恥ずかしがり屋で飽きっぽくて人見知り。だけど気になったことには一直線に突き進む。
大村市杭出津に「薬膳火鍋 雷」を経営する中野大輔さんは、自身のことをこう表現する。
かつて都会に憧れてこの地を離れた少年は、さまざまな土地・人・コトに出会い、地元の大村市で「薬膳火鍋」という新たな分野に挑戦している。その時に感じた「これ」という道を一筋に取り組み続けた中野さんが「今」思うこととは。
さまざまなコト・モノにのめり込んだ少年、青年時代
生まれは長崎市だが、まもなく大村へ引っ越したこともあり、思い出話の大半は大村の景色。遊び場はもっぱら田んぼや畑。自転車を漕いだらどこまでも行けそうな気がした。
中学、高校はバスケ一色。今でもバスケが有名な瓊浦(けいほう)高等学校に特待生として入学した。
中野「当時一緒にいた友達や先輩がやっていたし、勉強したくなかったからという理由もあって(笑)。でも、精一杯やってきたけど上には上がいて、力の差を感じてしまった」
そんな中野少年が高校卒業後、新天地として選んだのは大阪だった。
都会へのあこがれと「勉強したくない」という思いで夜間営業の焼肉屋に就職。寮に住み込みで働く生活の中で少年が見たのは「都会の華やかな世界」だった。社会のいろはを学び、人の温かさと夜の世界への憧れを感じた大阪の暮らしは「期待以上に面白かった」という。
しかし、それ以上にどっぷりハマったのがサーフィン。きっかけは、休みになるとサーフボードを持って2時間かけて和歌山県や愛知県へと出かけていたバイト仲間だった。
「当時はサーフィンって知らなかったんだけど、一回ついていったらライフスタイルひっくるめてサーファーがすごくカッコ良くて。それで、そいつとショップ行ってサーフボード買ったの。それからは二人で朝からサーフボード担いで電車乗って、サーフィンして帰るって生活をしてた」
その仲間がサーフィンのメッカである千葉に引っ越し、現地の情報を流してくれるようになると、「サーファーになりたい」という一心で後先考えず周り見ず辞表を提出。バイト仲間のもとに転がり込むまではあっという間だったという。
地元へ戻るきっかけは「地元に根ざした人」の存在
こうして2年ほどサーフィン中心の生活を過ごしていた中野さんだったが、千葉市内で見つけた飲食店のバイトでの出会いが、その後の道を大きく変えることになる。
「元黒服だった六本木出身の『えりさん』っていう人がいて、とにかくかっこよかった。やってることはむちゃくちゃだけど、周りに慕われてて、誕生日になったら都内の色んな所から仲間が駆けつけてくれる。俺もこうなりたいって本気で思った」
何より羨んだのは、えりさんが自身の地元の仲間に慕われていることだった。
「その頃には千葉にも仲の良い人やよくしてくれた人がいたけど、地元じゃないからか、ふとした時にポツン…って取り残されてるような感覚があって。だからえりさんが慕われてるのを見た時に『地元に根づいてるってこういう人なんだ』って思ったんよ」
えりさんみたいになりたい。それなら地元に戻って、自分で店をやるしかない。大村に帰ると決めたのはその時だった。
経営者になった。独立した。そして気づいた
大村に戻った中野さんは地元の店で2年ほど飲食店のバイトをした後、縁あって地元の先輩二人で居酒屋を出すことになる。
「ド素人2人が周りに助けてもらいながら何とかお店を続けてね。『地元のつながりや絆みたいなところで生きていきたい』と思って帰ってきたけど、今思えば当時はまさにそんな状態だった気がするなあ」
その後結婚し、養う家族が増えたことで独立を決意。居酒屋を始めた。店名は、地元へ戻ってきた、という思いを込めて『ホームグラウンド』に。
最初は「楽しい」だけで続けていけたという中野さん。以前バイトしていた先の料理人の方や妻、家族に支えてもらいながら、足掛け16年続けた。しかし10年経った頃から、体力的に難しいと感じることが出てきた。後輩も育ってきている状況の中で、自身の考え方が変わり始めた。
「これまでは何も考えず楽しくやってきた。でも中身がなかったことに気づいたんよ。『お店の売りは何ですか』って聞かれても『ないです』って答えてたし。料理の勉強もしてないから、売上も必然的に落ち込んできて。
そのときに初めて『居酒屋さんってなんやろうな?』って考えるようになったんよね。自信持ってなにかを売れる人にならんばかなって」
新たな出会いはこれまでと違う感性に惹かれて
そのころに出会った「ヒト」と「モノ」が、その後の中野さんの人生に大きな影響を与えてくれている。
「ひとつは薬膳火鍋。知り合いに紹介してもらってから『これ売ろう!』って決めた。その頃に久美ちゃん(セレクトショップ Flamingo)やほうすいさん(佐藤 鳳水さん)と出会ったんよ。
みんな一度地元を離れて、いろんな感性を持ってて。俺がこれまで出会ってきた仲間の魅力とはまた違った、人を惹きつけるじゃないけど、そういうところがすごく惹かれるところかな。それが楽しくて。しょっちゅう飲もうよって声かけてる」
新たな仲間には、現在経営しているお店「雷 薬膳火鍋」の立ち上げ時にもお世話になったという。
「今の店の名前も一緒に考えてもらったよ。そのための食事会もした。最終的に自分が考えた名前にしたけど、みんな考えがぶっとんどるけん、とんでもない店名言ってきたりとかして楽しかったな(笑)。でも、感覚はすごくいい影響をもらった。とんがったほうがいいっていう」
同じようにお店のメニューの試食会も行い、最終的に最初に薬膳火鍋のお店に連れて行ってくれた人、そして名前を考えてくれた仲間たちが「いいんじゃない」と言ってくれたことが、薬膳火鍋の店を出す後押しになったという。
新たな挑戦を初めて約1年。今後は自分の店を周りに自信を持って自慢できるような存在になりたいと、中野さんは話す。これは、かつて千葉の夜の街で憧れた「地元に根づいたかっこいい人」と共通しているとも。
薬膳火鍋を扱うようになってから、地元の食材や生産者さんと繋がりたいという思いを持つようになった中野さん。お店では火鍋の元も販売しており、店での活動を通して長崎をどんどん全国に発信していきたいと語る。
そのくったくのない笑顔と喜びに満ちた声が、何よりも中野さんの今を、そして料理のおいしさを裏付けているのではないだろうか。
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