長い人生の旅は、心がときめく方へ進もう。『スパイス研究家 溝端裕子さん』

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“天真爛漫”という言葉は彼女のためにあると思えるほど、屈託のない明るい笑顔がとてもステキな溝端裕子さん。大阪出身の彼女は24歳で小値賀島へ移住し、地域おこし協力隊の一員として『小値賀島のピーナッツカレー』を生み出した方でもあります。

そして2022年1月からは私たちくじらの髭の店舗にてそのぎ茶と数種類のスパイスを使用した『そのぎチャイ』の販売が始まっており、裕子さんには約1年にわたって商品化に携わっていただきました。

この記事では、旺盛な好奇心と軽やかなフットワークによって紡がれてきた裕子さんのこれまでとこれからのこと、そして2021年から住んでいるドイツでの新生活についてお届けします。

大好きな飴とカレーブック

裕子さんは大阪府岸和田市の出身。岸和田といえば血気盛んなだんじり祭りのイメージがありますが、裕子さんの住まいはニワトリなどの動物が家の周りで遊んでいるほど、自然豊かで穏やかな場所にあったとか。

のびのびと育った裕子さんが初めてスパイスを意識したのは小学校高学年のころ。料理に対する興味が芽生え、クッキーなどのお菓子づくりに夢中になっていました。様々なレシピを試していくなかで偶然見つけた“シナモンジンジャークッキー”を作ってみたところ、裕子さんに大きな衝撃が走ります。

裕子さん(以下裕子)「私が子供のころ、おばあちゃんが時々買ってきてくれたニッキ飴が大好きでよく食べていたんですよ。それでクッキーを作ったときに、ニッキ=シナモンってことを知ってすごく嬉しくなったんです。それからスパイスって面白いって思うようになって」

その後中学生になってからはバレー部に所属し、町の大会で優勝するほどの成績をおさめながらも、スパイスを使った料理やお菓子づくりに楽しく熱中しました。

更なる運命の出会いは中学校2年生の夏。お母様と出かけた百貨店の一角でアナン株式会社が手がけた『カレーブック(使い切りスパイスのセット)』が販売されていました。燦然と輝く黄色いパッケージに惹かれ手に取ってみると、数種類のスパイスが1つのパックに入っています。あまりの斬新さに心を奪われた裕子さんは、すぐに購入しカレーを作ってみることに。

裕子「それまでスパイスって種類ごとに瓶に詰められたものしか知らなかったから、私にとってはインパクト大なものでした。家でいざ作ってみて、スパイスに火を入れるところからカレー作るのめっちゃ面白い!ってなって。その時にインドの人が作るカレーと日本の人が作るカレーって全然違う、世界中の人たちって日本人と食べてるものが全然違うんやって実感したんです。それから料理に対する興味が一層湧いてきました」

それからお小遣いをもらってはカレーブックを買い求め、ひたすらカレーを作る日々を送ります。やがて公立高校の国際科へと進学し、新たに出会った友達から世界の音楽や文化を教えてもらうにつれ海外への興味が増していったそう。

その後は、特に裕子さんが好きになったラテン系やカリブ海系の文化を学ぶべく関西外国語大学のスペイン語学科へと進学しますが、在学中に始めたアルバイトがきっかけで裕子さんの人生がさらに動き出すこととなります。

ピーナッツカレー開発へ

20歳の頃に裕子さんが始めたのは無印良品でのアルバイト。働いていた店舗では契約農家から直接仕入れた野菜など数多くの食材を扱っていたことや、店舗内にあるカフェのシェフが地方の農家や漁師のもとへと出向くほど勉強熱心だったこともあり、地域ごとに様々な食材が育てられていることを学ぶ経験を積みました。

当初は海外に行くためのきっかけを探していた裕子さん。しかし日本の食文化を学ぶにつれ、海外に行くよりも先に日本のことを学ぶため、大阪を出て他の地域に住むことが大事では?と考えるようになります。そこで上司に相談したところ「試しに鹿児島に行ってみたら?」というアドバイスが。

裕子「いざ鹿児島に行ってみたらすごく面白かったんです。色んなものが大阪とは全然違ってて、人の雰囲気も醤油の甘さも全く違うやん!って感じで、同じ日本でも地域が変わるとこんなに違うんだ、って。それでもっと知りたくなって月に1回は九州に通うほどハマったんです」

大学卒業後も契約社員として無印良品で働き、時折各地を巡る中で「九州に住みたい!」という思いが裕子さんの中で大きくなっていきます。そこで『日本仕事百貨』で九州での仕事を探していたときに見つけたのが、小値賀島での地域おこし協力隊の仕事。島の農産物を使って新商品開発を行う業務でした。

九州で食関係の仕事をしたいと考えていた裕子さんはすぐに行動を始め、福岡から小値賀島まで船で5時間という遠さに戸惑いながらも無事に現地での試験を突破。24歳の秋には移住することとなり、すぐに開発業務を始めます。

小値賀島の名産といえばピーナッツ。すでに以前からピーナッツペーストなど販売されているものはありましたが、「さらなる新商品を」とジャムや焼き菓子などを作ってはみるものの、研究施設の使用制限や予算との兼ね合いもあり、なかなか裕子さんの思うようには進められません。

悩んでいたある日のこと。裕子さんが友人と朝4時まで飲み会を楽しみ自宅へ戻っていた道すがら、たまたま軽トラックで通りかかった知り合いから「友達が五島で宿をオープンしたから、今から遊びに行かない?」との誘われ、そのまま船で向かうことに。

五島に到着して宿を訪ねたところ、まさかの出会いがありました。裕子さんが大好きなアナン株式会社の商品が売られていたのです。宿のオーナーと話していくうちにアナン株式会社には料理教室や商品開発などを精力的に行っているメタ・バラッツさんという人がいること、そして2週間後にはバラッツさんが広島の尾道でスパイス講座を開くことが判明しました。

裕子「それから尾道に飛んで行って、バラッツさんにお会いしたんです。すぐに意気投合してそのまま飲み会に(笑)。そこで中学生の時からずっとアナンが大好きってこと、小値賀のピーナッツのこと、新商品づくりが上手くいってないこと、そしてバラッツさんに一緒に協力してくれませんかってことをお話しました。私にとって本当に人生で忘れられない夜になったんです」

それからはピーナッツを活用したカレーを作るべく活動を開始。裕子さんがかつて衝撃を受けたカレーブックのようなインパクトのあるものを作りたいと考えるようになります。構想を練り、自治体へのプレゼンを行いましたが最初は案が通りませんでした。

裕子「本の形やったら小値賀の情報もたくさん載せられるから、商品を手に取った人が小値賀島に行きたくなるきっかけづくりが出来ればいいなって考えたんです。でも初めてカレーブックの説明を聞いた人からすると正直戸惑いがあったやろうし、私の伝え方も足りないところがあったかなって。だけど時間もないし、せっかくのチャンスやからバラッツさんがいる鎌倉へアドバイスをもらいに行きました」

行政との活動や商品開発の経験に富むバラッツさんのもとへ何度も通い、アドバイスをもとに幾度もブラッシュアップを重ねたピーナッツカレーは、小値賀町の方々から太鼓判が押されようやく実現。いくつもの新聞に紹介記事が掲載されるほど大きな話題を呼ぶこととなりました。

裕子「今となっては小値賀島に行って良かった、改めて日本って広いなってすごく思います。島に行ったことで、それまでと考え方が180度逆転するって感覚を味わえました(笑)」

心機一転、ドイツでの生活

裕子さんは2021年からドイツのベルリンで生活を送っています。小値賀島に住み始めてから新たに興味が湧いてきたことを学ぶための移住だとか。

裕子「海ゴミなど環境問題のこと、それとスパイスだけじゃなくハーブにも興味が出てきて。どちらも勉強できるのがドイツやったんですね。それで下見がてら3年前にドイツへ行ったときに、皆が当たり前のようにプラスチックじゃないバッグを使っているとかフードロスへの対処とか、環境への配慮が身体に沁みついているんやなって感じて。それでやっぱり住みたいって思うようになったんです」

ベルリンでは料理関係の仕事と勉強を両立しつつ新しい友人も増え、国際感覚が磨かれているそう。先日は裕子さんの念願だったポルトガルへ旅行し、立ち寄ったワイン屋さんでオーナーと意気投合。「一緒に何かやろう」と誘われ、後日スパイスおでんを作るイベントを敢行しました。

裕子「ポルトガルでは魚やすり身を食べる文化があるし、ワイン屋さんでのイベントやからカレーよりはおでんが良いやろうって。すごく楽しかったので、新型コロナの状況を見つつこれからも月に1回くらい開催できたら良いなって思っています」

明るく魅力的な人柄で、人も運も惹きつけてやまない裕子さん。大きく広がる世界を渡り歩く裕子さんの人生の旅がこれからどうなるのか、ますます楽しみです。