第1回 川が好きで、自然が好きだから、残したい。川棚町の自然を切り取る写真家、村山嘉昭さん 協力:パタゴニア日本支社

東彼杵郡川棚町の自然を切り取る、徳島県在住のフォトジャーナリスト・村山嘉昭さん

兎追いしかの山 小鮒釣りしかの川夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

日本を代表する童謡も、今となってはファンタジーのように聴く人も多いだろう。だが、長崎県の川棚町には、心を震わせるような郷愁の山があり、川が今でも残っている。特に、町内を流れる石木川は、想像を絶するホタルが飛び交う知る人ぞ知る名スポットだ。徳島県在住のフォトジャーナリスト・村山嘉昭さんは、石木川のほとりで生活を営んできた川原(こうばる)郷の住民に寄り添い、その想いを伝播する。川が好きで、自然が好きだから。答えはとてもシンプルで、幼少期からその考えは一貫している。

村山「今回、(川原に)一年半ぶりに来ました。取材を通して仲良くなった子どもたちが大きくなっていて、びっくりすると言うか感慨深いと言うか。でも、久々だからこそ、その成長具合に気づき、とびきり嬉しくなりました」

当たり前にあるモノの価値を
もう一度、見つめ直してみる

地方各地には、豊かな山がある。そこから湧き出る水は川となり、やがて海へと繋がる。そのなかには、目を見張るような自然が生み出す絶景が多く存在する。だが、灯台下暗し。普段の生活からその恩恵に預かっている者たちは、実はそれらの資源がいかに唯一無二のものであるのか気づきにくいものだ。

石木川のほとりにて/村山嘉昭著 patagonia

「地方へ出かける機会が多いのですが、一般的に”田舎”と呼ばれている地域に暮らす人は、自然との距離が近すぎて目の前にある自然の価値について考えられない人が多いと感じます。でも、その気持ちを私もわかるようになったのです。東京にいた時は、自然を感じる欲望が強く、”喉の渇き”に近いくらい欲していました。ところが、3年半ほど前に徳島県に住居を移して、徳島市にある眉山という低山の麓で暮らし始めてから、自然を求める渇望感が薄れてきて、意外と家にずっと居られるようになってきました。ベランダの窓から眉山の森が眺められ、夜にはフクロウの鳴き声も聞こえます。そうすると、キャンプに行きたいっていう気持ちがなくなったんです(笑)。東京にいた時は、周りがビルとか住宅街だったりとかしたので、週末は川やキャンプへ行くことばかり考えていて、実際に時間とコストを掛けて出かけていたのですが、今は近くに緑が見えるので、出掛けるにしても家の近所でいいかなという気になってきたのです。逆に都会へ遊びに行きたくなる。これは、想像していなかった気持ちの変化です。人間って、身近に自然があるとそんな気持ちになるのかもしれませんね」

【3分ドキュメンタリー】石木川のほとり ゲンジボタルの乱舞|撮影年月 2021年6月|村山嘉昭撮影

その場の環境に慣れてしまうと”当たり前”だという感覚が少なからず芽生える。そんな感覚を払拭したいがために、人は様々な体験を、そこで生まれる自然や人との出会いの刺激を、求めて旅に出るのかもしれない。

「川棚町に来て初めてホタルを見たときには驚きました。『日本でこんなにものホタルが乱舞する場所があるんだ!』って。例えば、東京から飛行機に乗って、宿に泊まって付近を観光するとなると、それなりにお金がかかりますよね。何万円って。でも、その金額に値するくらいの価値がここのホタルの光景にはあると思います。だって、そもそもホタルは1年間で梅雨時のわずかな時期にしか見ることができないものです。神奈川や東京にもホタルの名所はありますが、本当に探して『いた!ホタルいたよ~』くらいのレベルのところが結構多いんですよ。ですが・・・この川原は、その比ではありません。心が震えるほど、感動します。純粋に美しいというか、ただただ、すごいとしか言えなくなります。陳腐な言い方かもしれませんが、飾り付けられたクリスマスツリーのように木々が点灯して。それが、ボワンッ、ボワンッ、と光のタイミングが合うように点灯を繰り返し、まるで”山が呼吸している”ように見えるのです」

「そのような光景を前にしてシャッターを押していくのですが、その場の雰囲気に呑まれていくのがわかります。段々と恐ろしくもなってくる。その感情は、自然に対する畏怖とも言えます。ホタルが光っているとはいえ圧倒的に暗いし、暗闇の中で川の中に立ち、日付が変わる24時くらいまで一人で撮影していると、圧倒的な自然の凄みが五感を通して迫ってくるのがわかります」

異次元の景色の中、村山さんは夢中になって写真を撮った。スポーツなどで、競技に没頭し記録を残すアスリートたちは、総じて”ゾーン”に入る経験を持つというが、場所という空間が、カメラマンを最高の状態へと押し上げるということがあるのかもしれない。

「本当にそう思うくらい、この場所にはお金を払ってでも見る、体験する価値があると思います。みなさんも、非日常的なものを見るためにお金を払い、ライブや劇場へ行ったり、旅行をしていますよね。自然が身近にある方からしたら、何でわざわざ都会から飛行機に乗って、こんな場所まで来ているのかって思うかもしれませんが、都会から来る人たちにとってはそれでも見たいと思える”そこにしかない宝物”なわけで、私も友人や家族に見せたい景色だと思っています。そして人は”自分だけ”が知っているとっておきの場所を人に自慢したくなるのです(笑)」

石木川のほとりにて/村山嘉昭著 patagonia

子どもたちに、教えてあげたいこと。
『モノサシ』を与える大人としての役目

「特に、”子どもに良いもの見せる”っていうのを大事にしたいですね。経済的なこともあるし、理想的な話だとは思いますが、子どもの時にさまざまな『モノサシ』を与えるのが大人の役目というか、”教え”なんだと思います。海についても、東京や大阪の街中で暮らしている子どもたちにとっての海は、青空を映せば青く見えなくもありませんが、通常は茶色や深緑色です。そうすると自分の中の海のモノサシがその色でしかありませんが、珊瑚礁がある沖縄や長崎の澄み渡った海、伊豆や紀伊半島といった各地の海の色を見せてあげると、『海ってこういう色だよな』というモノサシがグンと広がります。川や山でも同じですよね。いろんな判断する時に、様々なモノサシを持っていた方が人生の選択肢も増えるはずです」

選択肢を広げるということが、人生においての危機的状況の回避だったり危機管理能力の向上にも繋がると村山さんは語る。

「ですから、子どものモノサシを広げるためにも、川で遊ぶということも体験させたい。川に落ちてしまった時、川で泳いだことがある子とそうでない子とでは、パニックになるかどうか違いがあるかもしれないし、水辺で遊ぶときに純粋にどこだったら安全、または危険かということも自分で判断できるようになります。川で遊ぶ子どもたち、通称『川ガキ』は、単に川に子どもがいるから成立するのではなく、一番大きいのは”子どもが川で遊ぶこと”を地域が許容しているかどうかなんです。『川ガキ』が残っている地域は、親の世代、親の親世代が代々に渡り川で遊んだ経験を持ち、その文化が受け継がれています。そのため、子どもたちが川で遊んでいても基本怒らないし、怒られない。そして、受け継がれる中で、安全に遊べる場所と危険な箇所という情報がちゃんと継承されています。ですが、一度文化が切れてしまうと、親自体がどこで遊んで良いかがわからない。だから、安全か危険かの判断ができず、一律に川遊び禁止としてしまうのだと思います」

禁止の場所というのは、子どもにとって魅力的な場所に映る。大人からダメと言われると遊びたくなるのが子どもの性といっても過言ではない。どこがどう安全で危険なのかを教えてもらっていない子どもたちは、わけもわからず危ないところで遊び、溺れてしまう。そんな悲しい事故が、今でも各地で繰り返されている。

【3分ドキュメンタリー】石木川のほとりにて|撮影年月 2021年6月|村山嘉昭撮影

「川遊びが盛んな岐阜県の長良川でも、夏になると事故が起きます。多くは、酔っ払った若い子が調子に乗ってしまうのが原因で、意外と地元の子どもたちの事故は少ないんです。なぜなら、飛び込み遊びなどして良い時とダメな時を水位を見たりして分かっているから。地元の子は、安全なところでわきまえて遊んでいます。川遊び一つとっても、文化が一度切れたりするとダメなんです。だから、都会の人はそういった遊びを経験して学ぶことをしないと、いざ事故に巻き込まれた時に対処できません。川辺のキャンプやイベントなどで都会の子どもたちと会ったりすると、”この子、災害に巻き込まれたら危ないな”と感じることも少なくありません。自然体験をしていれば、あの岩からだったら飛び込めるけど、あそこは浅いから足が着いてしまうなどの判断ができるはずなんですが、いきなり実力以上の危ない場所から飛び込んで怪我したりする子もいたりするので驚きます。自分で判断する能力だとか経験値が少ないから。仕方ないかもしれませんが、これは川遊びだけに限らないと思います」

コロナ禍になり、最近は特にアウトドアグッズが再評価されたり、キャンプがブームになっている。それは、遊びながら潜在的に人間の生きる力を体験したいという感覚が人々の中にあるからなのかもしれない。

「単純に、火を起こせるかどうか。それだけでも、今の若い子、特に都会の子たちはスキルを持っていない。仕方ないと思います。日常の中で機会もないわけですから。そして、文化が切れているから、継承もされていない。ひと世代前の時代だったら当たり前のことすらできない人たちが大勢いる。なので、都会の人が地方に来て、川で遊んだりホタルを見たりするということは、モノサシも広がり、生きる力といいますか、そういうのも大きく得られるのではないかと思います」

石木川のほとりにて/村山嘉昭著 patagonia

自然の中に暮らす人にも知ってもらいたい。
写真を、映像を通して伝えたいこと

「経験を個人のリスク管理と捉えると、自然体験はするに越したことはありません。東京では、お台場などの街中でグランピングが流行っています。それでもきっかけとしては良いと思いますが、同じくらいのお金を使うのであれば長崎まで来てこの辺りを地元の人に案内してもらったり、なんでもないようなところで自然体験をするという方が価値があるかもしれず、十分に人を呼べると思います。こんなにホタルが見られるところは、他にそうないですよ。特に、川原は川幅が狭く、人と川の距離が近いから目の前で乱舞が見られるのが魅力です。手が届くところに、ものすごい大群生がいるという」

先にも述べたが、長崎県には当たり前のものが揃っている。でも、当たり前にあるものが、他所から見ると実は当たり前にはないということを知ってほしい。だからこそ、今残っている自然は人間の手で壊すのではなく、見守る意味で管理していくのが望ましい。そのためには、町の人たちが自分たちの生活と直結するという意識を持ってもっと話し合うべきだと村山さんは警鐘を鳴らす。

「本来、住民参加であるべきですよね。何かを造る、壊すとなった時、賛成でも反対でも、住民が主体となって考え、少数意見の考えも汲んで判断すると良い悪い別にして納得ができます。自分の暮らしを守りたい、変えたいと思ったら、無関心であることはやめるべきです。そして行政は、首長だけでなく地域住民の声にも耳を傾けるべきです」

「無知の知」というソクラテスの言葉を今一度噛み締めたい。それは同時に、無知の”恥”でもある。各々の近所で起こっている出来事に関心を持つ。関心を持ったら、調べてみる。参加してみる。そうして、少しずつ知るということ。

「少なくとも、若い人にはそう言う考えになってほしいですよね。今回の川棚町での滞在中、写真だけでなく動画も撮ろうと考えているんです。映像は写真と違って情報量が多く、知らない方にも届きやすいと考えています。難しいことは考えず、ありのままに映る自然をただ純粋に見てもらいたいですね」

聳え立つ山々は、青くあってほしい。そこから流れ下る川は、清くあってほしい。故郷は、心の中だけでなく実在するままで在り続けてほしい。人間が自然を求めるのは「渇きに近い」と述べた村山さんの表現は、的を得ているように思えてならない。常に享受できる者には感じにくいかもしれないが、一度失った者にとってはどんなにその恩恵を渇望するものであるか。我々は、今一度”いしきを変えて、行動を起こす”時代に立たされている。

【3分ドキュメンタリー】石木川のほとりで絵を描く 石丸穂澄さん|撮影年月 2021年6月|村山嘉昭撮影

石木川のほとりにて/村山嘉昭著 patagonia

ひとについての詳細は、以下の記事をご覧ください。

ひと:長崎の自然を愛する人たち 第1回:写真家 村山嘉昭(OFFICE RIVER-STONES 代表)
もの:写真家 村山嘉昭氏が切り取る写真集 『石木川のほとりにて』をプレゼント(抽選30名) 協力:パタゴニア日本支社

協力:パタゴニア日本支社
動画:村山嘉昭
写真:川崎順平
記事:東 孔明
取材:森 一峻

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