生きてる味噌を食卓へ。 大渡商店3代目・大渡康平さん

取材・文

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味噌汁にハマっている。自炊の食卓のおよそ半分には、味噌汁が乗っている。

たいていどんな具材を入れてもおいしい。王道の豆腐とわかめもいいし、トマトの酸味をきかせてもいい。染み染みのカブやナスや大根も絶品だし、あさりやしじみの出汁をきかせてもいい。キノコ類との相性は、言うまでもなく最高だ。

多少の異論はあるだろうけど、こうした味噌汁そのものの包容力を疑う人は、まずいないんじゃないだろうか。

それからもうひとつ、ぼくが味噌汁にハマった理由がある。東彼杵町内で唯一の味噌屋、大渡商店3代目の大渡康平さんと出会ってしまったことだ。

はじめて会ったとき、康平さんはぼくにこんなことを教えてくれた。

「味噌は何種類か買っておいて、食べ比べると楽しいですよ」

それまでは常時1種類の味噌を冷蔵庫に保管し、使い切ったら次、という買い方をしていた。気に入れば続けて同じものを買うこともあるし、別の味噌を試すこともあるけれど、同時に複数の味噌を買って保管しておくことは今までなかった。

さらに康平さんは、「あくまでうちの考え方だけど」と断りを入れたうえで、味噌は混ぜてもおいしいんです、と言った。これまた経験のないことだ。

後日、大渡商店の味噌と、スーパーに並んでいた味噌、旅先の東北で見つけた味噌をそれぞれ買い、言われた通りに食べ比べたり、ブレンドして味噌汁をつくったりしてみた。

いやあ、これがおもしろい。こんなに味噌の個性って違うんだ!と気づけるし、体調や気分に応じて味噌を使い分けるようになった。合わせたい具材の想像も広がるから、食べ切ったそばからまた次の味噌汁をつくることになる。

大げさではなく、日々の楽しみがひとつ増えた。

今回は、そんなきっかけをつくってくれた康平さんにあらためて話を聞いてきました。味噌づくりのこと、けっして楽観視できない味噌屋さんの現状も。少しでも知って、興味を持つきっかけになったらうれしいです。

五感でつくる味噌。

東彼杵から川棚へ向けて県道205号を走っていくと、海沿いの通りの右手に看板と味噌樽のオブジェが見えてくる。駐車スペースがあり、手前が大渡商店の事務所と直売スペース、裏手に工場や倉庫が並んでいる。

まずは康平さんに工場を案内してもらうことに。

最初に見せてもらったのは、室(むろ)と呼ばれる部屋。ここで麹をつくるという。

大きな木箱で麦を一晩寝かせたあと、モロブタという浅い木箱に移し替え、36時間ほどかけて微生物を繁殖させる。

その間、40度前後の室温と60〜80%の湿度を保つ必要がある。仕込みの時期には1時間おきに室を訪れて状態を確認するため、2〜3時間睡眠の日が続くそうだ。

「ほんとはね、機械をポチって押して全自動でできるのが一番いいんです。でもうちはアナログなので、換気扇とかエアコンとか扇風機を使いながら管理しています。冬場は冷えるし乾燥するから、ストーブの上にやかんを置いて入れたりね」

アナログならではのよさも、あるんでしょうか。

「うちの場合は、ほかのつくり方を知らない、というのがまずひとつ。機械も父の代に知り合いの鉄工所に頼んでうちのラインに合わせてつくっているから、既製のものがなかなか合わないというのもありますね」

「そういう仕方ない面もあれば、自分の目で見たり、触ったり食べたりしながらつくりたい気持ちもあります。たとえば、室から出した麹は翌日に大豆や塩や水と混ぜるんですけど、麹の状態が感覚的にわかっていると調整しやすい。昨日乾燥してたから水を加えたほうがいいなとか、塩の加減とか。そのときのベストを探りながら商品化していくような感じです」

添加物や化学調味料は使わず、原材料となる大豆も麦も、国産にこだわっている。塩は長崎の天然塩。なおかつ、麹は手づくり。

あのやさしい味わいは、こうした手間ひまやこだわりのうえに生まれていることを実感する。

「儲かる商売」と試練の日々。

康平さんの祖父母がはじめた大渡商店。もともとは農家で、リアカーを引いて野菜や調味料を売り歩くところからのスタートだった。

味噌と味噌漬けに絞って商売をはじめたのは、お父さんの代から。創業して60数年になる。

そんな家に生まれた康平さんは、小学生のころからお店に立ち、イベントについていっては試食をお客さんに渡す手伝いなどもしていた。

きっと自分がこの仕事を継ぐのだろう。そんな想いは、幼いころからどこかにあったそうだ。

「工場が遊び場だったので、味噌漬けの小さいやつを樽からとって食べたりして過ごしていましたね。当時は従業員さんも10人ほどいて、イベントに持っていったものは全部売れて帰ってくる。福岡と佐賀にも店舗を構えて、味噌と味噌漬けだけで億を超える年間売り上げがあって。子どもながらに『うちの商売って儲かるんだな』と思っていました」

ただ、一度は家を離れてみたかった。そこで大阪のバイオメディカル専門学校に進学。そのまま都市部で働こうと就職活動をはじめたものの、両親に呼び戻され、21歳で地元へ帰ることに。

部活動の忙しかった高校時代と外に出ていた専門学校時代、康平さんは家業の様子をほとんど知らなかった。

いざ戻ってみると、従業員の数は半分以下に減り、イベントに出店しても売れ残りが出る。6年ぶりに目にした大渡商店は、明らかに「儲かる商売」ではなくなっていた。

そんななか、お父さんのもとで味噌づくりの日々がはじまる。

「父親と話した記憶はあまりないんです。製造に関してああしろ、こうしろとは言われなかったですけど、何か一言でもしゃべったらすぐ喧嘩になるような感じで」

感覚が頼りのアナログな味噌づくり。データやメモも残っていない。

言葉は交わさず、見様見真似でひたすら手を動かす。いつしか、お父さんのそれとはまた違う、康平さんなりの味噌づくりの方法論が形になっていった。

ただ、依然として経営状況は厳しい。道の駅に卸したり、商品の企画を考えたりするものの、根本的な解決にはなかなかつながらない。

そこへ2017年、九州北部豪雨が発生。福岡・朝倉の店舗が被災し、突如閉店を余儀なくされた。

商工会や地域の仲間たちの協力を得て在庫を売り切り、なんとか再スタートを切ったものの、今度は追い討ちをかけるようにお父さんが他界。康平さんは急遽、3代目として跡を継ぐことになった。

「経営とかお金まわりのことはほとんど父がやっていたので、右も左もわからないまま引き継いで。豪雨被害からの傷跡を今も負いながら、ごまかしごまかし続けているような状態ですね」

生きた味噌は、どうすればつくり続けられるのだろう。

試練続きだった2017年をくぐり抜け、経営をはじめて4年半。

康平さんのハキハキとした口調からは、あまり悲観的な印象は受けない。むしろ、やれるだけのことはやってきたというような清々しさすら感じる。

とはいえ、このままではいつか限界がくる。何か新しい打ち手はないか、今まさに模索中なのだとか。

「Web販売の整備だとか、容器の変更だとかは、確実に必要な部分。あとは、うちの味噌を使ってもらえるところを探していて。ずっとやりたいのは、町内の学校給食なんです。毎回じゃなくていいから、『今日は大渡商店の味噌を使った豚汁です』とかね。子どもたちに食べてもらえたらうれしいですよね」

いいですね。

大渡商店の味噌って、ぼくの印象ではやさしいイメージがあって。幼いころからそういうものを口にしていたら、子どもたちの成長にもどこかで影響するんじゃないかと、そんな気がします。

ちなみに、個人的にはちょっと胃が疲れてるときとか、濃いめのおかずと合わせるときに大渡商店の味噌を使いたくなるのですが。康平さんがつくりたいと思うのは、どんな味噌なんでしょうか。

「コンセプトとか、そんなかっこいいものではないですけど、うちには“生きてる味噌を食卓へ”って言葉がもともとあって」

生きてる味噌を食卓へ。

「“生きてる”っていうのは、無添加で、熱も加えてませんよと。余計なことをしないということです。それなりにいい材料を使って、安心して食べられる、昔ながらの味を守っていきたい」

“食卓へ”のほうは、気軽に手にとれるように、という意味。…それにしても、1kg500円(税別)って安すぎませんか?

「安いですよね。でもぼくが帰ってきた当時は400円だったんで、これでも100円上がっているんです。まわりが700〜800円で売っているのを見て、それぐらいでもいいのかなと思いつつ。まあ、そもそもは父親のどんぶり勘定からはじまってるんですけどね」

康平さんの話を通じて、時折お父さんのちょっと不器用なやさしさが顔を覗かせる。そしてそれは、康平さんにも受け継がれているように感じる。

「うちのスタンスとして、よその否定は絶対にしないようにしていて。そこにはやっぱり、つくり手それぞれの苦労があるわけですから。うちとしては、つくり方のこだわりとか想いを伝えて、一回食べておいしいと思ったらまた手にとってもらえると、うれしい。そういう姿勢はずっと変わらないし、変われない部分でもあるのかなと思います」

うちのもいいし、よそのもいい。食べ比べたり、混ぜたりしながら、親しんでほしい。

そんな康平さんの価値観は、大渡商店の味噌に表れているし、元来味噌は、そうした包容力の塊のような調味料だと思う。

それならたとえば、ジェラート屋さんのように、いくつかの味噌屋の味噌が並んでいて食べ比べたり、ブレンドしたりできる味噌汁スタンドはどうだろう?

あるいは「味噌屋がつくる味噌ラーメン」を出すお店ができないか。この事務所を改装して、味噌樽を並べて立ち食いスタイルにしてもおもしろそう。

勝手に妄想をしゃべっていたら、「で、誰がそれやるの?ってところでいつも止まるんです」と康平さんが笑った。うん、たしかに…。

でも実際、このサイトでも紹介している「ラーメン砦研究所」には、大渡商店の味噌を使ったメニューがあったり、先日オープンした「uminoわ」では、サバ味噌スープを出していたりと、コラボレーションの輪は少しずつ広がってきている。

もし、この記事を読んで、味噌を使って何かはじめたいと思った方がいたら、ぜひ大渡商店に連絡してみてください。味噌汁スタンドか、ラーメン屋か、はたまた別の何かか。きっとできることはまだあると思う。

これからも、生きてる味噌を食卓へ届けるために。大渡商店の日々は続きます。

「みせ」の記事は下記からご覧ください。