人との繋がりを楽しみ、地域密着の貸切バス会社へ。『有限会社 大紘産業』二代目代表・上ノ原陸友さん

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毎年9月20日は『バスの日』だということを、ご存じだろうか。日本で最初にバスが運行した日を記念しており、1903年(明治36年)に始まったという。バス事業が始まって約120年。一世紀以上に渡って、バスは人を乗せてあらゆる地に送り届けてきたと思うと感慨深い。

長崎県北松浦郡、佐々町にある『オレンジ観光バス』という貸切バス事業を営む『有限会社 大紘産業』二代目代表・上ノ原陸友さんは、バスは人と人を繋ぎ、楽しい時間と空間を共有できる乗り物だと語る。

上ノ原「私は、行き先は二の次でみんなでワイワイすることが好きですね(笑)。一度、東彼杵三町と佐々との青年部合同で熊本県へ行ったのですが、初めての人とでもめちゃくちゃ楽しく過ごせました。結局、バス旅の醍醐味ってそういうところにあるのかも」

貸切バスを扱う事業者が語るだけ、それはバス旅の真髄なのかもしれない。バス業界の酢いも甘いも経験してきた上ノ原さんにスポットを当てて話を伺った。

「ただ、なんとなく」だった仕事を、
主体的に考えるようになった

長崎県の北部にある、北松浦郡佐々町生まれ。隣の佐世保市にある佐世保工業高校建築科を卒業後、地元にある建築会社へと入社した。

「父が、大紘産業を創業する前からダンプトラックを使って土木建築工事の仕事を個人で請け負う仕事をしていたので、高校もなんとなく建築関係へと進学しました。あとは、この高校の建築科には女の子もいるとか、そんな浅い考えで(笑)。でも、父の姿を見て自分の進む方向は無意識に決めてきたんだと思います。卒業後は、佐々町にある建築会社に入社して1年半くらい働きました」

一方、1997年に大紘産業は会社として創業し、さらに2003年に貸切バスの事業『オレンジ観光バス』を立ち上げることになる。

「これまでの土木用のダンプトラックに加えて、1台のマイクロバスのレンタカー業を始めました。父の趣味の延長といいますか。そこから、観光用の貸切バスも手を広げるようになり、トラックとバスの両方で仕事と台数を増やしていきました」

建築会社で経験を積み、父の会社である大紘産業へと移った。

「2000年頃に入社しましたが、最初の方はただ従業員として働いているだけ。会社の経営のことは何も考えていなかった。それから商工会に入り県の集まりに青年部で行った時、立石裕明さんという事業の継承や再生についての経営コンサルティングを中心に活動されている方の話に衝撃を受けました。自分の会社の決算書を見てないのはおかしいということを聞き、当時は自分の会社の数字を全然知らなくて。父はもちろん知っていたのですが、そろそろ後継ぎについて考えていた時期だったので、帰ってから初めて決算書を見た記憶があります」

人任せにするのではなく、自身で会社を経営するという想いが芽生えた瞬間だった。当時の観光バス業界に対する社会情勢の変化もその想いを強くさせる要因となった。

「会社を継ぐ前は、父が経営を、母が事務をしていました。それまでは数字に対してそこまで気にしていなかったのですが、時代が変わって貸切バス事業もそのようなやり方では通用しなくなってくる。特に、2016年に長野県軽井沢市で起きたスキーツアー客を乗せたバスの転落事故があってから、バス業界も抜本的に見直されるようになり、働き方改革も起きてきて。今までまかり通ってきたいろいろなことが禁止になったり制限されるようになり、中身を変えていかないといけないと思い至りました」

2020年に代替わりを行い、二代目として引き継いだ後は、自身の描くホワイト経営を目指して改革的な準備を進めていった。

人に教えるには、まず自分が学び行動する。
その精神で、コロナ禍も乗り越えてきた

具体的には、どのような過程を踏んでいったのだろうか。

「まず、会社の経理を自分自身で行うようになりました。母がそれまで手書きでやっていた部分をIT化し、ソフトで帳簿をつけて覚えていく。今後、誰か後任を当てる時に自分で説明ができるようにしようと思いました。1日のうち、いくらかきちんと時間をとってやっていれば誰でもできること。なので、自分がこのままずっとしようかなとも思っています(笑)。そうすると毎日の、毎月の、毎年の会社の数字が見えてくる。これは経営者にとって、基本かつ大事なことです。佐々町商工会の青年部のみんなにも、経営者として自分でやった方が良いと言っています。経営者自身がやるなら事務員の人件費を浮かせることもできますし」

「そして、労働時間や労務関係ですね。もともと家族経営でしたが、バス事業が増えてきて10人ほどの社員がいます。以前は日給計算やその場で目的地に応じた値段交渉をするのもまかり通っており、労務賃金を下げて無理な時間で運転をさせたり行き過ぎた値段競争の中でツアーバスの事故が起きていましたそれは、弊社では絶対にあってはならないことだと考え、8時間労働を超えたら残業代を出したり、休みは週に何日かを決めたり。とにかく運営体制をしっかり、クリアにしたかった。そのためには、運営者が責任を持って管理し、事故を未然に防ぐために努めなければなりません」

今では国土交通省の指示により距離と時間とで金額が算出されているそうで、会社から現地へ迎えに行くのにかかる費用も支払うシステムとなっている。最低料金はどこの貸切バス会社も同じになるため、万が一違反している場合もすべてわかるようになった。だが、そんな中で『インバウンド』が熱を帯び、沸き始めるようになる。オレンジ観光もその波に乗り、疲弊し、観光に対する疑問を抱くようになった。

「春・秋は行楽シーズンで日本人の利用者が多かったのですが、インバウンドが騒がれ始めてからはそれとは関係なく毎日のように中国人が貸切バスを利用していました。当時は、大型バスがあるだけ稼働する状態で、良い流れだと思っていました。ただ、そうするとどの企業も大型バスを増やしたり、大手企業が乗り出してきたり、バス事業をやっていなかった会社が、長崎県外から参入してきたり。そうして、値段競争が始まって外国人観光客の奪い合いが起こってくる。バスも運転手も抱えているので動かさなければならないのに、動いても利益が上がらないという負のループに陥り始めていて、きっとどこかでやりきれなくなっていた。コロナ禍になる少し前くらいからでしょうか。観光業界はたしかに経営が厳しいですが、今思えばインバウンドの熱が一旦冷めたという点では弊社にとってコロナ禍は良い転機だったのかもしれません」

また、コロナ禍になって運が良かった部分もあるという。

「現在、西九州自動車道などの道路やトンネル整備が今後3年ほどかかる見通しで忙しく、今度はトラックを持っていれば持っているだけ仕事が舞い込んでくるという状況になりました。弊社は、もともとトラック事業をやっていたので全て買い揃えてあり、さらにバスの運転手として雇用していた社員をそのままトラックの運転手として働き続けてもらっています」

トラックのタイヤ交換にしても、出来ることは自分たちで行う。「道具はなんでも揃っているので、あとは知識さえあればできます。父の趣味で、直せるものやDIYできるものは全て自分で行うという教えでした。そうすると、無駄なコストが省けるので」
仲間や友と、ワイワイ楽しめる旅ができるように。
地域に寄り添える貸切バス会社であり続ける

『インバウンド』と『コロナ』いう大きな波を経験して。観光業に対する想いを率直に伺った。

「父には観光業に対する情熱がありました。詳しい理由は本人にしかわかりませんが(笑)、インバウンドでバスの需要が大きく伸び、ここまできたからには続けたいのだと思います。ただ、父の趣味の部分も大きく、私自身は観光業をやめても良いと思ったこともあります。コロナ禍情勢で、利益より維持費の方が高くつくので。それでも、父の想いや地域の人たちのために貸切バス事業を残したいということで、今は他の事業でカバーしているという状況です」

オレンジ観光を、未来の佐々町でどう存続させていきたいか。

「貸切バス事業は、地域密着という部分が大きく、その中で3つの性質を追求をした会社にしていきたいです。一番は家族や雇用のために儲かることが良いのでしょうが、代替わりしてなぜ商売を続けるかを考えた時にまず”社会性の追求”がありました。みんなで一緒にどこかへ観光したい時に、貸切バス事業がないと選択肢がなくなります。地域に住む人がそういうことにならないために会社はあり続けたい。ただ、存続させるには”収益性の追求”も必要で、そのためにはいろんな事業を同時にやっていく。そして、各事業を行うには新規の若者もいる中で”教育性の追求”も大事になる。その3つの部分を高めながら、みんなが幸せになれればという思いで、今の事業で踏ん張りつつ、新たな事業にも挑戦していきたい」

サッカーをずっと続けてきた上ノ原さん。審判免許を持つほど、サッカーに対する思いは強い。そして、サッカーが仕事をうまく作る秘訣になっているという。

「チームを作ったり、代表を努めたり。そうすると、いろんな人と知り合う機会が増えます。そこで、仲の良い人を増やしていくと、私自身仕事がやりやすくなります。というのも、相手と仲が良くなったらそこから仕事の受注も、調整も、相談も何でも気軽に電話で聞くことができるからです。その人脈を頼りに、持ちつ持たれつで仕事を繋げてきた部分が多い。知り合っていて良かったと思うし、知り合いが多いだけ生きやすくなる感覚が自分にはあります」

人を嫌わず、誰とでも楽しく話せるのは昔から得意だった。そうやって出来た友人や仲間と楽しむ旅を多くの人に味わってもらいたい。

「きっと、もともとの性格なんでしょうね。旅行にしたって、みんなでワイワイするのが好き(笑)。家族でこじんまりと行くのも良いですが、その空間を楽しみたい。ツアーといういく先はどこであれ、みんな飲みながら談笑しながら、その空間や時間を楽しんでもらう。行き先は二の次で、えっもう着いたの?といってもらえるような旅行にすることに価値があるのかと思いますね」

「みせ」に関しまして、以下の記事をご覧ください。