『90歳で花開く男の「行きがかり上」な人生論』ダンボールマン、小仙 浩司が見つけたサポーターの美学

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ローカルしらべ 佐世保編」と銘打たれたイベントの壇上で、ひときわひょうひょうとした空気を放つ男がいた。その名は小仙浩司(こせんこうじ)。元佐世保タクシーのドライバーであり、「みんなのダンボールマン」として活動し、最近ではまちづくり「一般社団法人REPORT SASEBO」の理事にもなった。その経歴は謎に満ち、彼の語る人生は、まるで予測不能なロードムービーのようだ。

「沖縄から追放された」「占い師に90歳で花開くと言われた」。彼の口から飛び出す数々の衝撃的なエピソードは、会場を笑いと驚きで包み込んだ。その波乱万丈な道のりは、彼がどのようにして現在の「サポーター」という独自の立ち位置を見出したのかを物語っている。

兄の背中とスクールカースト。居場所を探した少年時代

彼の物語は、写真に写る「天使のよう」と評された幼少期から始まる。しかしその愛らしい見た目の裏で、彼は早くから自分の立ち位置に敏感な少年だった。5つ上の兄と2つ下の妹に挟まれた次男。「次男あるある」と彼は言う。兄にはなれず、妹には身長を追い越される。常に誰かと比較される環境で、彼は無意識のうちに自分の「居場所」を探し続けていた。

その探求は、中学校でさらに複雑化する。複数の小学校から生徒が集まる環境で生まれた、見えない「スクールカースト」。彼はその力学を敏感に感じ取り、「いじられる側」にならないよう、5つ上の兄のミックステープを持ち出したりしながら、必死に自分のポジションを模索した。

小仙「いわゆる1軍のグループにいたけど、彼らがやっていたヤンチャを見て、ここではないなと思ってドロップアウトしたんです。」

強い者に媚びるのではなく、かといって反発するわけでもなく、彼はそっとその場を離れることを選ぶ。この「ドロップアウト」は、彼の人生を象徴する最初の出来事だったのかもしれない。

彼のコンパスは、常に憧れの兄に向けられていた。兄が音楽を始めれば、自分も吹奏楽部に入る。兄が沖縄の大学に進学すれば、自分も同じ道を辿る。「兄の後輩」という立場は、新しい環境に飛び込む彼にとって、一種の安心材料だった。しかし、その安住の地も、長くは続かなかった。

沖縄からの追放、そして占い師の予言

大学生活は、彼にとってさらなる試練の場となる。ジャズ研ことジャス研究会に入部するも、同期たちの音楽的な深さや濃いキャラクターに圧倒され、OBでもある兄とも比べられ、個性を求められ、、次第に遠慮していく。学部の親友とはあまりにも一緒にいすぎて、その彼女からの嫉妬を感じるようになり、さらに一人で過ごす時間が増えていった。

そんな孤独な日々に、運命的な(そして少し奇妙な)出会いが訪れる。ふらりと入った古本屋で、おばちゃんに突然呼び止められ、こう告げられたのだ。

小仙「あなたは90歳を超えてから地位とステータスが向上するから、長生きしなさい。」

この言葉は、彼の心に深く刻み込まれるが、90歳まではそう上手くは行かないとも言える。そして追い打ちをかけるように、彼は友人との共同生活のトラブルから「沖縄から出ていってくれない?」と告げられ、文字通り島を追放される。憧れの兄を追いかけてきたはずの場所で、彼は完全に居場所を失ってしまったのだ。唯一の救いは、まさかの関係が薄かった友人からの「小仙は小仙のままで、周りが変わっていったんだよ」という言葉だった。

故郷に帰れば、今度は実家の家業が経営危機に陥っていた。金融業者との修羅場を目の当たりにし、彼は24歳にして人生の厳しさを痛感する。兄への憧れ、カーストからの離脱、沖縄からの追放、そして実家の危機。彼の人生は、常に「行きがかり上」の連続だった。

流れ着いた先で見つけた、心地よい距離感

その後、家を追われた彼は、独自の視点で自分の役割を見出していく。「みんなのダンボールマン」としての活動もその一つだ。きっかけは、学生時代に目にした路上生活者が使うダンボールの家。その何気ない風景に、彼は社会の周縁にいる人々への眼差しと、クリエイティブな可能性を見出した。

小仙「ダンボールのグラフィックがかっこよくなったら、彼らの家もかっこよくなるんじゃないか。」

この発想から生まれたパフォーマンスは、やがて彼の代名詞となる。友人である中尾さんに「そそのかされて(笑)」佐世保に流れつた彼は中尾さん関わっている万津6区が主導する「NEO朝市」のプロジェクトに関わることとなる。当初は「コンセプトは面白いけど、朝4時なんて誰が来るんだ」と関わることに消極的だった彼だが、そのプロセスに深く関わるうちに、彼の「サポーター」としての才能が開花していく。

小仙「頼まれたのは、会場の什器をダンボールで作る事だけだったけど、気づいたらイベントの根幹に関わっていた。最初は怒っていた地元の人たちが、だんだん受け入れてくれるのが嬉しかった。」

彼は、自ら旗を振る「チャレンジャー」ではない。しかし、誰かが始めた面白い流れを見つけると、そっと寄り添い、いつの間にかその中心で不可欠な役割を担っている。彼自身が語るように、それは「リポート(REPORT:主体的に報告する)」ではなく、「サップ(SUP)で隣に寄り添いながらサポートする(SUPPORT)」というスタンスだ。

「ローカルしらべ」のイベントで、彼は登壇者としての中尾氏との関係を「見つめ合うんじゃなくて、見積もり合う」と表現した。互いの能力や立ち位置を客観的に評価し、過度に期待せず補完し合う関係。これは、彼がこれまでの人生で培ってきた、コミュニティとの絶妙な距離感を保つ術そのものだ。タクシードライバーになった理由もそこにあると言う。

彼は決して一つの場所に安住しない。佐世保での2年間を終え、彼はまた新たな「行きがかり上」の旅に出る。次なる舞台は、故郷の岡山県倉敷市だ。しかし、佐世保との繋がりが消えるわけではない。「REPORT」の理事として、彼はこれからもこの街と関わり続ける。

沖縄から追放され、故郷からも追われ、常に自分の居場所を探し続けてきた小仙浩司。彼にとって佐世保は、ついに見つけた安住の地だったのかもしれない。いや、あるいは、彼にとって「居場所」とは特定の土地ではなく、中尾さんが名付けた「RE_PORT(戻ってくる港)」のように、面白い人々と関わり、「サポーター」として自分の役割を果たせる関係性そのものなのかもしれない。

その陰には彼を支える家族のサポートがあってこそだという。

「90歳で花開く」という占い師の言葉を、彼は今もどこか信じている。そのひょうひょうとした佇まいの奥に隠された強さと優しさを武器に、彼の旅はこれからも続いていく。その予測不能な航路が、次にどんな面白い風景を見せてくれるのか、楽しみでならない。