
東彼杵郡東彼杵町の町民の生活を支える東彼杵町役場。町民の生活においてなくてはならないものである。
東彼杵町役場で総務課企画係として働く森 縁さんに、東彼杵の子ども政策や親としての率直な意見を2024年6月20日に取材した。東彼杵に引っ越してきた経緯や子育て、仕事への向き合い方などについてじっくりとお話しいただいた。
約1年半、子育てに専念
幼いころから日本史の教員を目指していたため大学では教育学部を選択し、卒業後は先生として長崎に帰ってこようと考えていた。
しかし、長崎県では日本史の教員を毎年1人ほどしか採用しておらず、3年半ほど臨時採用教員として働いていた。なかなか採用してもらえなかった期間が続いていたけれど、教育というものに楽しみを見出していたためこの仕事を続けていこうと考えていた。

もともと25歳くらいで結婚して子供も将来的に作っていきたいと思っていたところ、ちょうど25歳ぐらいで出会いがあり、とんとん拍子で話が進み子供にも恵まれた。
「臨時の先生は辞めるのも簡単だったから、とりあえず次の採用試験を受けず子供を育てようと思ったんです」
そこから約1年半子育てに専念した。仕事のことを一切忘れて子育てを行ってきたが、2つの心配を感じたという。それは「自分は将来年金をもらえるのか」ということ、そして「子育てだけでは暇で寂しい」ということ。
この2つの不安を抱いていたが、森さんは仕事のことを考えなかった。不安を抱えてはいたが、時間があったからこそ自分の夢について考えるようになったそうだ。
そこで憧れであった「家」を建てたいと考えた。
大村に家を建てたい。しかし……
森さんは夢のマイホームを手に入れたいという昔からの憧れを胸に、暇な時間を活用して息子さんを連れてモデルルーム巡りをしたという。そのモデルルーム巡りが本当に楽しく、毎週のように通って家族にも相談するようになり、現実的に家を建てることを考えるようになった。
「建てるんやったらやっぱり仕事も復帰したいし、県の真ん中ぐらいに住んでどこの学校に配属されても通えるようなところにしたいなと思って」

「大村のインターの近くに土地があったんですけど、そこをひそかに狙ってて(笑)。ぴったりのところを見つけたんです」
そんな時に旦那さんの父から「土地なら東彼杵にあるから」と言われたそうだ。森さんは見つけていた大村の土地に家を建てたいというのが本音だったけれど、その申し出を断ることができずに東彼杵に来ることになった。
「お義父さんが土地をくれるって言ってるし、私は東彼杵に住まなくちゃいけないんだ。当時の私はそんな風に考えてたし、正直渋々だったし、騙されたと思っちゃってました(笑)」
大村に建てるより大きな家が建てられると言われ徐々に納得していき話を進めていった。それから、家を建てていくうえでお金が必要となり働かないわけにはいかないと森さんは判断し再び働くことを考える。
条件に合う職場と、私が働く理由
当時の森さんにとって、「東彼杵はどこに出かけるにしても遠い町」と思っていた。また教員という職業の特性上、仕事と子育てと両立することが難しかった。何も起きなければ問題ない仕事ではあるが、例えば学校で生徒に何かあったら家に帰れない。さまざまな理由を含めて子供に負担をかけてしまう。
そこで教員に戻るのは一旦辞めることに落ち着いた。

「5時半くらいに仕事終わって、お迎えに行って、毎日ご飯作って、お世話するお母さんのほうが子供のためになるんじゃないかって思ったんです。そう思っていた時に、ちょうど町役場の募集がかかっていたので急いで申し込みました。あと数日で締め切られるというタイミングで見つけ、これだと思って(笑)。これなら住んで、働いて、子供の迎えに行ける手近なところっていう条件を満たしてくれていたから、役場で働こうって決めました」
役場の仕事に憧れやなりたいといった想いは正直なく、以前住んでいた諫早市では教員を目指していたこともあって、「何が楽しくて市役所で働いているんだろう」と思っていたほどであった。
「やりたいことがなかったから、面接のときにも任せていただいたらどんな仕事でもしたいですって言ってました(笑)」

「当時ほどではないけど、今でも自分の子供たちのためにここで働いているっていう感覚があるし、教員に戻ろうかなとふと考えることがあるけど、子供たちの顔がよぎって一歩が踏み出せないんですよね」
自分のやりたいことだけではなく、「家族」という存在が森さんの選択を左右するようになっていった。
政策を知って、東彼杵を好きになっていく
役場に勤め始めてから配属先はまず福祉係になった。福祉の中でも、障がい者福祉・高齢者福祉についての仕事と、子ども保育福祉についての仕事の2つに分かれていた。森さんは子ども福祉をやりたいと思っていたが、障がい者・高齢者福祉に配属された。
その後部署内でシャッフルされるタイミングで子ども福祉を希望し、1年ほど子ども福祉の仕事をすることに。子ども福祉の政策や支援の対象となるのは、ひとり親家庭の支援などである。簡単に言うと学校に入る前の子供たちをサポートする仕事をされていた。
特に保育は楽しかったと感じていて、その時に自分の町の政策や身の回りのことを考えるようになり、東彼杵の魅力を感じ始めるようになった。

そして現在総務課の企画係として移住支援や少子化対策、統計調査等を行っている。移住支援では転入・転出を基にした社会増減において県内で5つの市町村でしか達成できなかったプラスをつくることができた。
「仕事をしていく中で出産祝い金、不妊治療の補助金、出産・子育て応援ギフト、保育料無料や給食費無料などの政策を知っていって。子育てをしている身として、『東彼杵、良いやん』って思うようになったんです」
子ども福祉に続いて、総務課の企画係として仕事をすることで東彼杵の良さを知っていった。

子育てのリアルと希望
現在2人のお子さんを育てている森さんだが、様々な支援を活用しても子供をつくる、育てるということは本当に大変なことらしい。もちろんお金の面で大変なこともたくさんあるが、それと同じくらい別の大変さがあるそう。
いつ泣くのかわからないところや、なんで泣いているのかわからないという家で感じるストレスを受け止めてほしい、といったリアルな悩みを聞くことができた。このインタビューをする前は金銭的な理由で子供をつくることをためらっているのかと考えていたが、別の理由があるということを知ることができた。
「子供が1人増えると時間とかお金とか今考えてる人生計画が大きく崩れちゃうし、欲しいとは思うけど簡単には決められないんですよね」
そのくらい子供というものは大きな存在であり、人生の大きな選択になる。もちろん子供がいることで豊かになることもあるが、現実的な話や少子化対策のためにお金以外の部分で何が必要かは正直わからない。

最後に東彼杵町の政策をフル活用したらどのくらいのお金を浮かせることができるか教えていただいた。29歳以下で結婚して東彼杵町に転居してきて子供を3人産んだ場合、東彼杵町の独自に行っている政策でもらえるお金は1180万円だそう。他の自治体よりもお金を出しているという東彼杵町。
将来住む町として選択肢に入れてもいいかもしれない。