波佐見に根ざすおしどり夫婦が、あなたの暮らしを支えます。 アサダ建設 浅田勝也さん、ナルミさんご夫妻

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東彼杵郡波佐見町に根ざし、地域密着型の手厚いサービスで町民の暮らしを支える「アサダ建設」

長崎県波佐見町に根ざし、建築業からリフォーム・リノベーション事業、不動産業まで幅広く展開し、地域密着型の手厚いサービスで町民の暮らしを支える「アサダ建設」。不動産部門の「あるある不動産」の中核を担うのが浅田勝也さん、ナルミさんご夫妻だ。

専務取締役:浅田勝也さん(以下、勝也)。元々、印刷会社で働き、ナルミさんとの結婚を機にアサダ建設に入社した。「自分が入った時に不動産部ができて、そこから3年後くらいに宅建の資格を取りました」。建設から不動産の扱いまでマルチに知識があるからこそ、人々からの信頼が厚い。

企画不動産担当:浅田ナルミさん(以下、ナルミ)。父親はアサダ建設代表の浅田久太さん。幼稚園教諭として働いていたが、勝也さんとの結婚、出産を経て一旦専業主婦へ。その後、父親と夫の働くアサダ建設の不動産部門として企画提案を行う。

根っからの波佐見っ子同士が
仕事も、家庭も、支え合う。

生まれも、育ちも波佐見町。そんな波佐見っ子のふたりは、子どもの頃からの知り合いであった。いわゆる、幼馴染。だけど、遊んだり話したりすることもあまりなく、知り合い止まりだったという。そんなふたりがお互いを意識する、運命の歯車はいつから回り始めたのだろうか。

勝也「元々同級生で、小、中とずっと一緒でした。でも、お互い意識したことはなくて、特に中学では喋ることすらなかったです。高校からは別々で、卒業後はお互い福岡に出て。そして、それぞれが地元に戻ってきて勤め出しました。その間、連絡は取り合っていませんよ(笑)。仕事にも慣れてきた、22歳の頃だったでしょうか。

ナルミ「2008年。地元の居酒屋で久しぶりに再会しました。これまで、全然話していなかったのに、小学校ぶりに会って話してみると喋りやすいってなって(笑)。そこから、意気投合して交際することになりました」

そして、二人は結婚することになる。10年振りのふたりの再会がきっかけで、今こうしてふたりで不動産業を営み、仕事も家庭も支え合っている。なんとも不思議な縁だ。また、夫婦ともに地元の波佐見町で同じ仕事をし、生活をしているということが強みになっているという。

この地に興味を持ってくれたからこそ
田舎暮らしの酸いも甘いも、伝えたい。

未だに都市部に人が流れる日本社会であるが、ゴミゴミした都会を離れ、心機一転で郊外や地方移住を考え、実際に移り住む人が増えてきている。ライフスタイルが多様化してきていることの表れで、自分らしい暮らしを描ける社会は良いことだ。しかし、これまで都市部で暮らしてきた人間が田舎暮らしへの憧れ、理想そのままに飛び込むと、「思っていたのと違った」と挫折する人も多い。その土地ならではの人付き合いやルールを受け入れることも、暮らす上で大事になってくる。浅田夫妻は、波佐見町に生まれ育ち、暮らし、仕事を営む不動産業者として、この地で暮らすことを検討している移住者に対してアドバイスを欠かさない。

ナルミ「移住者も増えてはいるんですが、どうしても問題が出てきます。”地域の決め事”が、その多くです。郷に行ったら郷に従うというか、移住者はそこまでしたくないことでも、最低限の地域の決まり事というものはあるので。ですから、そういう意味で住み始める時から地域と繋がっていた方が良いと思います。住んでみたものの馴染めなくて、いろんな地域行事に参加ができない。最終的には孤立化するということも考えられるので、お互いが歩み寄れるところで妥協はしなきゃいけないことは予め伝えるようにしています。ここまで踏み込んでサポートしてあげて、初めて不動産業者と言えるのではないかと思います」

勝也「最近、移住者の方で流行っているのが空き家を活用した暮らしです。でも、いざ空き家が見つかっても、誰も専門的な知識がないとなると話を進めるのが難しい。そういうところに、私たちがサポートできれば良いのかなと。不動産取引は法律も絡んでくるので、自分たちみたいな専門業者が手助けをしてスムーズに話を取り付けていくことができます。移住者がどの地域でも増えてきている中で、個人間で行うのは危険性が高く、後々言った言わないなどのトラブルなども生じやすいです。上手く不動産会社を介入させるというのが、買い手と売り手お互いにとって安心だと思います」

住んでからのトラブルを極力無くし、新しい地域での暮らしに満足してもらうため。その思いで、浅田夫妻は移住者に向けた情報サービスの提供を始めた。従来の不動産業としての枠を超えた、ユニークな事業も展開中だ。詳しくは、「もの」記事をご覧いただきたい。

ナルミ「『この物件を見てみたいです』というお問い合わせがあって、案内してみると『写真で見たのと実際の物件とでは全然イメージが違う』と。そう言われると、実際遠くから来ていただいたのに申し訳ないという思いがあります。案内だけでも、午前中いっぱいかかってしまう場合もあるので」

勝也「そういう無駄な時間をお客様に与えないようにするためにも、独自のウェブサイトを立ち上げました。そして、最初の掲載の段階で時間をかけてでも事細かに伝えることを念頭に置いています。疎かにはできません。それだけ時間をかけてでも、無意味な案内になってしまうよりも効率が良いと考えます。リアルに良いところも悪いところも最初から載せるというのは、そういう意味においてメリットになることもあるので」

実際のサイトの記事を見てみると、こんなところまで紹介するのかと感心するほど詳細に書かれている。それは、紹介することでデメリットになる部分においても包み隠さずに伝える。それが、浅田夫妻の「あるある不動産」のモットーだ。

勝也「中間にいる自分たちが丁寧に接することで、繋いでいく。記事の書き方も、本当のことを全て書きます。内容を見てもらえれば、わかると思います。不動産情報のポータルサイトに写真を羅列するなど、手間をかけずに物件化して成約に繋げた方が、すぐに利益にも直結するので、多くの不動産業者がこのような紹介方法をとるのは分かります。ですが、不動産というのは双方にとって一生に一度あるか無いかの特別なお取り引きになるので、紹介する側としても、もっと丁寧な情報提供を行うべきではないかと思います。例えば、その物件の傷んでいる部分について普通の不動産会社であれば営業トークでどうにかカバーできるのかとは思いますが、僕は口下手なので(笑)。だったら、予めサイトに詳しく載せておいた方が良いんじゃないかなと。それが、不動産屋としての仕事ではないでしょうか。空き家にしてもそう。なんとか活用してもらうように良いところも悪いところも紹介した上で、一緒に考え、提案させてもらえれば幸いです。なかなか空き家にフォーカスし、物件化する不動産屋は少ないので。私たちみたいな会社が、空き家もメインとして扱っていければと考えています」

『家』とは、体験と学びの場所だと思う。暮らしながら、住まいの豊かさについて考えてみる。そして、直感と質感を足しながら自分たちらしい暮らしをつくっていく。大切なのはスタイルでなく、感情や体験の集積に根を下ろすことだ。そのために、寄り添って助けてくれる不動産業者と知り合いになれたら、どんなに心強いことだろうか。家が豊かだと、心が豊かになる。家族の命を守る、帰りたくなる家。そんな住まい探しを、この夫婦になら安心して任せられるはずだ。

みせ・ことについての詳細は以下のそれぞれの記事をご覧ください。

浅田勝也、ナルミ

浅田勝也、ナルミ(有限会社 アサダ建設)

浅田勝也  1985年、長崎県波佐見町生まれ。地元の高校を卒業後、福岡のデザイン専門学校へ。その後、広告代理店や印刷会社で経験を積み、(有)アサダ建設へ就職。現在は不動産事業部を取りまとめている。 浅田ナルミ  1984年、長崎県波佐見町生まれ。短大卒業後は地元の幼稚園へ就職。その後(有)アサダ建設へ就職し、現在は、オヘソジャーナル編集長として不動産のマッチングに大きく貢献している。