東そのぎに明るい活気をもたらした立役者。『株式会社彼杵の荘』 代表取締役 岡﨑省三さん

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毎日多くのお客さんでにぎわう『道の駅 彼杵の荘(そのぎのしょう)』。地元住民から観光客まで年間およそ40万人もの人が訪れる大人気スポットです。2015年には優れた地域活性化の大きな拠点であるとして、国土交通大臣から“重点”道の駅に選定されました。

株式会社彼杵の荘の代表取締役である岡﨑省三さんは、焼き鳥屋の経営を経て彼杵の荘を開業。それからおよそ20年にわたって、多くのスタッフと共に東彼杵町の活気を担い続けています。

本当に頑張れば、どがんかできる

省三さんは東彼杵町のお隣、川棚町で7人兄弟の末っ子として生まれました。3歳の頃に父親が亡くなり、母親から女手一つで育てられたそう。やがて長崎県立川棚高等学校へと進学し「君たちが3年生になる時に第1回長崎国体が始まるぞ」と先輩から誘いを受け、国体に出るのも面白そうだとすぐにホッケー部へと入部。毎日のように汗を流し活動に熱中しました。

川棚高校は当時全国的にも名をとどろかすほどのホッケー強豪校であり、国体の優勝候補とされていました。そしていざ国体が始まり、順調に勝ち進んでいくなかで省三さんにとって人生に関わる大きな出来事が起こります。

チーム全員の高まっていた士気がいつの間にかほころび始め、その隙をつかれて準決勝で敗退。3位決定戦に出場することとなりましたが、それまで優勝を確信していたチームメイトの精気が抜けてしまっていると省三さんは感じていました。

やがて試合が始まっても皆の動きが鈍く、展開が一向に進まないまま。そこで攻撃するフォワードポジションだった省三さんは腹をくくり「とにかく俺にパスを回せ、俺がどがんかする(どうにかする)!」と仲間をリードすることに。果敢に攻めまくった結果見事に勝利し、3位となりました。

省三さん(以下省三)「この出来事があったけん『どがんかせんば』っていう状況が降りかかってきたときに『本当に頑張れば、どがんかできる』っていう……それが人生のなかで一番の自信に繋がった。それからずっと長い間この自信が自分の中にあるとよ。全てにおいて、これが原点になっとる」

川棚から大阪、そして東彼杵へ

将来は高校の先生になりたいと考えたこともありましたが、女手一つで育ててくれた母親や、応援してくれる兄弟にこれ以上の迷惑はかけられないと大学進学を断念。そこで、高校卒業後は「自分で何かやってみよう」と考えを切り替え、地元で就職することに。

しかし胸の内にくすぶる想いは抑えきれず「都会に行けば何か掴めるかもしれない」と思い切って大阪へ。すでに大阪で働いていた兄のもとに居候しながら調理師学校へと1年通い、その後はバーや会員制レストラン、飲食店などで働き10年の月日を過ごしました。

やがて川棚に残した母親のことが気にかかり30歳で帰郷。川棚で焼き鳥屋を始めようと動きましたが思うようにいかず困っていたところ、高校の頃の先輩から「東彼杵町に良い空き物件があるけど、どう?」と声がかかったことをきっかけに話が進み、店を開業することとなりました。

焼き鳥屋がオープンし5年ほど経ったころ。現在自宅が建っている土地が売りに出されていることを知りすぐに購入、店を移転しました(岡﨑さんが“東彼杵で一番良い場所”と以前から思っていた所だったそう)。

そんなある日のこと。当時じわじわと全国各地に広まっていた道の駅についての話を耳にし、興味が芽生えた岡﨑さんは暇を見つけては様々な道の駅へ出向くように。お客さんがあちこちからやって来ることや、農家など地元の人たちの収入がアップする手段の一つになっていることを知ります。

省三「何度も訪れるうちに『これは面白い、今後伸びてくる事業だ』と。そこから道の駅に対する思いが大きく膨らんでいきました」

省三さんが悟った生き方

いざ道の駅オープンに向け活動を開始した省三さん。ぜひ出品に参加したいと応援してくれる農家や業者がいる一方で、「あんたのとこにうちのものを出せるか」「どうせ2、3年でつぶれるやろ」と厳しい声を浴びせられることも。歯がゆい思いを抱き、我慢に我慢を重ねました。

やがて2001年に『道の駅 彼杵の荘』が開業。最初の3年は赤字経営だったものの、次第に商品の数が増えて売上も伸びていき、4年目にようやく黒字に乗り上げました。彼杵の荘がオープンして20年、業者やお客さんなど数多くの人と関わるなかで省三さんの考えが変わる瞬間があったそう。

省三「目の前でひどいことを言われることもあって『よし、今に見てろよ』って歯がゆい思いを抱くこともあったよ。この前まで応援してくれよった人が急に足ば引っ張りだした時は寂しく思ったしね。ずっと我慢を重ねとったけど、ある時に『これは激励のひとつの形なのかもしれん』って考えが切り替わって、すごく楽になった。いろんな思いを経験することで人間ってもう一丁強くなれるんやなあって。人生、生きてると必ずそういう時期がやってくると思う」

それでも何かに行き詰まったときや悩みが生まれたとき、省三さんが行っていることがあります。それは年代や性別に関係なく、様々な立場の人に相談すること。例えば教育関係者や政治家、会社の経営者などその分野ならではの考え方やその人自身の生き方を聞き、あらゆる角度から物事をはかることで答えを導いています。

省三「色んな立場の仲間がいるから『この人やったらどう考えるかな? どう行動するかな?』って話を聞きに行くね。何人かの話を聞いているうちに『こういうことやったらこの方向が正しいんだ』って答えが分かってくる。気を遣って自分にとって心地良い答えを言ってくれる人じゃなく、その人の物事の見方とか捉え方を単刀直入にそのまま言うてくれる仲間ば作っとかんとね。それと『自分やったらこうする』って頭の中である程度決めとったとしても、相談相手の答えが自分と違っていた時は相手の意見を聞き入れた方が正解やったことが多かよ」

そして省三さんには“間違いのない一つの方法”があります。何か行動を起こすとき“これが人のためになるのかどうか”をよく考えることです。

省三「この行動が人のためになるかどうかを考えて『誰かのためになる』ことにつながれば、大体うまいこといく。自分のわがままで自分のためだけの行動はあんまり良うなか、失敗するよ。人のためになるか否かをよく見て、行動を起こした方が良いかどうかを決める。人のためになることはうまくいくから、判断の一つの基になっとるね」

ぼう大な経験から悟った人生の金言をたくさんお話してくださった省三さん。インタビューのさなかにこんな質問をしてみました。

―省三さん、あと何年くらい働きたいと考えていますか?

省三「生きとる限り!」

みせについての記事は、以下をご覧ください。