
これからお話しするのは、麹とともに過ごした三日間の記録。
この三日間は、何かをはっきりと教わるための時間ではなかった。正解を持ち帰ることや、完成された技術を身につけることが目的だったわけでもない。麹に触れ、言葉を交わし、それぞれの現場へと持ち帰っていく。その過程そのものを共有する、静かな実演の場だったように思う。
この学びの場は、単発の企画として生まれたものではない。背景には、「食を通じて人と地域がつながり、共に育っていく場をひらく」長崎鶴亀屋の取り組みがある。

長崎鶴亀屋は、料理や食材そのものだけでなく、その背後にある歴史や文化、生産者の想い、土地に根づくストーリーを大切にしている。料理人、生産者、つくり手、伝え手が立場を越えて出会い、学び合い、対話を重ねることで、食の価値を「体験」と「言葉」として編み直していく。そのための土壌をつくることを目的としている。今回の「教育編」もまた、知識を一方的に伝える場ではなく、それぞれが現場に立ち戻り、日常の営みの中で活かしていくための“途中の時間”として構想されたものだった。

会場となったのは、長崎市諏訪町の諏訪ン荘(スワンソウ)。この場所で開催された「教育編」は、出島のどぶろく醸造所「でじま芳扇堂(デジマホウセンドウ)」の取り組みと深くつながっている。出島は、かつて日本で唯一、海外との交流が許された土地だ。異なる文化や価値観が行き交い、混ざり合いながら、新しいものが生まれてきた場所でもある。

でじま芳扇堂がこの地でどぶろくを醸し、酒を通して文化をひらこうとしてきた背景には、そうした土地の記憶がある。企画の中心にいたのは、芳扇堂を営む日向勇人(ヒュウガユウト)さんだった。三日間を通して、日向さんによる麹づくりの実践、そしてゲストとの対話。毎日そのリズムが繰り返されることで、少しずつ場の温度が整っていった。
一日目、急がせない、という感覚に触れる

初日は、説明よりも先に手を動かすところから始まった。炊いた米に触れ、温度を感じ、香りの変化を確かめる。使われていたのは、特別な設備や道具ではなく、身近に揃えられるものばかりだった。
日向さんが何度も口にしていたのは、「麹は、急がせないほうがいい」という言葉だ。それは技術的な注意点というより、向き合い方を示す言葉として、静かに場に残っていた。この日の背景には、日向さんが師と仰ぐ和菓子職人・原和志氏の考え方がある。原氏が主宰する日本茶文化研究 草伝社で受け継がれてきた姿勢は、「うまくやる」ことよりも、「見続ける」ことに重きが置かれている。麹は、生きている。

思い通りにならない時間があり、待つしかない瞬間もある。その前提を、言葉で理解するのではなく、身体で確かめていく。初日は、そんな感覚を共有する時間だった。
二日目、原料と向き合い、続けていくということ

二日目のゲストは、諫早市で数少ない新規就農の米農家・皐月代表の鈴木怜於氏を迎えたトークセッション。話題は、自然と現実的な領域へと移っていった。
天候、収量、価格、判断のタイミング。米づくりは、理想だけでは成り立たない。日々の選択の積み重ねによって、ようやく続いていく仕事だ。前日の「急がせない」という感覚は、この日、「待てない場面もある」という話として語り直される。時間をかけたい気持ちと、仕事として成立させるための判断。その間を行き来しながら、現場は保たれている。日向さんの麹づくりも、また同じ場所に立っていることが語られた。

発酵を信じることと、決断をすること。相反するようでいて、どちらも欠かせない。
二日目は、答えを出す日ではなかった。ただ、「続けていく」という言葉の重みが、少しずつ共有されていった。
実践編、最終日。自分の現場へ、どう持ち帰るか

三日目のゲストは、料理人であり「暮らしの料理」をいとなむ波平龍一氏。この日は、これまでの時間をそれぞれの現場へどうつなげていくかが話題となった。麹は目的ではなく、手段になる。料理の中でどう使われるのか。誰に、どんなかたちで届くのか。日常の中でどう馴染んでいくのか。印象的だったのは、日向さん自身も完成形を用意せず、この場に立っていたことだ。身近な道具を使った麹づくりは、参加者にとって実践しやすいだけでなく、日向さん自身にとっても初めての試みだった。

普段と全く違った環境、道具、温度管理。そんな中、時折口にしていたのは「温度を何度くらいが理想だと具体的な数字を言いたくない」と言う言葉だった。参加者が実践に移す中で、「温度管理を意識すると難しくなってしまう。感覚で掴んでほしい。」その言葉の背景に本気で「伝えたい、実践して欲しい」という思いを感じた。うまくいくかどうかは分からない。それでも、まずやってみる。その日向さんの姿勢そのものが、この三日間を通して、自然と共有されていたように感じる。

また、波平氏のトークの中で「長崎市のスーパーには、とても新鮮なお魚や、お野菜が安価で販売されていて手に入りやすい。」といった話があった。長崎で生活をしているとこの光景は「当たり前の光景」かもしれない。もし東京でこの新鮮さの野菜や魚を仕入れるとなると、値段、鮮度共に長崎のようには行かない。まだまだ本来価値が眠っていると気付かされた瞬間だった。
三日間を通して、静かに残ったもの
毎日、麹に触れる時間があり、言葉を交わす場があった。日向さんの麹作りの実演を見ながら、実際に甘酒で作られた、女将特製のババロアを試食したり、甘酒を試飲しながら過ごす時間はとても贅沢な時間だった。

ゲストを招いたトークでは和菓子職人、生産者、料理人と立場は違えど、いずれも現場を持つ人たちで、食の背景にあるストーリーを共有し、顔の見える関係から共創を育てていく。その考え方は、三日間を通して、無理のないかたちで場に滲んでいた。すでに、参加者の中には、自分の現場で麹づくりに挑戦し始めた人もいる。それは、目に見える成果として語られるものではないかもしれない。けれど、日々の現場の中で、確かに何かが動き始めている。

この三日間で起きたのは、劇的な変化ではない。ただ、麹に触れた手の感覚や、交わされた言葉が、それぞれの場所で、これからも静かに効いていく。麹の学びとは、知識を得ることではなく、向き合い続けるための感覚を、そっと持ち帰ることなのかもしれない。
次回は「実践編」

教育編に参加した多くが食に携わる人たちであり、今後は各店舗の麹を使った甘味や料理が、それぞれの場で形になっていく予定だ。この三日間で育まれた感覚が、日常の営みの中でどう息づいていくのか。その続きは、また別の場所で紡がれていく。