夢を叶えるために必要なものってなんでしょう?
絶え間ない努力。夢を口に出して、周りを巻き込む力。夢は叶うと信じ続けること。
自分の夢を形にしてきた人たちは、そんなふうに語るかもしれません。
今回、東彼杵町にあるTACKというお店を取材しました。インタビューを経て思うのは、夢を叶える人のそばには、その夢を本人と同じくらいに信じて、後押しする人がいるんじゃないか、ということです。
37年の歳月をかけて、自身の夢を形にしてきた店主の仲さん。「この町で生まれ育った子どもたちが、いつか自分の店を持ちたいと思ったときに、背中を押せるような存在であり続けたい」と話します。
今や全国各地、海外からもお客さんがやってくるTACKは、どのようにつくられてきたのか。紆余曲折のストーリーを聞かせてもらいました。

国道205号線と長崎街道がまじわる交差点の一角。役場やスーパー、飲食店などが集まる町の中心地にTACKはある。
毎年GWに開催される茶市では、ここを玄関口にしてずらりとテントが並ぶので、気になっていた人も多いかもしれない。
一歩店内へ入ると、外の空気感からはガラリと変わり、こだわり抜かれた商品の数々に引き込まれていくような感覚に。いったいどんな歴史を刻んできたのだろう?
始まりは商店から
店主の仲さんは、福岡の大学を卒業後、建設関係の仕事をしていた。
結婚を機に奥様の実家がある長崎へ。1988年9月、義父が営む 「やまさき衣料」の支店を 引き継いだところから「TACK」のストーリーははじまる。
ただ、当初は現在のようなアパレル業態ではなかったそう。布団と作業服・制服を半々で扱いながら、近くに海水浴場があったことから夏は浮き輪を販売するなど、地域に寄り添ってさまざまなものを取り揃える商店だった。
業態が変わっていった背景には、小売業を取り巻く環境の変化も関わっている。
当初は布団や作業服・制服などを問屋経由で仕入れていた。ところが、時代とともに問屋の数が減少し、直接仕入れへと徐々に移行。その過程で仲さんが着目したのが、個人的にも好んで身につけてきたアメカジファッションだった。
ただ、その変化のなかでも制服の取り扱いだけは残していたという。当時は東彼杵町内で 学生服を取り扱うお店がTACKしかなく、ここで買えなくなると近隣の学生たちが困ると考えた。仲さんの地域への思いやりが垣間見えるエピソードだ。

「売るな」商売の本質を学ぶ
現在のような業態へ完全に切り替え、「本物志向のアメリカンカジュアルショップ」として再スタートを切る。
そんなリニューアルオープン当日、「さぁ、売るぞ!」と意気込む仲さんへ、義父がかけたのは「売るなよ」という言葉だった。
商売なのに「売るな」って、どういうことだろう?
雄史さん「なぜそんなことを言うのか、わたしも最初はわかりませんでした。義父いわく、『商売は最初から爆発的に売れてしまうと反動もある。じっくり着実に力をつけて少しずつ、少しずつ進む。何より継続することのほうが大切だ。焦らず力をつけなさい』という意味だったそうです。そこまで聞いてようやく、なるほどと」(以下、略称)
売ろうとするのではなく、目の前のお客さん一人ひとりと向き合う。いいものを丁寧に扱っていれば、共鳴する人が買っていってくれる。次第にリピーターが増えて、お店も安定的に経営できるようになっていく。
言葉で書くほど容易くはないけれど、そんなふうに地道に経営の基盤を築き、着実に信頼を積み重ねてきた結果として、今のTACKがある。

今や、オープンから37年の月日が流れる。決して楽ではなかった道のりも、家族一丸となってお店を守り続けた。
雄史「思えば、開業資金もどうして借りるのか分からないところからのスタートでした。商工会へ出向き、一つひとつ教えてもらいながらお金を借り、義父の言葉を胸にコツコツと返していきました」
仲さんにはもうひとり、商売を続けるうえで背中を追っている存在がいる。通りを挟んだ向かいで洋服屋さんを経営している義母だ。 今も現役で、「死ぬまで商売をする」と話しているのだとか 。

開業から10年続く個人商店は1割に満たないとも言われるなか、数十年にわたって存続させることはとてもむずかしい。お金や時間や労力、さまざまなものを注ぎ込んで育ててきたお店は、もはや自分の分身のような存在になっていくのかもしれない。
自身の子育てと、これからの子どもたちへ
お店の話に加えてもうひとつ、尋ねてみたかったことがある。それは子育てについて。
女優・モデルとして活躍する長女の仲里依紗さんをはじめ、3人のお子さんを育ててきた仲さん。お店を続けながら子育てもするのは本当に大変なことだと思うのだけど、その過程でどんなことを考えてきたのだろう?
雄史「親の役割は子どもを応援すること。たとえば、子どもがサッカーをしたいと言ったら、『宿題してからね』ではなく、『サッカーを思う存分してこい!』ゲームをしたけりゃゲームを思う存分したらいい。子どものやりたいことをさせる。これでいいと思うんです」
私自身が子育て中ということもあり、仲さんの言葉にドキッとさせられた。
子どもが無謀とも思える夢を語ったとき、「もっと現実的な夢を」とか、表向きには「良いんじゃない?」と言いつつ、 内心どうだろうか?と心配になる。 子どもの夢を、自分は本気で信じきれているだろうか?

仲さんには「叶えられない」という考えはさらさらなかった。もちろん、本人の努力なくしては何事も叶わないが、親ができる・できないを決めることではない。
我が子が「女優になりたい」と言ったとき、仲さんがかけた言葉は、「とにかくやってみろ!もしダメだったときは帰ってこい」懐の大きさを感じる言葉だった。
ただ、16歳になったばかりの娘を一人送り出すのには、親の覚悟も必要だったと当時を振り返って語る。
雄史「応援する気持ちしかないけど、内心は心配でした。そりゃ大切な娘なので。」
そう語った瞬間、仲さんの表情がふっと和らいだ。
自分で事業を立ち上げ、続けていく厳しさは誰よりも知っている。心配にもなるけれど、それでも思い切って送り出す仲さんなりの愛情があったからこそ、子どもたちの秘めた可能性を最大限に活かすことができたのだと思う。
夢のお手本
里依紗さんは、自身の展開するアパレルブランド「Re.」の本店所在地を東彼杵町に置いている。両親や祖父母が住む地元に貢献したい」との想いから、そうしているのだそう。
小さな町で生まれ育った大人が、こんなふうにかっこよく活躍している姿は、 地元の子どもたちをはじめ、多くの人たちに夢を与えるのではないだろうか。

「職業、仲里依紗」この表現にもハッとさせられる。これからの時代、既存の職業にしばられることなく、ほかの何者でもない自分自身として生きる姿勢を、里依紗さんは表現している。この言葉もまた、ご両親の我が子の夢を応援する気持ちが土台となって出てきたものなのかもしれない。
若い世代が貪欲に挑戦できる環境をつくる
また、TACKの存在が周辺の道の駅や店舗にも相乗効果をもたらしている。今では九州各地、さらには海外からもお客さんが訪れるようになった。
雄史「自分たちだけが繁盛するのではなくて周囲の店にも足を運んでもらえるようにと 願いながら商売を続けています。なんと言っても37年間、この土地で商売をさせてもらってきたので。これからは地域に根差しながら、次世代へ夢を与え続けるお店でありたいです」

雄史「この町で生まれ育った子どもたちが、いつか自分の店を持ちたいと思ったときに、背中を押せるような存在であり続けたい。そのために、今できることを一歩ずつ、積み重ねていけたら」
本質的に地域に貢献し、人々に夢を与え続ける。そんなあり方を探究する、厳しくもあたたかい仲さんのお店づくりは、まだまだ終わらない。