長崎県東彼杵町の町役場で総務課課長を務めている、高月淳一郎さん。川棚高校で高校生活を過ごしたのち、佐賀大学機械工学科へ入学。大学卒業後は京セラ株式会社へ入社し、26歳の時に家庭の事情により、地元である東彼杵町へ帰ってくることに。
そこで、たまたま募集していた東彼杵町役場に応募し、採用されることとなった。
メーカーを目指した学生時代
高月さんは高校で理系を選択。大学では機械工学を専攻し、大学卒業後はメーカーへの就職を志していたと言う。
高月「当時はバブルが絶頂期やったとよね」
高月さんが就職活動を行っていた当時は受ければどこでも内定をもらえていたという時代だったそうだ。民間企業への就職を決意した高月さんは、最初の入社式で衝撃を受けることとなる。
高月「入社式に『今日辞めます』って言って、2人の新入社員が辞めたとよ」
自身も、家庭の事情で将来確実に地元である東彼杵町に帰ってこなければならないというのは理解していた。それならば、早い方が良いだろうと26歳という若さで会社を退職し、地元東彼杵町へ戻ってくることに。
現在の職場である東彼杵町役場へ就職
26歳という若さで地元東彼杵町に戻ってきた高月さんであるが、当時ちょうど県の大型工業団地の造成が開始されることになっていて、いずれそこで働こうと考え、とりあえず家からすぐ通えるという軽い気持ちで東彼杵町役場へ就職。
高月「当時は何か信念や、意思みたいな気持ちというのは全くなかった。たまたま募集があったから、そこに応募したというだけ」
メーカーから役場への転職。
高月さんが役場へ転職した当時、役場にはパソコンが3台しかなかった。
高月「当時はインターネットというものはなく、パソコン通信。メールとかなかったもんね。だからね、全部手書きよ。でもねそれはそれで回ってたとよ」
今の世の中では考えられないほどアナログの時代。それでも、社会は何の問題もなく回っていたようだ。
仕事に少しの”遊び”を
高月「仕事を楽にしようとね技術革新が起こってもね、必ず次の仕事が出てくるから。だからね、現状維持ではなく、常に新しいことを考えていかなきゃだめだね」
役場の仕事は国からの仕事が9割。だからこそ、残りの1割にどれだけこだわれるかが大事だという。
高月「そのぎ茶の茶缶に記載されたイラストの中で、鯨を大きく描いたその端に小さくスナメリがいて。この地域は鯨漁が有名だけど、それと同じくひそかにスナメリも有名な地域。このちょっとのスナメリを入れることにより、あとからテレビでのクイズになったりするかもしれんけんね」
この1割にこだわって、発想を織り交ぜながら仕事をやっていくことが重要だと高月さんは語る。
高月「僕がいつも仕事をする上で大事にしていることは、どんな時でも”遊び”を数%入れるようにすること」
高校、大学と物理学を勉強していた高月さんは、前職の会社でも、今の東彼杵町役場でも物理学上のある”考え方”を仕事にも生かしていた。それは、どんな仕事にも数%の”遊び”を必ず入れることである。
物理学で歯車についての仕組みを学んでいたことから、どんな局面においても少しの隙間(バックラッシ)を作っておくことが重要であると気づいたという。
そこから、人生においても必ず隙間を作っておくことによって安全に事が進むということを信じ、実践しているようだ。この考え方こそが、そのぎ茶缶のような発想力につながっているのかもしれない。
地域の利点を活かしたまちづくり
高月「ここら辺(東彼杵町周辺)の強みってなんと思う?それはね、地震が全くないこと」
この言葉を聞いてハッとさせられた。確かにそうだ。地震の経験が本当に少ないと感じる。この強みをどうにか広められないだろうかということで、「空き家バンク」という取り組みが行われたと言う。
空き家を所有している人に、空き家バンクに登録してもらって、町外からの移住者に一定期間その家を貸して頂くといった取り組みで、高月さんはこれに力を入れているとのことだ。
高月「この地域のマイナスな面をプラスに変えていくという発想がこれから重要になっていく。だからこそ東彼杵町やその他の地域の若者には、一回外からこの地域を覗いてほしい。」
外にいるからこそ気付けるこの地域の魅力。その良さに気づくことさえできればマイナスもプラスに変えることが可能なのかもしれない。
また、高月さんはこうも語る、
高月「人口減少は、人口適正化である」
人口減少という言葉にとらわれて悩むよりも、この地域の強みを活かした「効率的」な取り組みがこの先求められるものなのかもしれない。
これから高月さんがどんな”遊び”を東彼杵町へ入れてくれるのか、とても楽しみだ。
高月さんについて、こちらの記事も是非ご覧下さい。