東そのぎICの交差点から南へ100mほど。ここに、緑の屋根とポップな看板が目印のレストラン『taihaku』があります。
なぜか著名人のサインや写真がずらりと並んだ店内で腕を振るうのは、店主の大西一男さん。「ひと」の記事では、その半生や人生哲学を追いました。
今回はtaihakuという「みせ」に焦点を当ててご紹介します。
とはいえ、大西さんの思想とこのお店は、切っても切り離せないもの。並行するもうひとつのストーリーとして、合わせて読んでみてください。
器から料理へ。
波佐見町出身の大西さんは、お父さんが立ち上げた会社で長く焼き物の卸営業をしていた。その第一線を退き、taihakuの運営に関わるようになったのは15年ほど前のこと。
開店当初は、奥さんと妹さんが中心となってお店を切り盛りしていたそうだ。
料理の知識や技術は、焼き物の営業をしていたころ、卸先の割烹旅館の仕事を手伝いながら身につけたという。
オープンから50年間不動の人気がある焼肉定食をはじめ、陶器で炊いた鯛の釜めしや唐揚げ、天ぷらや刺身の定食、くじらのコース料理や要予約の御膳など。看板には”ファミリーレストラン”の文字もあるけれど、割烹のような料理も多く、その品数とバリエーションの豊富さには驚かされる。
お店も広々しているし(全体でおよそ800坪…!)、最近では仕出しの注文も増えていて、一度に100食以上つくることも。
それだけのことを短時間でまかなうって、なかなか大変じゃないですか?
「うちは調理器具にはかなり投資をしていて、ホテル並みの機械が揃っていると思いますよ。そのうえで、これやったら十分回せるなっていう計算でやっています」
「ふつう」が一番。
焼き物の営業時代のエピソードなども聞く限り、大西さんはたぶん、要領がかなりいい人なのだと思う。
と同時に、ただ単に効率をよくしようと考えているわけでもなさそう。たとえば、こんな話もしてくれた。
「何事もふつうが一番強いんですよ」
ふつうが一番強い。
「料理がおいしくなければ、もちろん食べたいと思わない。ただ、おいしすぎるものは毎日食べられないし、つくるほうも続かない。食べ続けてもらえて、つくり続けられるふつうの料理がやっぱり一番よね」
お店の投資のための借金はコツコツと返し、余裕が生まれたらまたしっかり投資する。料理の味だけでなく、会社の経営も、次第に「ふつう」の状態を大事にするようになっていったという。
50年にわたってお店が続いていることは、その何よりの証明だと思う。
「いつかほら、オリンピックの女子マラソンで2位になった有森さん。あの人の、『たまには自分を褒めてあげたい』って言葉があったやろ? あれはすごく大事なことだと思っていて」
「人って、自分を責めることはしても、褒めることは少ないと思います。自分を信用して、たまに褒めてあげると、余裕が生まれる。余裕があれば、何度失敗しても、いつかは成功につながっていく。それこそ成功の秘訣と言えるかもしれんよね」
ふつうというと、平凡で取り柄がないようにも受け取りがち。何かと比較して価値を見出すような考え方をする限り、ふつうであることに対して、悶々とした気持ちはいつまでも拭えない。
だけど大西さんと話していて、ふつうの捉え方がちょっと変わった気がする。誰しも日常はふつうを生きているのであって、そんな日常に寄り添うふつうな商品やサービスには価値がある。とりわけ、この変化の速い時代においては、変わらない安心感のあるふつうを、人は求めているのかもしれない。
ちなみに、taihakuという名前の由来はなんなんですか。
「うちの苗字が大西で、弟が博之(ひろし)っていいよったんですよ。兄弟仲良くしてくれってことで、大博。たしかに仲良しやったけど、一番喧嘩したね。その弟は、今はもう亡くなって」
そうだったんですね。弟さんは、生前は一緒にお店を?
「うちで板場をしてたのはちょっとの間だけ。ほとんどはホテルの調理長をしたりしてました」
ご妹弟はみなさん、何かしら食に関わる仕事をしてきたんですね。
「うん。なんでかっていうとね、裕福な家庭じゃなかったから。妹もわたしも弟も、手に職を持っとったらなんとかなるやろうと。そういう家だったんですね。わたしも本当は車の設計・デザインをやりたかったんだけど、焼き物をやらなくちゃってことになり。やってみたら、営業っておもしろかよ? おかげでいろんな人に会って、辛さもおもしろさも、たくさん味わいました」
財産には有形のものと無形のものがあって、自分は人との出会いという無形の財産に助けられてきた。大西さんはそう語る。
お店は形あるものだけど、つくり手の込めた想いや、そこに流れてきた時間のように、目に見えないものがつくり出す価値がある。同じように料理も、お腹を満たすと同時に心を満足させるものでもある。
店が長く続くのはなぜか? それは、立地や戦略や料理のおいしさもあるだろうけど、つくり手の経験や思想が支えになっていることも多いのだろうな。
taihakuの目の前に広がる大村湾。ここは、大西さんのお父さんが、地元である山口県下関市の風景に似ていることから、一目惚れして購入した土地だった。
「夕日の綺麗かよ。2階に上がったら、もう抜群ですよ。びゃーんと遮るものがない、オーシャンビューです」
50年続いたこのお店。「もうしばらくは現役を続けたいね」と大西さんは言う。
「久しぶりに行ってみたいな」とか、「気になっていたけれど入れていなかった」という方は、ぜひ一度訪ねてみてください。
穏やかな海を眺めながら、ほっと一息つく時間が過ごせると思います。
「ひと」の記事は下記からご覧ください。