機械工学の知識を活かして、東彼杵町の町民に笑顔と安心を。『東彼杵町役場 総務課 課長 高月淳一郎さん』【長崎国際大学 佐野ゼミ生共著記事】

  • 志田 陸久(長崎国際大学佐野ゼミ生)

    志田 陸久(長崎国際大学佐野ゼミ生)

写真

長崎県の中央に位置し、鯨とお茶の町として栄えてきた東彼杵町。そんな東彼杵町の中核である東彼杵町役場で総務課課長を務めるのは高月淳一郎さん。

生まれも育ちも東彼杵町であり、学生時代は長崎県立川棚高校、佐賀大学理工学部機械工学科と進学し勉学に励んでいた。一般企業に就職したのち地元である東彼杵へと戻って町役場で勤め始めた。

県下で2番目に人口の少ない地域、東彼杵町。この町に高月さんが役場職員として働き始めた経緯と仕事での大事なことは何か、そして現在の町の問題をどのように捉えているかについて話を伺った。

企業の新人社員から町役場課長へ

大学では機械論や歯車に関する物理の分野を詳しく学び、大学卒業後は鹿児島県にある京セラ株式会社へ入社。

高月「入社日に、2つのことで社会の凄さ実感しました。1つは創業者、稲盛和夫会長の『自分がやりたいことをやりなさい、思っている方に進みなさい。』という言葉。もう1つは、入社式当日にこれから同僚となる2名の社員がやめていったことでした」

驚かされながらスタートした社会人生活。

地元の東彼杵町に帰ってきたのは高月さんが26歳の頃。実家の事情でいつか東彼杵町に戻ることが決まっていた高月さんは10年経って戻るよりも早く戻るほうが良いと感じ、すぐに戻ってきたという。

高月「こっち(長崎)に戻ってきても企業に入ろうかなって思っていて、諫早市にあるソニーとか、当時東彼杵テクノパークが町内にできる予定でそこに入った企業とかに行こうかとか、いろいろと考えていたんですが、そこにたまたま募集があって家から通えるという理由でとりあえず役場に行きました」

そこから役場の仕事に面白味とやりがいを感じ今に至るまで東彼杵町の役場職員を続け、現在は課長に昇進しチームをまとめている。

東彼杵町役場での経験・業務人口減少と町の課題は何か

異動がつきものの公務員だが、高月さんは東彼杵町役場で最初は財政係を担当した。そこから企画係に行き、庶務係、農政係、固定資産税係などをぐるぐると回り、長崎県庁にも1年ほど勤めたことがあるという。

その中で、東彼杵町では移住政策に力を入れているという。具体的な取り組みとして、家を建てるのに補助金を出す「持ち家奨励金」と東彼杵町内の空き家を綺麗な状態にして移住してもらう「空き家バンク」という制度がある。

総務課課長として、人口減少をどのように捉えているのか尋ねてみると、意外な答えが返ってきた。

高月「日本の食料自給率的に人口減少というより人口適正化なんよね」

江戸時代の末期の日本の食料自給率はほぼ100%に近く、現在の食料自給率は38%。日本の食料自給率が緩やかに下がり始めたのは戦後1960年ごろであり、一方でその年代には戦後の第1次ベビーブームも加わり、人口は1億人弱にまで爆発的に増加したことで、現在において日本国民の食料を国内だけで賄えないという事態が起きているのは理解できる。統計的に考えると、食料自給率から見た人口適正化という考えは正しいのかもしれない。

高月「まぁ、人口減少の一番の原因としては若い人が別のところに行ってしまうこと。長崎県は全国ワースト2,3位とトップクラスなんだけど、地理的に九州の西の端だからそうなってしまうことはやむを得ないことなんよね。でも、私は外(県外)に出ることは良いことだと思う。それは、地元の良さを知るために。一旦外に出て故郷の良さを実感したらまた戻ってきてほしい。」

県外に一度出て、地元に帰ってくるUターンを実際経験したからこそ、若者には1度外の世界を経験して地元の良さを知って、再び戻ってきてほしいという思いがある。それが、空き家バンクや持ち家奨励金という取り組みに繋がっているのだろう。

物理学の学びを社会で活かす

高月さんが仕事をする上で大事にしていることが2つあるという。

1つ目は「歯車のバックラッシのように遊び(隙間)を持たせる」こと。

高月「歯車には、ギア比があって1対2のギア比があれば片方の歯車を1回すのに大きい歯車が2回る。2の次に3があって、また小さい歯車もあってそれぞれに役割がある。そこで、何が重要かというと『バックラッシ』という安全率。必ず遊び(隙間)があって、機械論で言うと3%ある。その遊びの重要性は、人間社会でも同じこと。仕事や学業の中でどう組み込むか。がっちりし過ぎても、いいアイデアは生まれんけん」

学業で言うと休み時間に息抜きとして友達とゲームをして遊ぶ。仕事であれば、接客中にお客さんとたわいもない世間話をするなど、何事にも「遊び」をいれることでそれが潤滑油になり、物事が良い方向に進んでいくという。

確かに、リラックスしている時のほうがが良いアイデアが生まれることが多く、急いでいたり忙しい時ほど良いアイデアが中々出てこないのが世の常だ。

東彼杵では鯨やお茶が有名だが、東彼杵の缶茶パッケージには業者の方が書いた鯨やお茶のデザインに加えて、缶のどこかにイルカの仲間のスナメリを潜ませているそうだ。こういったアイデアも、遊び心から生まれたという。購入した際は、ぜひ手に取って探してみてほしい。

そして、2つ目は「初速度ではなく加速度をつけてあげる」ということ。

高月「モノというのはパッと落としたら1/2gt²で、gが重力加速度9.8m/s²だけれども、背中を押してあげる初速度だけ与えて、あとは自分でやってもらう。しかし、それだと自力でスピードを加えないと社会の中では摩擦抵抗があるから進まない。では、どうすればいいかというと『下り坂になるように道を傾けてあげる』ことが必要」

大事なことは一時的に町民を手助けするのではなく、町民に継続して寄り添い続けることで、将来的に良い方向に行くような手助けをしてあげることだという。

高月「ただ補助金をポンっと渡される、つまり肩を押されたときにちゃんと進める人もおる。しかし、押しすぎたらコケる。大事なのは、背中を押したあとも面倒を見てあげるような、加速度をつけてあげる取り組み」

役場の窓口では、来訪した町民へ少しお土産をあげるようなトークを添えてあげ「来てよかった。いいこと聞いた」と思ってもらえるように、そんな些細なことでも加速度をつけてあげることを意識しているそうだ。

今後の町と世の中、そして若者へ。

東彼杵町も課題は山積みだというが、高月さんは今の世の中と今後の町についてどう考えているのだろうか。

高月「どんな技術革新があろうと仕事っていうのは減らない。楽をしようと思って動いたら必ず次の仕事が出てくる。技術革新があった後は必ずそうなる。だから、現状維持ではなくて、常に新しいことを考えていかないとダメだと思う」

社会では常に新しいモノやコトが出てくるため、常に先を見て生きていくことや余裕を持っておくことが重要だという。

高月「嫌なことがあったとしても物事を俯瞰的に見て『3歩進んで2歩下がる2歩下がる』その2歩下がった時に少し上から見てみる。そして、パーっと見渡してみる。そしたら、自分の目標に対して間違った方向に進んでいるのかどうかが分かるから。たまに立ち止まるなりして周りを見渡してごらん」

物事に取り組む際には常に目の前のことだけに囚われず、広い視野と余裕をもって取り組むことが重要であると高月さんは語る。

高月「Sorrisorisoを作ったり、千綿地区を盛り上げてくれている森(一峻)君はとても凄い。森君も一回外に出て戻ってきた者だから、町に足りない部分が分かっているよね。森君達のおかげで、東彼杵でもちょっと遊べる雰囲気になってきていて嬉しい」

高月「普通、駅前の一等地にはビルが建ったり商業施設があったりするけど、東彼杵は平野がなくて農業の町やったけん田んぼしかない。それはしょうがないけど、これからもっと変えていこうと思っている。そして、長崎県は地震が日本一少ないという売りや海や山、各市町でそれぞれの良さ、色があるから足りない部分が何かは外から来た人にも聞きつつ強みや色はもっと生かしていくべきだなって」

人口減少を受け止め、外の人に東彼杵の良さを知ってもらって移住政策で東彼杵を繋いでいく。活動のすべてに”バックラッシ”を作り、大人から子どもまでが楽しく安全に住むことのできるようなまちをつくることが高月さんたち役場職員の役割なのだ。今後も東彼杵町にはさらなる発展の可能性を秘めており、同じ県民として目が離せない。

高月さんについて、こちらの記事も是非ご覧下さい。