『コミュ力』という言葉がある。平成後期に誕生し、社会生活を送る上で欠かせないスキルのひとつに挙げる方も多いだろう。しかし、この言葉だけを見ると、SNSでの気配りだったり、協調性だったり、場の空気を読むといったイメージが一人歩きし、私たちはその表面的な部分にとらわれている気がしてならない。だが、ラテン語由来の『コミュニケーション』は、本来「分かち合うこと」を意味しており、その能力における本来の判断基準は、非言語的なこともあるが、多くは言葉を介した「意思疎通」ないしは「価値観の認め合い」を指すのではないだろうか。
さて、今回ご紹介するのは、人々の対話を介した多文化共生の社会創造を唱える長崎国際大学准教授・佐野香織さんだ。コミュニケーションは、現代社会において人種や国、文化、宗教などの観点において”多様であることを認める”という最優先で取り組まねばならない国際課題である。また、身近な話でも性別による問題、例えばLGBTQ+など性的マイノリティの人の個性や価値観を対話によって知り、向き合い、認め合う必要がある。自分の知らない世界の人たちと「ことば」で対話を重ねることで、新たな社会が創造されると言う。佐野さんがこれまで経験してきた語りをもとに、言葉によって社会が生み出される原理を紐解いてみたい。見ざる、聞かざる、言わざるも大事な訓えかもしれないが、ここは目も耳も口も開けて、ひいては身体全体の感性を研ぎ澄ませて、色や、匂いや、音や、味や、触り心地などなど。大いに語り合おうではないか。
「ことばを使って、”なぜ”したいのか」。
スキル習得の、その先を見つめる
言葉に、言葉を介したコミュニケーションに興味を持ち、これまで言葉に関する仕事に携わってきた。
佐野「前職も、大学内にある日本語教育を専門で研究する場所で働いていました。そこには、日本語を学ぶ全学生、研究者、教員が来るんですが、それだけでも4000人。コースのコーディネーターをしていたのですが、一番多い時で250〜300人くらいを担当していました。そのなかで学生一人一人の状況を分かっていたかというと、そうではないです。自分がやりたかったのはこういう仕事だったのかなと、正直思いました」
「日本語教育や英語教育といった語学教育と聞くと、あなたはどういうイメージを持ちますか」と佐野さんは問う。
佐野「”語学の勉強”というイメージが先行する方がほとんどだと思います。文法を勉強して、書いたり、読んだり、話したりするという勉強。もちろんそれも大切なことなんですが、テストで良い点を取るため、受験のため、単位を取るため。そのような一時的な目的で学んでも、終えた後にそこから先にあるものも、残るものも得られません。自分がことばの学びを通して何になりたいのか、なぜしたいのか、どうしたいのかまでを考えることが、ことばの教育だと考えます」
言葉を使って何をしたいのか。なぜしたいのか。そう学生に問うのと同時に、教員側も言葉の教育を通して最終的に何を目標としてこの仕事をやっているのか考える必要性を感じた。
佐野「私自身、何も考えずに仕事をしている時期もありました。語学としての日本語は、『母語話者』(生まれた土地の言語を聞き、読み、話して育った人たち)の日本語が正しい日本語で、その正しい日本語に近づくために一生懸命勉強しなくてはいけない。そのためにはたくさんの単語を覚えて、文法も正しく、発音も美しくする訓練をするのが日本語教育だと思っていた時期もありました。ただ目の前の学生がテストをパスできればいいとか、語学として表面上上手くなってくれれば良いとか。それを他の学部の教授方からも期待されていましたし。でも、それは私が目指したいことばの教育ではないと途中で気が付いたんです。そこの転換は大きかったと思います」
一体、何が心を突き動かされるきっかけになったのだろうか。
佐野「きっかけは、地域に住んでいる、働くために日本に来た外国人と関わるようになってから。当時は支援活動と呼ばれており、私はその人たちがどのように言語を習得していくのかという研究を行う目的で参加をしていました。日本語を全く話せなかった人が日本人と関係を持つようになり、だんだんと日本語が使えるようになっていく、というある仮説から、実際にどのように使えるようになっていくのかということを調査で明らかにしていく習得研究です。この研究モデルでは、生まれたときから第1言語として日本語を身に付けてきた人の「日本語」の習得がゴールでした。つまり、どれだけこのような人たちの「日本語」に近づいているかで「習得した」「習得していない」を判断するわけです。しかし、いざ研究に協力をしてくれたブラジルの人たちに報告をすると、すごく複雑そうな顔で『この研究は素晴らしいものだと思うが、これは私たちにとって何の役に立つのか』と言われました。『私たちは未だに日本語ができないし、別に日本人になりたいわけでもない。そんなに日本語ができるようになりたいとも思っていない。ただ、この社会の中で一人の人間として生きていけるようになりたいだけなのに、この研究だと私たちは日本人にならなきゃいけないんじゃないのか』と言われたのがショックだったんです。社会で等しく暮らしている市民としてどうやって生きていくかとか、そういうことを一緒に考えて欲しかったという思いだったのかもしれません」
言葉を教育するというのは知識を一生懸命頭の中に貯金させていき、使えるようにすることではなく、この人たちと一緒に社会を創り出していくことの方が大切なんだと感じた。そこがゴールだと捉えるようになっていた。
佐野「現在、多文化共生社会をつくるようなことを多くの方が言われていると思いますが、シンプルに外国人も含め、多様な人たちと一緒に楽しく、より良く生きていける社会を私がつくるのではなく、みんなでどうやってつくれるのか。もう一つの反省は、どうしてもマジョリティ側にいる人間だけでつくってしまうということが問題です。例えば、外国人たちも一緒に関わりたいと思っているのに、関わる場がない。一緒につくっていけるような社会とか活動をどういうふうに考えていくのか、そのときに思いました」
その想いが、その後の研究活動や現在携わっていることにも繋がっている。
佐野「トレーニングをすることが悪いというわけではありません。一緒に社会に関わっていく上で、自分の想いや考えを伝えることができる言葉の力というのは絶対に必要です。しかし、目的がただのトレーニングで終わる、日本語が日本人のようにできる外国人を仕上げる、というのは違うと思います。また、このようないわゆる「基礎日本語」教育は、公的機関が牽引するシステムが大切なんです」
長崎国際大学人間社会学部国際観光学科。
今はこの場所から、社会を創っていく
佐野「前任校で仕事をしていた時に取り組めたことがあって、それは”『街のことばを知る、考える、創る』プロジェクト”という企画です。近くの商店街の人たちと留学生とが一緒になって新しい商店街をつくっていきたいという要望が近隣住民から出たので、プロジェクトを立てて授業の中でやりながら商店街の人たちと一緒にプロジェクトを進めていきました」
地域住民と一緒にイチから何かを作れる環境があり、社会を自分たちが創るんだという意識を持って学ぶ学生たちを育てていく。それが、これまでの体験を経て求める理想となった。
佐野「そういった環境がどこかにないだろうかと日本全国で探していたところ、長崎国際大学とのご縁がありました。長崎県は、過去に高校の修学旅行で一泊泊まっただけ。縁もゆかりもないその地に、いきなり住み始めるという(笑)。でも、1年間模索しながら住んでみて、長崎に来て良かったと思うことがあります。それは、一般社団法人ひとこともの公社の方々と出会えたこと。彼らがつくり上げたsorriso risoという”次世代型集会所”では、既存の地域としてのあり方をどうつくっていくかについて全然異なる分野の人たちが企画ごとに集まり、一緒に考え、多角的に意見を出し合うという環境が整っていてとても魅力的でした。そういう場所に、何も知らずに来た私が出逢える確率はすごく低いんですが、たまたまご縁があったことを嬉しく思います」
佐野「また、長崎県はポルトガル人、オランダ人が日本人と共に住み始めた始まりの場所ですし、出島は鎖国状態の中でも唯一貿易をしていた場所です。佐世保も、アメリカ海軍基地がありなんとなく「外国人」が多いような印象がありますよね。なので、長崎県は全国的にみても国際交流がとても進んでいるイメージがあるのですが、多文化共生という、いろんな人と共に暮らし生きる、というのは実はそんなに進んではいません。長崎県でも、IR誘致が現実味を増す中、日本語教育を推進していく大事な時期に来ていますが、その時期に一緒に考える機会をいただけているのはありがたいです。ボトムアップでいろんなことにチャレンジし、様々な人と社会やコミュニティをどうつくっていくか、そして、県や国が考えている多文化共生をどういう形で進めていくのかを同時に考えられるのは面白いです」
そんな環境に啓発され、今後は大学教育の枠を超えてゼミのロゴを作り、WEBサイトを作るということにも自らチャレンジすることに。一般社団法人の東彼杵ひとこともの公社を交えて、コンセプトワークから半年をかけてロゴ完成までを目指した。
佐野「このことをきっかけに多様な人たちが集まって、一緒に何をやっていくのかを作っていく。小さなことでも、大学、ゼミを超えて地域やコミュニティへと発展するのだろうと。というわけで、今年から一般社団法人東彼杵ひとこともの公社の森(一峻)さんに協力していただき、コンセプトワークからロゴ完成までを授業で担当していただきました。学生たちには、今やっていることが大学内で完結しているのではなく、社会を創り出す全てに繋がっているということを実感してほしい。そして、そこからまた自分自身で気づき、何かを創っていくようなことができればと。今回のロゴ作りも、積み重ねていくことで歴代のロゴができていく。楽しみですね」
学術的なこととして経験を言語化し、語ることで学ぶ。その学びをどう活かすかということを考えながら、社会やコミュニティを変えたり創り出したりする。言と動との繋がりが社会を発展するということに興味は尽きない。
佐野「それを”語りの研究”や”ナラティブ・アプローチ”と言ったりするんですが、語りからどういった街ができるのかを想像するのはとても創造的だと思います。なので、東彼杵町の”くじらの髭”と繋がることができたので、これにゼミとしても関わりたいと考えました。学生が東彼杵の町の人に話を聞くことによって、学生たちが対話の中から自分はどういうことを考えようとか、何が生み出せるのかを考えることにも繋がります。逆に、学生たちに教えていただいた森さんも、『自分たちは協力しているだけなのに、話してみて自分がこういうことを考えていたんだと改めて発見できてすごく学べた』とおっしゃっていました。そのお互いの往還が新しいことへの創造に繋がるのだと信じています」
今後、取り組んでいきたいこと。
それは、”皿うどんの会”のようなこと。
東彼杵町のsorriso risoに集うメンバーで、ミーティング時に”皿うどんの会”というのを行っている。言葉だけだと堅苦しくなりがちな打ち合わせを、食卓を囲みながら行うことで和気藹々と、円滑に進める。いろんな考えを持った人間が”ごった煮”になって考えるという意味で、皿うどんを出すというのがまた面白い。佐野さんも、その取り組みがとても羨ましいと言う。
佐野「本当は色々な地域の方達と社会を創っていきたい。だけど、そこに入らせてもらえないのではと考えて、尻込みをする人は多いと思います。でも、決してそれだけではないと考えていて。例えば、お話にあった”皿うどんの会”に入りたいなと思っていても、その存在自体が目に入らないということも多くあると思います。その存在があるということに気がつくような取り組みをしていきたいし、可視化していきたい。その人たちと一緒に皿うどんの会を作って、何なら全然聞いたこともないような新しい皿うどんを提案するような活動をしていきたいと思っています。大学やゼミでできること、一市民として県内でできること、研究者としてできること。いろいろあると思うんですが、それが長崎だから作れるのが皿うどんなのかもしれないし、全く別の新しい何かを作るということでも良いと思うんです。名前をつけるところから始めて、色々なレベルで、いろいろな仲間で、システムを創っていきたい」
社会の可視化を行うには、自身の経験を言語化し、相手に語ることによって生まれるのだ。
佐野「逆を言えば、経験の言語化をして語らない限り相手も反応できません。なので、対話をしながらそこでどんなことばが生まれてくるのかを、色々なレベルで見ていきたい。それが、”多文化共生社会”をつくるということなんだろうと考えています。その小さいプロセスが、つまるところ社会や町をつくっていく。私の専門である日本語教育、ことばの教育というのが元なのですが、その延長線状にある社会をつくるということが、私のゴールです。この活動によって、”まちのことばをつくる”こともできるし、”まちがことばをつくる”こともできます。ことばが社会をつくっていく。一見、やってることが違ったり、目標が違うように見えるかもしれませんが、目指すところは同じなのかなと思っています。ただ、今の私の課題は、今の長崎県のことをまだよく知らないので、そこを知ることからですね」
なぜ、言葉の学びや教育が社会を作ることになるのかと尋ねられることも多い。
佐野「よく質問されるんですが、それはこのような対話をするプロセスそのものが社会を創ることだと思っているからです。今この取材を受けている瞬間もそうですし、対話の中でこのような取り組みをして表現したいと思い描くことができます。その過程があるからこそ、人は行動して社会を創ることができます」
嗚呼、伝えるって難しい。自分の感情を、言葉というフィルターを通した途端に枠にはまって定型的になってしまう。言葉は、なんてもどかしいのだろう。だけれど、私たちは言葉に縛られながらも、言葉を尽くして相手と向き合い、自分と向き合って社会を創造していく。これまでも、これからだってそうだ。「人を育てるという仕事がしたいとは思っていたのですが、改めて人生を振り返りながら話してみると気がつくこといっぱいありますね(笑)」と語る佐野さんの言葉は、まさに経験の言語化として正鵠を得ている。相手に伝えようと言葉を紡ぐ時、それは自分自身にも伝わるのだ。人民の人民による人民のための社会は、今も各地で対話によって創り出されている。