東京から東彼杵へ。粋な夫婦が織りなす、“便利な田舎”でやりたい人と、人とを繋ぐこと。『さいとう宿場』店主・齊藤仁さん、晶子さんご夫妻

取材・文・編集

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早いうちに会社員生活をやめて、自分のやりたいことを、自分の好きな場所でやりたい。そんな第2の人生を考え、東京から移住してきたのが齊藤仁さん、晶子さんご夫妻だ。人を受け入れてくれる風土と、自然とのバランス、タイミングや縁が重なってこの地に来て、地域おこし協力隊の活動を経て2019年8月1日に『さいとう宿場』をオープンさせた。

50歳を節目に早期退職。
『第2の人生』への想いと行動

夫の仁さんは高校まで大阪で、大学から。妻の晶子さんは生まれも、育ちも。夫婦ともに、これまで東京で仕事をし、生活を送ってきた。

仁「乃村工藝社という会社でずっと働いてきました。店舗やお店の企画・施工する会社です」

乃村工藝社といえば、日本の大手『店舗施工・ディスプレイデザイン会社』だ。主に、博物館等の展示空間や、博覧会等のイベント空間、商業空間等の企画・デザインや施工を手がけている。

仁「名古屋、仙台の『アンパンマンこどもミュージアム』の設営にも携わりました。こう言えば、イメージが湧きやすいですかね(笑)」

2人は、東京で出会って結婚し、夫婦となってもお互いに働いて生活を支えてきた。いたって順風満帆。だが、仕事を続ける中で50歳を機に早期退職をすることを決意した。

仁「『第2の人生』を考えた時に、50歳という節目で会社員人生に区切りをつけようと思いました」

晶子「もともと海が好きでした。ヨットやダイビング。マリンスポーツには何かしら手を出していて、将来的には海の近くに住みたいという夢がありました。会社員生活を終えてからの定年後の人生が長いので、働けるだけ働いておいて、早めに早期退職してどこかへ移住したいと。そう考えた時、60歳になってからだと移住に対して足が重くなると思いました。また、移住先でも生活の基盤を早めに作るに越したことはない。そうして、40代のうちにどこかへ引っ越そうと決めるに至りました」

とはいえ、移住先となる場所も何も決めてはいなかった。

仁「とにかくやめちまえということで(笑)。ちょうど会社の区切りも良いんで、2人とも2016年の3月末で同時に辞めて。そこから、4月から8月くらいまで、合計32市町をぐるぐると回っていました。四国に行って、戻ってきて。次は、北九州に行って、戻ってきて。そのあとは、南九州や、八重山諸島の宮古島へ行ったり。九州ですと、日南町や日向町、糸島など。四国は高知、徳島。東京有楽町にある『故郷回帰センター』に通って、各県のブースで話も聞きました。要望は、暖かくて、ロケーションで海が見れる場所でした。そうして、移住場所探しで訪れたそのうちのひとつが、長崎県の東彼杵町だったんです」

一番ピンときた町、東彼杵町。
便利な田舎、お茶とくじらのまち

長崎県は、もちろん2人にとって縁もゆかりもない土地だった。なぜ、東彼杵町に興味を持ったのだろうか。

晶子「はじめは、『千綿駅』を見てみたくて行きました。たまたま、雑誌で見かけて知ったんです。そして、東彼杵町役場の人に移住相談をした時、人柄が良くて、海や山の自然が豊富で。空き家バンクの登録もできたし、何となくこれから発展していく町だという雰囲気を受けました。」

仁「現在営んでいる『さいとう宿場』がある場所も、移住検討当時は空き家だったんですが、借りられるかわからなかったけど、移住したらこの地を借りられたら良いなと思いながら。あとは、お茶とくじらの町というのも面白いなと(笑)」

見てきたそれぞれの町に魅力がある中で、唯一全ての条件が揃っていたのが東彼杵だった。そして、実際に移住してきて6年の月日が流れた。暮らしで感じたことは何だろうか。

晶子「東彼杵町は、一言で言うと”便利な田舎”なんですよね。長崎県の主要空港から車で20分で着きます。隣町の大村市に行けば買い物もできて、だけどここは自然豊かな田舎で。そして、前に住んでいた場所は歩いて役場まで行けたし、道の駅も図書館も、ジムも全て歩いて行ける圏内でした。友人たちは、山の中の奥地を想像します。でも、来てもらうと街から近い、自然豊かな地のちょうど良さを感じてもらえています」

東京にいる同僚や友人たちと離れての誰も知り合いのいない生活。その点において、田舎暮らしの寂しさなどはなかったのか。

仁「東彼杵町は、そういう人脈を作る上で不安を感じさせない町でした。きたら受け入れてもらえる雰囲気があり、あまり気にしていなかった」

晶子「地域再生に向けて動いている人がいて、宿を始めた時に交流人口が望める気がしました。自然とのバランスも良かったし」

移住先駆者だから語れること。
齊藤夫妻の”移住のすすめ”

そんな、齊藤夫妻が東彼杵町に来てやりたかったことが、”便利な田舎で人と、人とを繋ぐこと”だ。実際に、宿泊しにきた移住検討者から相談を受けたり、町のおすすめスポットを紹介したりして繋げている。”移住のすすめ”について伺った。

晶子「移住先に何を求めるかにもよると思うんですが、これがなきゃダメだというものが特にないのであれば、来てくれた人に移住の良さや町の魅力などを伝えるようにしています」

仁「自分がどうしたいのか、はっきりしている人が移住に向いていると思います。単純に、都会が嫌だから田舎でのんびり暮らしたいというのが理由だと、人付き合いはこっちの方が激しくなるので、付き合いが苦手な人だと逆に嫌になってしまうこともあるかと思います」

晶子「都会だと、お金を出せばやってくれる人がたくさんいるけど、こっちではやってくれる人がいないから何でも全て自分たちでやらなければならない。となると、おのずと忙しいです。それでも、外の人たちと関わらずに、田舎暮らしを楽しんでいるという人の話も聞くことがあります。だから、いろいろな選択はあるかと思うのですが」

ここで、移住先で暮らすことへの寂しさや不安といった話に戻るが、移住の際には『地域おこし協力隊』の検討もお勧めだと言う。3年間という任期だが、実際に仁さんは協力隊に応募して採用され、2019年11月で任期満了、引退という経歴がある。

晶子「協力隊に参加すると、肩書きがもらえます。役場などでも、知らない人間ではなくて身分が保障されるので、その地域のコミュニティに入る時などは便利です。初めての移住だったり、全く知らないところに来るのであれば、この制度を利用してみるのも手だと思います。

仁「そこで、やりたいことも見つかるかもしれないし、役場の人から色々と紹介してもらったり話を聞けたりできるので、そういうところに行くきっかけは掴めます。ただ、協力隊に対して、その年その年で町が求める人材は異なります。私はたまたま縁あってマッチできたから良かったけど、マッチしなくて募集に全然来なかったりとかあるので、合う合わないを見据えて応募した方が良いかと思います。全く違う内容で行っても、厳しいだけなので」

人混み、満員電車、休日の渋滞。都市部に住むと、避けて通れないのが人の煩わしさだ。この環境が心地よい人もいれば、静かな地で穏やかに暮らしたい人もいる。また、地方にしかない魅力を活かし、自身の中で何かやりたい、何かを発信したいというビジョンを持つ人もいるだろう。そうして、東彼杵町へ興味を持った方は、ぜひ齊藤夫妻を訪ねてみてほしい。移住先駆者として、東彼杵町のキーマンとして、きっとあなたの想いをサポートしてくてくれることだろう。

そして、「もっと東彼杵町を知ってもらいたい、好きになってもらいたい」という思いで、齊藤夫妻が発起人となって2022年4月より新たにスタートした取り組みがある。それが、東彼杵”観光”特化型WEBサイト『くじらの旅チャンネル』だ。

https://kujiranotabi.com

このトップページを見るだけで、すでに東彼杵を旅してみたい気持ちでワクワクしてくる。詳しくは、近々公開予定の「もの」記事をぜひご覧いただきたい(もう少々、お待ちを)。

みせについての詳細は、以下の記事をご覧ください。