生活を第一に、挑戦を続ける。『大安歯科医院』大安努さん、綾乃さんご夫妻。

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東彼杵中学校の真横、国道205号線から一本入ったところに位置する大安(だいあん)歯科医院。「楽しい人生、おいしい人生のサポーター」という理念のもとメンテナンスの重要性を伝え続け、健康な人がたくさんくる歯科医院となって20周年を迎えた。地元で歯科医院を開業後、現在は塾も運営されているという大安ご夫妻。

チャレンジ精神で歯学の道へ

父親は工業系の会社員、母親は看護師、祖母は助産師をしており、家には入院施設まで備えた助産院があるなど、医療自体は身近にあったと話す努(つとむ)さん。きっかけは大学受験に失敗したことだった。

努「高校3年のときに受験に1回失敗して。浪人していろいろ考えたときに、工学部目指してたけど迷ったときにふと医療系のことがよぎって。医療系でも薬学、歯学、医学って3つあって難しいイメージあるけどちょっとチャレンジしたくて」

結果的には一浪してなんとか長崎大学歯学部に合格できたものの、受験前の両親は驚きの反応だったそう。

努「やっぱりびっくりしてましたね。九大の工学部目指してたからそっち行くと思ってたみたいで、急に共通テストの前に歯学部受けるからって言ったら『えっ!?』って。落ちたらもう1回浪人させてって言って(笑)」

大学卒業後はそのまま大学院まで進み、研究者の道へ。ところが10年を超えてきたあたりで歯科医院開業というさらに大きなチャレンジを決断する。

チャレンジが引き寄せたご縁

努「35歳ぐらいのときになんか自分の中で決めていかんといけんってボヤっとした思いがあって。なにか今起こさんと、手遅れになる。最後のチャンスになるって思ってた気はしますね」

最後のチャンスを逃すまいと大転換を決断した努さんだったが、綾乃(あやの)さんは大反対。当時はお二人とも長崎市が生活拠点であり、同じ長崎大学に勤めていた。市内の街中で生まれ育ち、賑やかな地元が大好きだった綾乃さんは家も安定した職も手放して、ここ東彼杵町に来るというまさに‘‘ゼロからのスタート’’をすぐには受け入れられなかったという。

綾乃「なんか自分の人生ガラッといきなり変わると思ったらすぐ『うん』って言えんかったですね。でも今はもう本当に来てよかった〜って。東彼杵町大好きになったので」

この言葉通りガラッと変化した東彼杵町での生活。しかし思いきった決断が小さな命を授かるという、思いがけない幸運を運んでくることになる。

綾乃「それこそずっとほしくて、不妊治療もしてたけど全然できなくって。それもきつくなって諦めてたところでこっちに引っ越してきて。しばらくしたらできたんですよね。それでありがたいことに今は子ども2人いるんですけど不思議なんですよね。うちの家をパワースポットだよっていう人もいるし。東彼杵町に来るべくして来てるってぐらい人生変わってる」

努「今、もともと祖母の助産院があった上に住んでるんで。そこに家を建ててから妊娠がわかったもんね」

きっかけは子どもの成長、自身の経験

そのお子さんも今や19歳と15歳。親も子も自然と将来について考える時期だ。

努「長男が中3ぐらいまではスポーツが好きで、野球とか陸上してたからスポーツ関連の仕事をしたいって。それもいいんじゃないかって言ってたけど、急に受験前ぐらいになって自分の仕事のことを聞きだして、歯科にいこうかなって言い出して。それまで全然勉強してなかったからそこからやり出して、いま歯科大に行ってる」

子は親に似る。工学部を目指しながらも急に歯学部へと方向転換をした努さんの姿にぴったり重なった。

綾乃「きっかけのひとつが学力が伸びたことみたいなんですよね。数学とか全然わからーんって言いよったけど、塾に行きはじめて点数が取れるようになったら自信がついて、少し視野が広がったみたいなんですよね。そういう長男のときの経験もきっかけで、いま塾をやってるんですけど、じゃあやっぱり地域の子どもたちも学力とかで自信がつくと、チャレンジしたい気持ちとか、視野が広がったりとかするかなと思って、塾を開いて4年目かな」

考えてみるとある時期から町内に塾がなくなり、長男に限らず周りの友だちも学校以外に勉強できる機会が少なかった。長男の成長を実感していたお二人はすぐさま動き始めた。場所は元々実家のあった場所につくっていた歯科医院の研修室を昼間だけ利用する形で。先生はたまたま患者さんに塾講師をされていた方がいたので相談。話はトントン拍子に進み、今では小5から中3まで毎日授業をしているという。

綾乃「学力もそうなんですけど。自分たちが長男の塾の送迎がすごく大変だったんですよね。送迎だけじゃなくて仕事終わったら急いで家帰って、炊事して、ご飯食べさせて、連れて行って。みたいな感じで家の中バタバタしてて。これから町内の家の人みんなこんなに大変になっていくのかなと思うと、やらずにはいれんかったですね。やっぱり親の気持ちの安定とかも子どもたちにとってすごく大事だと思うから」

努「うちの塾はたまたますぐそこだから中学校から歩いて行ける。来るときは歩いてきて、帰りだけ迎えにきてもらう。最初のコンセプトとして夜10時とか11時に終わるんじゃなくて、夜ご飯を食べる前に終わる。だから学校終わったら夕方5時から6時半までして、7時には家族とご飯が食べられるようにって。森くんには悪いけど途中でコンビニとかで買い食いせずに(笑)。塾で夕方勉強して、家で家族とご飯を食べられるようにやってみようって」

お腹がすいている部活帰りの子には塾長お手製のおにぎりが配られるそうで、塾というより寺子屋というイメージがピッタリの温もりある環境。ご自身が経験されされたからこそ学力向上だけを目指したチェーン塾にはない、親も子もみんなを楽にする学習スペースができた。

仕事も大事、生活はもっと大事

では実際、努さん綾乃さんお二人の幼少の頃はどうだったのだろうか。

努「うちは共働きで両方とも夜勤がある仕事だったから、兄弟男3人で。そんときばあちゃんが家にいたので半分ぐらいはばあちゃんのご飯、もう半分は母親のご飯っていう感じで。両親とも夜家にいないっていうのも多かったので、自分で作って食べたりとかもありましたね。だからといって寂しいっていうのはなかったですけど」

綾乃「私の場合は、母は中学生ぐらいまでは専業主婦で、それから仕事し始めましたけど。小さい頃は家族みんなでご飯食べてたっていう感じで、それが当たり前でしたね。父は忙しかったので割といないことも多くはありましたけど、食事の時間は家族みんなでって。だから家族の時間っていうのは育ってきた環境で違うなって、夫の話を聞いて思いました」

育ってきた環境は違えど、家族の時間、とくに食事は子どもとのコミュニケーションに大事な時間だと考えているお二人。できれば朝と晩は家族で食卓を囲みたい、そのために仕事をシフトするという考えもこのコロナの時期を通して考えることが増えたそう。

努「それこそ研修会もリモートになったり、家にいる時間がグッと増えて、家族の時間が大事だなって確認できたですね。毎週末研修に行きよった頃に、子どもも小さいっていうのもあって妻に怒られて。全然おらん、と。そん頃は自分も必死やったから勉強しよるし、別に遊びよるわけじゃないからって思ってたけど、冷静に考えてみれば遊びに行こうが、勉強しに行こうが家族の中に父親がおらんのは一緒。だから申し訳なかなーと思って」

それからは研修はこれまで通り続け、年に4回は旅行に行こうと家族会議で決定。

努「春夏秋冬に4回、1泊2日とか2泊3日とかで日程をおさえて、一年の最初にそこに研修会を入れないと決めてます」

綾乃「子供たちも旅行もだし非日常っていうのは楽しみにしてるよね。私たちも仕事から離れてゆるっとなるんだと思います。家にいるとやっぱりすることがあったりとか日頃のこと考えたりするけどあえて場所を変えて諦める。そういうのも大事だなっていうのもありますね」

今では子どもの予定に親が合わせ、夏と年末年始の2回だけは続けているそうだが、大安家では他にも家の裏庭で定期的に焚き火料理をすることもあるそう。

努「ゴールデンウィークやったかな。本当はキャンプ行こうかっていいよったけど、たまたま日程が取れんくて。そしたらもう裏庭にテント張ろうって言って、2泊して。家族は家で寝てたけどね。俺とうちの犬とふたりで寝てた。なんも邪魔しないでしょ。時間しかないし考えざるを得んっちゅうか。天気と時間さえ合えば今でも時々しますね」

綾乃「ビールも飲めるし。家ならふたりとも飲めるし(笑)」

よく食べ、よく飲んで、仕事に励む大安ご夫妻。今夜の食卓はどんな話で盛り上がっているのだろうか。

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