大学生3人組・タジュラモゾフが発行するYIPPEE magazine
第2号の取り扱いがSorrisoriso内、くじらの髭にてはじまります。
「tajuramozoph(タジュラモゾフ)」という3人組がいる。彼らは昨年の2020年、大学4年生のとき、雑誌「YIPPEE magazine(イェピー マガジン)」の第1号を自主制作した。
その年の冬。彼らはたまたまSorrisorisoを訪れてくれた。こちらにも興味を持ってくれて、互いに話をしていくうちに、われわれは「この子たち、なんだかめちゃくちゃ面白そう。」と感じた。そして、東彼杵のコミュニティライン「たしてひがしそのぎ」に彼らを招き入れたのである。
そして2021年6月。ラインに「第2号が完成しました」とメッセージが届いた。彼らと会って話をしてから半年後のことだった。
そのメッセージは、われわれおじさん(おばさん)たちのハートに熱い炎を灯してくれたのだ。
同世代の若者16名の“熱中”を全236Pに叩き込んだ第1号
「YIPPEE magazine(イェピーマガジン)」第1号のテーマは、“pika-pika | mera-mera(ピカピカ メラメラ)”。ひたすら何かに熱中し、何かを夢見る自分たちと同世代の若者たち16名を密着取材した。飾らない等身大のインタビューで彼らの輝きや情熱を存分に描き出したうえ、心の内に潜む不安や葛藤までもがあぶり出されている。
製作期間は約1年間。取材、撮影、執筆、デザインすべてを3人でこなした。
そしてその1年後、“Tic Tac(チクタク)=時間”をテーマに、第2号が発行された。
今回は、ロングインタビュー2本、ルポルタージュを3本の柱とし、イラストや写真、漫画など内容もグレードアップしているのだ。
一体、何が彼らを雑誌づくりに駆り立てるのか。Sorrisorisoに彼らを招き、話を伺うことに。
長崎県立大学で出逢った3人がチームに
森「今日は、改めまして。わざわざお越しいただき有難うございます。よろしくお願いします。ふふ」
3人「よろしくお願いします。ふふふ。」
若い子に話を聞くソワソワ感とワクワク感、そしてわずかな緊張で、思わず笑いが漏れる。そんなハートウォーミング(?)な現場で、「tajuramozoph(タジュラモゾフ)」へのインタビューはゆるりと始まった。
植田颯太
まず、植田颯太(うえだ そうた)さん。諫早市多良見町出身。
小学校低学年まではやんちゃでおちゃらけていたが、小学校5年生を境に大人しくなり、現在に至る。諫早市の西稜高校に進学後、長崎県立大学への進学を機に佐世保へやってきた。
第2号では、佐世保市塩浜町の「Cafe Bar & Music BESSIE SMITH」のマスター・小田原さんを取材。10日間、毎晩通い詰めてインタビューを敢行した。
永田崚
次に、永田崚(ながた りょう)さん。長崎市出身。自称シティーボーイ。江戸時代初期から約400年の歴史がある「植木の里」と呼ばれる古賀地区で育つ。樹齢約600年、高さ約10mを誇る日本一のラカンマキが有名。
活発な小学生時代、遊ぶのはもっぱら年上が多かったという。中学生までバスケットボールに打ち込み、毎日練習に励んでいた。高校は、そうたさんと同じく西稜高校に進学。
誌面では、長崎市にある「古物 豊島」の店主・豊島さんを取材。総インタビュー期間は約1ヶ月、録音した音源は30時間超。文字数にして40P約5万文字という、とんでもない熱量の記事を書き上げた。
竹本拓史
そして最後に、竹本拓史(たけもと たくみ)さん。熊本県人吉市出身。大学進学を機に九州内のどこかに出たいという想いがあり、かつ英語をメインに多くのことを学べる学部を探していたところ、長崎県立大学経営学部国際経営学科に行きついた。
たくみさんは、出身地・熊本県人吉市を襲った令和二年七月豪雨のルポルタージュで誌面のラストを飾った。災害で実家は全壊し、現在家族は仮設住宅での生活を余儀なくされている。
3人が対面したのは、進学先の長崎県立大学。そうたさんとりょうさんは、高校の同級生であったものの、大学まではまともに話をしたことがなかったという。
そうた「やばそうなニオイがプンプンして気になってはいたんですけど。俺みたいなタイプは嫌われてるだろうなと思ってました。」
りょう「大学のオリエンテーションで彼を見つけて。友達いなかったし、いまコイツと関わらんかったら誰とも関われんやろうな、と思って話しかけました。環境次第なんですね、ほんとに。」
と、そうたさんとりょうさんの2人は笑いながら当時を振り返る。
就職活動きっかけに雑誌づくり
共通の趣味だというフィルムカメラなどを通じて自然と集った3人。
雑誌づくりを始めたのは、大学3年生の頃。季節は梅雨だった。まだコロナ禍ではなく、県境どころか国境を超えての移動も楽しめた時代。海外研修などの貴重な経験ののち、いざ就職活動へと歩を進めたそうたさんだったが、素直に取り組めず一旦止まってみようと考えた。
そうた「まず、何かやってみてから考えようと思ったんです。そこで、3人ともフィルムカメラが趣味だったので、りょうくんが『写真集を出そうか』と話を持ちかけてきてくれて。」
森「はじめに走り出したのは、そうたさんとりょうさんの2人だったんですね」
そうた「そうですね。でも、僕がそのとき就職活動で迷っていたので。どうせなら色んな人に話を聴きたいということで、写真とインタビューもどちらもやりたいね、と。」
その後、りょうさんが2人を食事に誘った。不自然なタイミングでの電話から始まった、いつもと違うモゾモゾとした雰囲気は、思い出し笑いをしてしまうほどおもしろかったらしい。
「3人で何かやろうよ。」と声を掛けたことがきっかけとなり、雑誌づくりが本格的にスタートした。
たくみ「そのときのお食事で、アヒージョ食べたんですよね。」
誌面のメンバープロフィールの、たくみさんの好物の欄には、しっかりと「アヒージョ」の文字が刻まれている。
3人で短い単語をせーので言って決めた
3人のチーム名「tajuramozoph(タジュラモゾフ)」は造語。3人で短い単語をせーので言って決めたのだそうだ。聞いたこともない、初めて口にした未知のものばかりの集合体。なかなか人に覚えてもらえないまま1年が過ぎたとのこと。
生みの苦しみの先にあるYIPPEE!
森「ちなみに、チーム内でのそれぞれの役割はなんですか?」
3人「うーん。役割・・。」
森「みんな写真撮って、みんな文章も書いて、ってことですね。すごい3人ですね」
りょう「でも、基本的にパソコンをさわるのはそうたなんですよ。」
そうた「リーダーは特に決めていないんですけど、りょうが先導してくれるというか。その中で僕らは自由にできるので、チームのバランスが取れていると思います。」
そもそも、自費出版でこれだけ多くの読み物が詰まったクオリティの高い本を作り上げることは容易ではない。制作費用に関しては、1号はアルバイト代で制作し、2号は1号の売上も注ぎ込んだという。
森「文章も、好きじゃないとこんなに書けないですよね。本も普段からたくさん読んでいるんですか?」
たくみ「苦しみながら書きました・・。」
そうた「でも、普段から書いてるかというと、書いてなくて。本も、それこそ雑誌をつくろうってなってから読みだしたぐらいで・・りょうは大学1年の頃から本読んでましたけどね。」
りょう「頭良くなりたい一心で大学に入ったんで。マヤ文明とか。面白いですよね。」
制作に注ぎ込んだ時間と労力はすさまじく、肝心の雑誌名も後回しとなった。編集をすべて終え、やっと候補をちらほら出していった中で、達成感や喜びを意味する「YIPPEE(やったー!!)」がぴたりとはまった。
まだまだ面白くなる余地はある
森「1号と2号、作ってみていかがですか」
そうた「1号と比べると、ちゃんと雑誌のベースみたいなものはできてきたかなと。まだまだ面白くなる余地は全然あると思います。」
雑誌のテーマは特に決まってはおらず、とにかく3人がひたすらに興味があるものを自由に取り上げていくスタイル。しかし、制作を通じて少しずつそれが見えてきたという。
たとえば今回なら、膨大なロングインタビューを経て、2.3時間程度では見えてこない取材対象者の思いや気持ちの移り変わりなどを形にすることができた。レイアウトやページ数が自由なリトルプレスの強みを活かしていきたい、と3人は話す。
エッセイや詩、イラストに写真や古着など、誌面上で一緒に愉しむ仲間もこれからどんどん増えていきそうだ。
応援おじさんら、集結す
2号の発行後、Sorrisorisoが定期で選書をお願いしている長崎市の「ひとやすみ書店」から、新たな本が届いた。その中には、なんと「YIPPEE MAGAZINE」があった。
冊子をめくった内側には、店主の城下康明さんからの熱のこもったメッセージが書かれたメモがついていた。
現在はシェアハウスに住み、アルバイトを続けながら制作資金を貯めているという3人。3号の発行に向けて、グッズ展開やクラウドファンディング、フリーペーパーの制作などさまざまな取り組みを思案中だ。
世の中にとらわれず、興味や情熱の赴くままに雑誌づくりを続けてほしい。
おじさん・おばさんたちは、これからも君たち「tajuramozoph(タジュラモゾフ)」を応援しています。
「YIPPEE MAGAZINE 2」は、現在Sorrisoriso内にて取り扱い中だ。彼らの熱量と鋭い観察眼、生みの苦しみとともにある楽しさがぎっしり詰まったこの一冊、ぜひ手に取ってみてほしい。
ものについての詳細は以下の記事をご覧ください。