いまや、日本のビジネスを語る上で欠かせないキーワードとなった『インバウンド』。本来は、「入ってくる、内向きの」という意味で、ここでは「訪日外国人観光」を指す。10年ほど前からじわじわと流れが起こり、2015年には訪日外国人客数1973万7000人という45年ぶりに入国者数が出国者数を上回るという記録を樹立し、流行語大賞のノミネートに入るほど市民権を得る言葉となった。
ますます、観光立国として盛り上げていく。しかし、そんな矢先にコロナウイルスによるパンデミックの猛威にさらされて、インバウンドが影を潜めて約3年が経った。インバウンドに大きく左右されてきた日本の観光業はこれから何を見直し、どのような方向性に舵を切るのか岐路に立たされている。
さて、長崎県北松浦郡佐々町にある貸切バス運送業を営む『オレンジ観光バス(有限会社 大紘産業)』も、そんな社会情勢の波に時には乗り、時には荒波に揉まれてきた。貸切バスの観光事業を今後どのように展開するか、試行錯誤を続ける二代目代表の上ノ原陸友さんに話を伺った。
不思議な縁で名付けられた
貸切バス事業『オレンジ観光』
『オレンジ観光』の名前の由来は、どこからきたのだろうか。
上ノ原「父が昔、大型のダンプトラック1台を使って個人事業を運営していました。それが全ての始まりです。当時『パーソナル無線』と呼ばれる、持っておけば誰でも聞ける無線機を使って運転手同士のやり取りを行っていたのですが、その際に各自本名を呼ばずに割り振られたハンドルネームといいますか、暗号を呼び合っていました。”〇〇観光”という呼び方が多かったのですが、父がその時『オレンジ観光』と呼ばれていました。なぜオレンジかはわからないんですが(笑)、それが今の会社の看板になっているのだから不思議ですよね」
そんなオレンジ観光バスは、2003年9月に貸切バス事業としてスタートし、今年20年を迎える。
「初めは会社と呼べるものではありませんでした。そこから徐々に仕組みを変え、従業員を教育してトラックやバスに乗せています。そして、本格的に代替わりをした時には私だけでは人手が埋まらず、弟に配車等バス業務を担当してもらっています。現在は、運転手が9名。アルコールチェックは、何よりも徹底して教育させており、現場のドライバーとは事務所内で無線によってやりとりをしています。今は、修学旅行や課外学習など先方が工程を全て決めて、それに応じた費用をいただいて運転をするという流れです」
今後は、他の貸切バス会社とどう差別化するのが課題だという。一番は、”地域密着”な貸切バス会社であることを目指す。
「プランを提示するのは旅行業が関わってくるので、いずれそういうのもやっていきたい。弊社から近ければ近いほど料金が低くなるので、より地域に根ざした観光をサポートできる事業にしていく必要があります。それ以外で何を考えようとなった時に、難しいですよね。独自のサービス、付加価値をつけていく必要があるのですが、どの会社も同じような取り組みになっていて差別化が難しくなってきます。社内環境を整えたり、運転手の質だったり、そういうところになってくるのだと思います」
何もかもが変わったコロナ禍。
新しい取り組みで、存続奮闘を決意
コロナウイルスの感染拡大により、生活様式が大きく変化をしている昨今。これからの、貸切バス観光の未来はどうなっていくのだろうか。
「日常生活のあらゆる部分が変わってきているので、団体旅行という観光事業が完全に復活するかどうかは見えません。佐世保市が進めているハウステンボスのIR事業が本格的にスタートすればバスの需要は必ず上がると思いますが、まだ見通しは立っていません。コロナ禍を経て、観光事業を辞めた会社の話も聞きます」
コロナ禍1年目は、収益がゼロの月もあったという。また、貸切バス業界は政府からの継続的な補助金が出なかったので、相当苦しい状況だったに違いない。
「業界的には娯楽事業ですから、優先順位として低かったのだと思います。マイクロツーリズムの促進による補助金が出るようになりましたが、それは個人旅行に対しての政策です。観光地の旅館や飲食・物産店などは良いのでしょうが、GO TO事業の話が貸切バス会社まで降りてくることはありませんでした。旅行会社も、現在は個人や家族向けのものばかりです。今、貸切バス事業を続けているような会社は、他に別の事業をしているか、休業しているかのどちらかです。弊社も、土木・建築用のトラック事業があるから続けられている」
本来であれば、撤退も考えた。しかし、地域住民の観光のため、引いては地域の発展のためにオレンジ観光は残し続けていきたいと奮闘を続けている。
「佐々町の観光会社として大々的にやっているのは弊社だけ。なので、存続しないと佐々町が観光事業を頼むところがなくなってしまうことになります。そうならないために、なんとか新しい取り組みを増やして、地域内外にもっとアピールして本来の枠を超えて活用してもらえる貸切バス会社にしていきたいと思っています」
「あなたなら、どう使いますか?」。
貸切バスを使った、”動く〇〇”
「コロナ禍で、貸切バス事業だけをしていたらどうなっていたか。建設用トラック事業があったからこそどうにかやってこれましたが、この先何が起こるかわかりません。昔は色々手を広げたら失敗するようなことを言われていましたが、逆に今はそういう新たなビジネスを作っていかないと、家族や雇用者、そして会社を守っていけない。いろんな方向性を模索するようにずっと考えていました」
貸切バス会社のサービスとしての差別化の難しさはある。だけども、新しい取り組みは必要になる。再構築できる商売として、何が考えられるのかを模索した。
「この商売をしていて思うのは、車1台につき運転手1人が必要となること。事業を拡大していく分、人を増やさねばならず、事業として厳しくなってきます。なので、人を増やさなくても商売が成り立つような事業を考えたとき、父が個人でやっていたレンタカー業を参考に会社でイチから始めることにしました。バスを貸せるようになるには、資格とは別に実務経験が3年かかりますが、それでもやる価値はある。先ほど、バスの値段が上がっていると言いましたが、ということは大型免許を持っている人はレンタカーを借りた方が安く済みます。そうしてマイクロバスのレンタカー需要も少しずつ増えてきている情勢もあるので、弊社もバスのレンタルビジネスに目を向けました」
人を増やさなくても台数を増やせば成り立つレンタカー業。そして、もうひとつの柱も提案し、事業を進めている。それが、大型バスを使ったイベント事業だ。コンセプトは、「あなたなら、どう使いますか?」。
「処分をするつもりだったバスを使って、何か面白いことができないかと考えました。座席を取ってあり営業ナンバーを取得できないので観光とは別の取り組みなんですが、バスを使って〇〇したいという顧客の要望を受けて、弊社ができるある程度の準備を含めた見積もりを出して契約する。もしくは、そのままバスを貸し出して中を自由に使ってもらっても良いと思います。利用した会社は、映像を撮って利用事例ということでHPに流してもらったり」
「それをすることによって、”オレンジ観光のPRカー”を目的に事業に組み込んでいければ面白そうです。レンタカー業もしたいのですが、全然周知されていないので。そんな、新たな事業『ダイコーレンタ』を考えており、広げていきたい。この一年は例え無償でもそういう活動をしていこうと、森(一峻)君と話をしています。主流になるのは難しいと思いますが、同じように奮闘している業界の人はたくさんいる。そういう人たち、例えば波佐見町の新栄観光さんなんかとコラボをしてみたり。まだ頑張っているんだということをPRしていきたい」
記者が貸切バスと聞いてイメージするものは2つある。ひとつは、修学旅行やツアーなどの団体を乗せて目的地を巡る乗り物。もうひとつは、座席を回転させて向き合えたり、飲食や麻雀などができるテーブルなどを設置した空間にしてある『サロンカー』だ。後者は、幼少期にテレビで芸能人たちがはしゃぎ楽しむ姿を見て「なんてリッチなロケなんだ」と思ったりもしたが、それも古き良き時代である。
今、そんなバスが一台丸々自由に使えるとしたら、あなたなら何をやるだろうか。娯楽だけでなく、何か日常で困ってることをイベント化できれば面白そうだ。「テントなども、業者に頼むと結構な値段がかかるけど、バスだったら一台持って来れば良いので」。”動く、〇〇”。そこには、公民館でもいいし、映画館でもいいし、図書館でもいいし、居酒屋だって、衣類・雑貨屋だって素敵な空間になり得よう。
考えれば、考えるほど。何だってできるし、もしそこでいろんなイベントが生まれたら、佐々の地域が面白くならないわけがない。