
「わぁ。まるで海外に来たみたい!」
この一言でどんな場所を想像しますか?
ヤシの木が生えるビーチ?レンガ作りの建物が並ぶ街並?アルプスのような山並み…?
私がこう感じたのは、なんと彼杵町にあるスーパー『大川ストアー』さん。
町の生活を支えるスーパーでありながら、今や利用者の7割が観光客を占める人気の観光スポットでもあります。
そんな大川ストアーの始まりは小さなお豆腐屋さんだったのだとか。
この逆転劇にはどんなストーリーがあるのか、3代目店主の大川洋一さんにお話をお聞きしました。
「俺がこの町で一番にバイクを買った。」大川豆腐 開業の軌跡

もともと炭焼きを仕事にしていたという初代の大川泉さん(以下:祖父)。
なんと小学3年生の頃から山で炭を作っては、それを担いで町に降り、お客さんに売って生活費を稼ぐような日々を送っていたそうです。
しかし、炭焼きでの生活は厳しく、後に奥さんとなる祖母の実家がやっていた豆腐屋さんに修行に入ることになります。
ここから、現在の大川ストアーに繋がる「大川豆富」の歴史が幕を開けました。
洋一「意を決し、山から町に降りて豆腐屋で修業を始めた祖父でしたが、当時は「豆腐屋になったって生活は成り立たないよ」と馬鹿にされることが多かったそうです。もちろん機械なんてない時代。全工程を手作業で行い、大豆を水に浸ける作業は毎日夜中の2時からスタート。冷蔵庫もありませんから、出来立ての豆腐を急いで自転車で運んでいたそうです。最初は舗装されていないガタガタ道を、自転車に豆腐を乗せて配達していたと。でも当然ながら豆腐は崩れてしまうので、豆腐の形に合う缶ケースを自作して運んでいたと聞いています」
洋一「そんな祖父の自慢は「俺がこの町で一番最初にバイクを買った」でした(笑) 自転車がバイクになり、車になり。町で一番だったかは定かではありませんが、毎日ひたむきに働いていた姿を想うと、祖父にとってはとても嬉しいことだったのだろと胸が熱くなります」
祖父・泉さんのひたむきな努力は身を結び、昭和30年にお豆腐屋さん『大川豆富』を開業。
全て手作りで丁寧に作り上げられる豆腐は評判を呼び、町の人に愛されるお店になっていきます。
それから、時代も進み、泉さんの息子さんが2代目としてお店を継ぐことに。

洋一「父は大量消費がスタンダードとなっていた時代背景のなか、「どこにもない商品が価値を生み出す」と、途方もないほどの研究を重ねて新商品を開発していきました。『釜揚げ豆腐』や『極み揚げ』、『ピーナッツ豆富』などは、現在でも大人気の看板商品です」
洋一「さらに、時代とともに町の商店が次々につぶれていく中でお客さんの要望が増えていき、豆腐以外の物もお店で買えるように整備していったそうです。平成元年には今の大川ストアーの走りとなるスーパーのような店舗運営がはじまり、平成9年には鮮魚や精肉、野菜などのテナントさんにも入ってもらうようになっていきました」
こんなに美味しい豆腐がなくなるのはもったいない!

生活と密に関わるお店だからこそ、時代に合わせて進化してきた大川ストアー。
ついに3代目となる洋一さんの時代が始まるわけですが…。
実は洋一さん、婿養子で大川豆富に入ったのだとか。
お店の歴史と1代目、2代目のお話をまるでずっと見てきたように話されていたので、その事実にとても驚きました。
洋一さんがお店を継ぐまでには、いったいどんなドラマがあったのでしょうか。
洋一「私の地元は佐世保市です。妻の実家である大川豆富の手作り豆腐を食べた時、本当に衝撃を受けました。ふわっと香る大豆の風味と優しい口当たり。今まで食べていた豆腐は違う食べ物だったんじゃないかと思ったほどです。この味がこのままでは無くなってしまうかもしれないと聞いた時、もったいない!と使命感に駆られて、「ぜひ私にお店を引き継がせてください」と申し込みました」
大川豆富の美味しさに衝撃を受け、突き動かされるように3代目としてお店を継ぐことになった洋一さん。
しかし、移り行く時代にのまれて、店舗運営はぎりぎりの状態だっといいます。
洋一「私がお店を継いだときはすでに売り上げが落ち込んでいて、このままだったら成り立っていかないと言われていました。お店を開けていても全然人がこなくて、この先どうしていこう…と毎日悩んでいました」
商品と空間で尖る!大川ストアーのテーマパーク化計画

彼杵でお店を経営する難しさは、お客さんの足を止めることだと話してくれた洋一さん。
落ち込んだ売り上げを伸ばすため、試行錯誤の日々が始まりました。
洋一「彼杵は利便性に優れているのですが、反対に目的地までの通過エリアとして認識されることが多いんです。大川ストアーもメイン通りである国道205号線沿いにありながら、まだまだ認知力が低かった。そこでまずは、ここが豆腐屋さんだとわかってもらえるように看板を新調しました」
洋一「商品で差別化を図るため、妻が旗を振って商品開発にも取り組んでいます。豆腐を使ったお惣菜をはじめ、おからドーナツやクッキーといったスイーツまで。観光客や若い人に向けてこれまでにない方向性の商品も開発しました」


豆腐を使ったお惣菜は大人気で、私がお店に訪れた日もお昼には完売している商品が多数ありました。
さらに、私が「海外に来たみたい!」と感じたお店の商品レイアウトも、洋一さんたちが考えた戦略の一つなのだとか。
洋一「この店にしかない独自商品に人気が出始めてから、商品での差別化を考えるようになりました。もともとオーガニックに興味があったので、無添加のものや一般的なスーパーでは売っていない商品を店頭に並べるようにしています」

洋一「ぎっしりと箱盛りにしたり、歩き回って商品を探したりと、商品陳列にもかなりこだわりました。買い物をしながらもお客さんが驚いたり、わくわくするような空間が提供できるように心がけています。スーパーに来るというより、一つのテーマパークに遊びに来るような感覚で足を運んで欲しいな」
豆腐もひとも、彼杵の大自然に育てられている

豆腐とお店に向き合い続けた洋一さんのブランディングは大成功!
お客さんが来ないと悩んでいた店舗には、曜日を問わずたくさんの車が出入りしています。
洋一「今では豆腐だけで、一日で100〜200個も売れるようになりました。ここで働きたいと言ってくださる方も出てきて、従業員さんもかなり増えました」
2022年には、ねとらぼさんがリサーチした「長崎県で高評価のスーパーマーケット店」で見事に1位を獲得!
その後も上位の座を守り続けているそうです。
洋一「おかげ様でたくさんの人に足を運んでいただけるようになりました。今ではお客さんの7割は町外の方です。大川ストアーが彼杵に足を止める理由になれているんだと思うと、とても嬉しく思います」
洋一「今後はさらにお店に置く商品にこだわったり、カフェ営業も実現できたらと構想を練っています。大川豆富の美味しさと彼杵の魅力を体感できるような場所作りを進めて行きたいです。町のためになんて大それたことは言えないけど、お店を継続させていくことが町への恩返しになると思って、先代に習いながらお客様のために進化していく努力を怠らずにいたいです」

洋一「豆腐を作っているとなおさら感じるのですが、彼杵は本当に豊かな自然が魅力なんですよ。美味しいお茶も豆腐も、彼杵のきれいな水がなければ成り立たない。住んでいると当たり前になりがちですが、ひとは自然に活かされているんだなと実感します」
洋一「食と自然は繋がっているんです。私が受けた衝撃のように、大川豆富の豆腐を通して、彼杵の自然の豊かさや魅力を再認識してくれる人が増えたら良いなと思います」
時代を超えて進化し続ける大川ストアー。
その背景には、先代から70年も続く豆腐への愛と、お客様のために進化し続けるひたむきな姿勢が受け継がれていました。
彼杵の魅力が尖るテーマパークへ、ぜひ足を運んでみてくださいね。