
学生時代ぶりに乗ったマイクロバスは、国道205号線からくねくねとした山道へ。
体を大きく揺らされながら窓の外に目をやると、きらきらと光る大村湾や、緑が香ってくるような美しい茶畑が広がっている。

自然に飲み込まれるような景観を見ながら、「彼杵はそのままで。田舎まちのままで良いんです」という取材中の言葉を思い出していた。
一家に一台ではなく、一人に一台は車が必要なこの町に、当たり前のように整備されているバスやタクシー。
暮らしの要とも言える彼杵の地域交通を支えているのは、まちで唯一のタクシー会社『太陽タクシー』です。
今回は、太陽タクシーを父から受け継ぎ、彼杵の交通を支え続ける橋村孝彦さんにお話を伺ってきました。
「小さなタクシー会社を開くから帰ってきてくれ」

今から約50年前、『太陽タクシー』を開業したのは孝彦さんのお父さんでした。
「小さなタクシー会社を開くから帰ってきてくれ」
父からの突然の連絡に驚いたという孝彦さん。
好きだった仕事を辞めて地元に戻ることは、簡単な決断ではなかったといいます。
孝彦「父親から「帰ってきてくれ」と言われた当時、私は外国航路の船員をしていました。海が大好きな私にとって、毎日海を眺めながら世界を回る仕事はまさに天職。毎日が本当に楽しくて、もうこの仕事で生きていこう!と決めていました。この生活を手放していいものか。地元に帰ることには気が進まなかったのを覚えています」
孝彦「そんな私の背中を押してくれたのは先輩たちの言葉でした。「地元に飯を食っていけるような仕事があるなら、それを選んで親孝行しろよ」って。今でも交流があるくらい、面倒見の良い先輩たちからの言葉は胸に響いて、彼杵に戻ろうと決断をしました」
大きな決断をして彼杵に戻ってきた孝彦さんでしたが、もちろん最初から会社経営が上手くいくわけもありません。

待っていたのは口数の少ない父と、手探りで進む毎日だったといいます。
孝彦「帰ってきたのはいいものの、寡黙な父から直接言葉をかけてもらうことはほとんどなく、理解し合えないこともしばしば。葛藤や不安を抱えながらも、とにかく背中を追うような日々でした」
孝彦「そんな父に自然と尊敬を覚えるようになったのは、とにかく真面目に働き続ける姿を一番近くで見ていたからだと思います。父はとにかく車が大好きな人で。会社の車を毎日のように掃除して、修理さえも自分でこなしてしまうほどに愛を注いでいました。真っすぐ好きなことに向き合う姿勢は、従業員やお客さんにも伝わっていたと思います」
父の情熱は車への愛。自分の情熱は…

父の情熱は車への愛にあると気づいた孝彦さん。
会社を受け継ぐと同時に、自分の情熱について考えるようになりました。
孝彦「父が大切にしているものは車。じゃあ、私が大切にしていたいものは?と考えたとき、たどり着いたのは「ひと」でした。タクシーは人の命を運ぶ仕事だから、とにかく安全が第一!その安全をつくるのは「ひと」にしかできないと思ったからです」
孝彦「さらに、小さな疑問を覚えたことから町の議会議員になった私は、まちを支える一事業者として、会社が持つ役割についても考えるようになりました。彼杵はいろんな営みがあるのどかな田舎まち。自分たちにできる範囲でいいから、まちのために、町民の幸せのためになることを、コツコツやっていこうという意思が強くなっていきました」

タクシーは人の命を運ぶ仕事。
まずは従業員を大切にして、父から受け継いだ真っすぐな姿勢で日々会社と向き合ってきたといいます。
孝彦「毎朝5時には出社して、従業員の様子を見たり、もしものトラブルにいつでも対応できるようにしています。雪や台風などで道路状況が不安なときは、軽トラを飛ばして自分の目で安全を確認します。どれも小さなことですが、信頼を得るとは、こういう小さな積み重ねを続けることだと思うんです」
地域交通を支える会社として、どれだけ地域のためになれるか

太陽タクシーを利用する方の9割は彼杵町の人。
「彼杵の人のためになりたい」その気持ちを突き動かすのは、やっぱり利用者さんからのお礼の言葉だそうです。
孝彦「彼杵の人はほんとうに穏やかで良い人ばかりなんです。だからこそ、私たちもできるだけのことをしてあげたい。私以外の従業員もそうですが、ただ目的地にお客さんを運ぶだけでなく、荷物持ちや乗り降りのお手伝いをするなど、地域の人に寄り添うような接客を心がけています」
孝彦「お客さんからいただく「いつも助かってるよ」「ありがとう」の言葉が何よりの原動力ですね。会社としては赤字でも、電話がかかってくる可能性が少しでもあるなら、夜もできるだけ待機しておきたいし、利用者が一人でもいるならバスを走らせたい。地域の零細企業である私たちにとって、どれだけ地域の人のためになれるかが、非常に大きな物差しだと思っています」
開業して約50年。無事故を貫いた距離は地球600周以上!?

彼杵の交通を担い続けて約50年。
会社のこれまでを振り返り、ようやくコツコツ積み上げてきたものが実ってきたと語ってくださいました。
孝彦「太陽タクシーでは、50年間被害者が出るような事故は一回も起こっていません。自ら率先して行ってきた毎朝の安全確認、そして、ひとを大切にするという基本姿勢が積み重なって、このような結果に繋げられたのかな」
「自慢じゃないけど」とはにかむ孝彦さんですが、50年間も無事故を貫くというのは簡単に成し遂げられることではありません。
タクシーの平均年間走行距離は約10万㎞。
毎日5台分がフル稼働するとしたら、50年間で約2,500万㎞。地球を600周以上する距離を無事故で走ったことになります。

孝彦「振り返れば、立ち上げ当初は従業員数名、車も数台。事業は小規模で、当たり前ながら、実績や信頼なんてありませんでした。それが50年の時を経て、町からスクールバスやデマンド交通、町営バスの業務委託をいただけるまでになリました。長年に渡り妻が事務を手伝ってくれていますが、最近になって娘も会社を辞め、経理として務めてくれるようになりました。従業員数は合わせて30人以上。ドライバーさんたちはこの仕事に誇りを持って働いてくれています。私の背中を見てか、一緒に朝の道路状況の確認に行ってくれる方もいるんですよ」
孝彦「大好きな仕事を辞めて彼杵に帰り、最初は見よう見まねで働いていました。そこから会社を任されるようになり、自分なりに大事にしたい答えを見つけて、できる範囲のことを忠実に積み上げてきました。そんな日々がようやく実ってきたような気がして、本当に嬉しいです」
ただ彼杵の人の暮らしを支えたいと、謙虚に、そして誇りを持って語る孝彦さん。
私たちの生活は、見えないところでたくさんの人の努力が作り上げているものだと改めて感じました。

孝彦「彼杵はのどかさが一番の魅力。だから住む人や時代が変わっても、彼杵はそのままで。田舎まちのままで良いんです」
葉の香る茶畑、そびえたつ山々にきらめく海。
守りたいと思える風景のなかに溶け込む営みが、彼杵にしかない魅力なのかもしれません。
太陽タクシーは今日も、彼杵の暮らしを支えるために国道205号線を走り出します。