていきたいですね」

ーー3人集まれば文殊の知恵とも言いますしね。

福田「4人集まれば雑談ですが(笑)」

一同笑。

中山「でも、コロナじゃなかったら何か別の取り組みもすでにやっていたと思います」

福田「販売形態が変わったじゃないですか、コロナ禍で。今大手企業も倒れるところが出てきている中で今ではないのかなというのがあります。時期を見ながら、どういう販売方法が展開できるのかというのを見ながら。今は耐え忍ぶではないですが」

尾上「コロナになって人が集まりづらくなったのは大きいですよね」

福田「逆に、コロナ禍が2年目でまだ良かったと思います。これが、作ってからだったら多分かなりヤバかったと思います。1年を通して、だいたい会社の回し方などがわかってきて次の構想も自分の中ではあったんですが。それが、春先からのコロナでひとまずジッとしようと思えたのが良かった」

中山「1年目は、ないものだったから買ってくれますよね。お茶屋さんなんかも。でも、2年目はきつかった」

福田「そうね、お店も閉まってたから全部止まってたし。それが、自分は新茶と重なって。緊急事態宣言が4月に出て、ドンピシャだったんです。新茶の売り出しも、全国でなくなったので。ということは、お茶屋も買い渋るんですよ、いつもの在庫の50%にしておこうかなとか。ということは、その分の50%はどうなるのというわけですよ。いらないってことになると、一番被害を被るのは一次産業者です。一年間分の先行投資を行っているわけですから、そのなかでコロナで値段がどんと下がれば在庫がドンと(笑)」

中山「お茶屋さんは、買わなければ凌げる話ですからね。だから、コロナ禍を乗り越えられなかった業者もいます」

尾上「お茶は保存が効くものなんで、まだ良かったとは思います。生花業界とかは、かなりきつかったんじゃないかな」

福田「でも、2年目を乗り越えたからこそ伸びてる部分があります。1年目はまずまず、2年目はガンと下がったものの、3年目は過去最高を叩いて4期目がどうかという状況」

尾上「ゼロからのスタートだから、まだなんとも言えない部分はありますが、成果は着実に出てきていると思います」

福田「なんでしょうね、生産していて楽しくないと仕事としてモチベーションが上がらないと思います。それは、どの業界でもそうだと思うのですが。楽しいことをしているだけ、大変だけど幸せなところがある。それは、結果が結びついて初めて言えることだと思います。

(尾上さんを示して)その点、今彼は一番楽しいと思いますよ(2022年に2回目の蒸製玉緑茶部門日本一に輝いた)。絶頂期ですよ(笑)」

一同笑。

店 名
株式会社 FORTHEES
所在地

〒859-3922 長崎県東彼杵郡東彼杵町八反田郷684-2Google Map

お問合せ
TEL
0957-47-8711
FAX
0957-47-8717
E-mail
info@forthees.com