東彼杵町から織物を伝播し続ける 老舗京呉服店の三代目社長 入江秀俊・文恵夫妻

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東彼杵町で、自分にできること。自分にしかできないこと。
新時代に適応すべく老舗呉服店社長の出した答えとは…

世の中はときとしてひっくり返る。これまでの社会の営みが突如として変化を余儀なくされ、数多の人々が途方に暮れてしまう。そこから不安、不満が生まれ、秩序が乱れた時にはさまざまな悲劇も起きる。

誰もが想像し得なかった不測の事態。青天の霹靂にこの世の無常さを恨むこともあるだろう。だが、こんなときにこそ変化を受け止め、これまでの生業を生かしつつ形態を変えて継続しようと新時代を取り込む人たちがいる。東彼杵町の地で老舗呉服店を営む入江秀俊さんもそのひとりだ。

入江「コロナウイルス問題により、現在はお客さんと顔合わせて販売することができなくなっています。こうなると、当面は社員が外回りができなくなる。加えて、3月の展示会や5月の催事も軒並み中止で着物を仕立てるという本業が厳しい状況に追い込まれています」

そんななか、氏の頭の中に浮かんだアイデアがマスク作りだった。

氏が写真の中で仕立てているのは、着物ではなく布製のマスク。昨今のコロナウイルスの影響により、世界各国で不織布マスクの需要が急激に高まり常に品薄状態が続いているだけに、手作りもできる布製のマスクにも人々の関心は高まっている。

入江「当座をしのぐため、何かしようと考えたときに”マスク製造”という考えに行き着きました。そこで、生地は何が良いかと探していたら、自分たちが今までやってきた着物の仕立てに使う材料がある。じゃあ、これで作ってみようと」

「初代の手作りマスクがこちらです」と見せてくれたのは、なんとコーヒーフィルターを利用して作った試作品。すでに氏のアイデアが光るが、これをもとに現在販売しているマスクへと繋がっていく。

入江「当初は、5月に開かれる催事に来場した方に差し上げるつもりで作っていました。ですが、事態はどんどん暗転してイベントが立て続けに中止になってマスクを作るのはいいが配ろうにも配れなくなった」

そんななか、情報を聞いて店にマスクを求めに来るお客さんが増え始めたこと。マスク作りも慣れてくると量産ができるようになってきたことを鑑み、マスク販売へと踏み切った。

入江「また、社員の他に着物の仕立て屋が3名いるんですが、今後はできれば彼らにも呼びかけて仕事を手伝ってもらえたらなぁと考えています。関係者たちの雇用をとにかく確保できるようにマスク販売事業を確立させたいですね」

こうして、4月から本格的な手づくりのマスク製造に着手し始めたのである。

大正元年創業の歴史ある東彼杵の呉服店。
代々と続く想いの糸を切らずに紡ぎ続ける

マスクの販売は始めたばかりだが、入江京呉服店は大正元年創業107年という長い歴史がある。そのルーツについて伺ってみた。

入江「創業したのは祖父の代からです。この東彼杵の地で入江京呉服店は始まりました。当時の東彼杵町周辺は大村市よりも栄えており、長崎街道沿いには300件ほどの商屋があったそうです。そこには新万屋という問屋もありました。時代の流れで今はほとんどなくなってしまったんですが」

もともと、東彼杵町の千綿の農家出身だった氏の祖父は、初めは船乗りになったそうだ。しかし、怪我をしてしまったことが原因で、船乗りを辞めて佐賀県伊万里市の呉服屋に年季奉公しに行った。そこで、呉服の知識をつけ商人として当時栄えていた東彼杵町に店を開くこととなったのが起源である。

それから、父へ、子へとバトンは渡り、現在は氏が三代目の社長として事業を取り持っている。

入江「当初は継ごうという気が無く、水産学部で食品加工の勉強をしていました。しかし、長男だから家を継がなければならないということで中退し、京都へ3年間修行をしに行きました。問屋で着物の知識を学び、東彼杵町に帰ってきてからはずっとこの仕事です。家を継ぐことの抵抗は特になかったですね」

店に就いたのは昭和54年。父からの思いを託され、43年間店を守りつつ、新しいことへも挑戦してきた。この地域へ根付く呉服店として今も発信を続けている。

大切なハレの日に着物を羽織る日本人の粋。
伝統文化を廃れさせない地域密着の取り組み

長い間呉服店として経営を続けてきた氏にとって着物はどんな存在なのか、着物を扱う仕事をどう捉えているのだろうか。

入江「着物は、大切な日本の伝統文化です。節目となるハレの日に成長した証として人生の中で豪華な着物を身に纏う。振袖なんかは正にそうです。子供が生まれたらお宮参りがあって。卒園式や入学式、成人式や結婚式。その方の節目に携わることができるのは嬉しいですよね。特に、田舎ではまだそういったセレモニーの時は着ますから。例えば、お葬式でも家紋のついた着物で大事な人を見送る人たちもいたり」

昔は着物が普段着だったが、現在は着る人も着る機会も限られてきている。日本の粋が段々と失われつつある現状に不安はある。

入江「作っているところも途絶えつつある。たとえば、京都丹後では機屋さんがどんどん減っている。担い手が減って着物が作れない時代になってきているから、絶やしたくはない。文化を閉ざさないために、若い子には着物に接する機会を増やして欲しいです。そのために、着付け教室を無料で行って自分で着付けができる人を増やしたり、地域の人に密着した情報発信を行っています」

「昔の人は、大概着付け教室に行かなくても着れたんですが」と氏は語る。親の世代が着れなくなると、その子どもも着れないのが当たり前だ。そこで、気軽に着物に触れて欲しくて始めた無料の着付け教室は、多くの人が門を叩く。地域に根ざした地道な活動が身を結ぶのだ。

入江「着物は値段が高いから説明がいる。何万円もする商品をハイどうぞと渡して買ってくれる人はほとんどいません。なんで高いかっていうのを、染めはこう、織りはこうとかちゃんと説明しないと納得してお買い求めにならないですから。そこで、普段から着付け教室などで会話を通してやりとりしていく中でお客さんとの繋がりを保っていくことが何より大切なのです」

「ただ、今はコロナ問題で、着付け教室なども自粛しています。自体が収束したらまた活動できるよう、まずはマスク作りなど現状でできることをやっていかなければなりませんね」と、氏は話を締めくくった。

はじめに、世の中はときとしてひっくり返ると述べた。だが、そんなときこそ人間の逆境に負けずに適応する強さ、そして他人を想える優しさを改めて感じることも事実だろう。未曾有の出来事が起きても知恵と、情熱と、思い遣りを切らさずに動く。そのために、普段からの人との、地域との関わり合いを大事にしておく。長く営業を続けられる秘訣がそこにある。

みせ・ものについての詳細は以下の記事をご覧ください。