ほっと心が穏やかに。そのひとときを世界へ 『長崎いけどき』

文・取材

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お茶のまち、東そのぎ。

約400ヘクタールの広大な茶畑が広がり、長崎県の6割のお茶を生産するまち。

毎年開かれる「そのぎ茶市」には、町内外からたくさんの人々が集ったり、道の駅やスーパーにも、たくさんの茶園から自慢のお茶が並んでいたり…。見慣れた景色ばかりに思えますが、実はここ、お茶業界では知る人ぞ知る”コア”な産地なのです。

今回は、そんなそのぎ茶の魅力を、この町から世界に向けて発信する団体を取材しました。

地域に根付く「玉緑茶(たまりょくちゃ)」

この町で生産される「そのぎ茶」は、全国でわずが2%しか流通していない「玉緑茶(たまりょくちゃ)」という、緑茶の中でも非常に珍しい種類。最も一般的な「煎茶」と比べて、まろやかで親しみやすい味が特徴的だ。

では一体、普通のお茶とは何が違うのか。煎茶と比較して紐解いていこう。

煎茶を製造する際、最後の仕上げとして、「精柔(せいじゅう)」といって茶葉を針のようにまっすぐ整える工程がある。茶葉のかたちを均一にすることで美しい見た目になり、特に輸出市場では高価で取引できるのだという。

玉緑茶にはその工程がないため、茶葉が自然に丸まったかたちになる。煎茶ほど均一ではないが、くるんとしたかわいらしい見た目から「ぐり茶」と親しまれ、長崎で「お茶」と言ったら玉緑茶のことを意味するほど、地元に根付いたお茶なのだ。主な産地は九州で、その中でも長崎は全国第2位の生産量を誇る(1位は佐賀県)。

提供:長崎いけどき

また、玉緑茶にも「蒸し製」と「釜炒り製」の2種類がある。生の茶葉は、摘んだ直後から酸化が進み、葉は茶色に、香りは紅茶のように甘く変化していく。緑茶の製造には、葉の青さや旨みを保つために、加熱して酸化を止める「殺青(さっせい)」という工程があるのだ。

「蒸し製」は蒸気で、「釜炒り製」は鉄釜で炒る方法。現在のそのぎ茶は、ほぼ全てが「蒸し製」玉緑茶である。香ばしくてすっきりとした味わいの釜炒り製と比べると、甘みが強く、コクのある味わいだ。

移りゆく時代のなかで、どう伝えていくか

昔から続く「そのぎ茶」の製法を守るべく、お茶農家たちは、この小さな町から全国へとそのぎ茶を発信し続けている。「全国茶品評会」(全国の茶農家や製茶業者が自分たちの自慢のお茶を出品し、味・香り・見た目・技術力などを競い合う大会)では、農林水産大賞を何度も受賞しており、徐々に「お茶のまち」として東そのぎの名が知られてきた。

そんな中、外国人観光客向けのティーツーリズムを運営している団体がこの町には存在する。

その名も「長崎いけどき」。”いけどき”とは、そのぎの方言で「憩いの時=一服(ティーブレイク)」という意味がある。それは単なる”休憩”ではなく、お茶を通じて誰かと心を通わせる、穏やかな時間。長崎いけどきは、そんなお茶を通して、争いが絶えないこの世界を少しでも平和にできないかと、お茶の魅力を世界へと発信しているのだ。

古くから「おもてなし」の文化が根付く日本。その中でもお茶は、最も身近で、さりげなく、しかしとても深い思いやりの表現手段だ。もてなす側は、相手の気持ちを思いながら丁寧にお茶を淹れる。そして、そんな一杯を受け取った側は、その心にふっとあたたかさを感じるだろう。

お茶は、ただ喉を潤すだけのものではない。人と人との間にそっと寄り添い、言葉にできない想いやぬくもりを伝えてくれる。たった一杯のお茶に込められた優しさが、誰かの心を癒し、繋ぎ、ほぐしていく。そんな「いけどき」を広めていくことが、ほんの少しでも世界を穏やかに、平和にするきっかけになることを願い、今日もお茶の魅力を語り継いでいる。

しかし近年では、手軽に飲めるペットボトル茶の需要が高まる一方で、急須で淹れるお茶の味を知らないという人も多い。茶葉の消費量、生産量ともに減少しているのが現実。代表の松本靖治(まつもと やすはる)さんは、そんな時代についてこう語った。

松本靖治さん「みんなが便利さを求めているから”便利至上主義”になるわけで、ペットボトルのお茶が普及したのも、そんな時代の変化なんやろなって思う。でも、そんな時代のなか、コンビニに並ぶいろんなペットボトル飲料の中からお茶を選んで、自分は「お茶好き」と思ってくれている人が少なからずいる。そういう人が急須で淹れたお茶を飲むと、『こんなに違うんや!』って驚いてくれる。せやから、その部分をちゃんと伝えていくっていうのは必要やなって思う。」

人々は、時代とともにお茶の楽しみ方を変えてきた。お茶発祥の地・中国では、お茶はもともと「薬」だったという。「ミャン」というお漬物にして食されていたり、バターや塩と一緒にスープにして飲まれていたりと、現代とは異なるかたちで人々の生活に存在した。時代の流れによって親しみ方が変わるのは、当然のことなのだ。

松本さん提供。パリにてお茶のデモンストレーションをする様子

今や技術が進化し、キャップをひねれば美味しいお茶が飲める時代になった。京都の「おぶぶ茶苑」でも活動を続ける松本さんは、京都や東京の大学、日本に住む外国人と一緒に日本茶を世界へ発信している。そのなかで気づいたのは、「気軽にお茶を楽しめるようになった時代のおかげで、『お茶好き』の人は確実に増えている」ということ。「茶道部」がある高校や大学も少なくないし、海外観光客にも日本のお茶はウケているという。

しかし、なんでも手軽に手に入るようになったこの時代で、急須でお茶を淹れるという人は少ない。”便利なもの”が重宝されるなか、いかに”手間のかかるもの”の良さを伝えていくべきなのか。時代の変化を受け入れながら、昔から受け継がれてきた文化を守るため、伝え方を模索しているという。

なんでも「便利」なこの世だからこそ

「長崎いけどき」のメンバーのひとり、マヨレインさんは、オランダ生まれ。「甘い紅茶」が主流の国に生まれた彼女は、なぜ日本のお茶に興味を持ったのだろう。

マヨレインさんの幼少期は、父の仕事の影響で、バングラデシュ、インド、ジンバブエなどを転々としながら過ごしてきた。幼い頃から世界中を移動してきた生活が、彼女の中に自然と異文化への興味を育てていったのだろう、「父のように海外で働きたい」という思いがあったそうだ。

大学時代にはイングランドに留学。そこで出会った日本人の友人から、日本への旅を勧められ、2011年、3ヶ月のビザで東京や京都などの地を巡った。そこで日本人の心遣いに触れ、「日本」という国が持つ奥深さに惹かれていった。

最初はそれほどお茶に詳しかったわけではなかったというマヨレインさん。しかし旅の途中、「お茶畑を見てみたい」と口にしたことがきっかけで、徐々にお茶の世界に引き寄せられていった。2016年には京都のお茶農家「おぶぶ茶苑」でボランティアを経験し、2018年には本格的なインターンシップに参加。そこで、観光客向けのツアーやお茶農家体験などを通じて、「お茶を通して人と人をつなぐ」手応えを感じたという。

その後、彼女がたどり着いたのが東彼杵町。現在のマヨさんの仕事は、お茶ツアーの企画やガイドのほか、「Tea Story Hunter(ティーストーリーハンター)」として、お茶農家さんの物語を聞き出し、英語で世界に届けること。

ツアーに参加する海外の観光客の方々は、「日本の文化として、お茶が育つ環境を見てみたい」という方から、「お茶が大好きで、全国の茶畑を巡っている」という方まで。まず始めに、そのぎ茶について説明をしたあと、みんなでお昼ご飯を食べ、茶畑や工場の見学に行く。実際にお茶の淹れ方をレクチャーした後は、「長崎いけどき」が目指す、”お茶で世界をもっと平和に”というメッセージを伝える。

松本さん「コーヒーやお酒は、飲むタイミングとか、飲める人と飲めない人が、結構分かれるやん? でもお茶は、誰でも飲めるっていうのがええなと思う。人と人を繋げることができるし、人の心を和ませる力もある。世界で起こってる争いを、お茶だけですぐに止められるとは思えへんけど、長崎の茶産地・東そのぎで、お茶で世界をもっと平和にできる可能性を発信していけたらええなと。」

マヨレインさん「(以下は英語のインタビューを日本語に翻訳したものです)私は“橋”のような存在でいたい。生産者の人の思いを消費者に届け、消費者の反応を生産者に返す。そんな“対話”を、お茶を通して続けていきたいです。」

マヨレインさんには明確な夢があるそう。それは、日本のお茶畑を未来につなげること。

「いま日本では、お茶農家が減り、茶畑も少しずつ消えています。そんな中、海外は抹茶ブームで、お茶に興味を持つ人はどんどん増えている。だからこそ、私はこの魅力ある日本茶を世界に伝えたい。農家の暮らしが少しでも良くなるように、そして、『お茶のある暮らし』を楽しんでくれる人がもっと増えるように」

インタビューの途中、マヨレインさんは急須で丁寧にお茶を淹れてくれました。オランダでは、紅茶を淹れる時、大きいポットにたくさんの水を入れてお湯を沸かすそうですが、日本では、そのときの人数に合わせてお湯を測り、必要な分だけ注ぎます。そんな小さな所作に「相手を思いやる気持ち」が込められている。だから私は日本の文化が好きなんですと教えてくれました。(そのぎ茶の美味しい淹れ方はこちらから。)

茶葉がひらくのを待つ時間、湯呑みに注がれる音、手のひらに伝わるあたたかさ。

忙しい毎日の中で、つい「便利なもの」ばかりを選びがちな今だからこそ、この”ちょっとの手間”が、ささやかに心を癒してくれました。