東彼杵の自然を”食べ”て、自然を”育む”。 海月(くらげ)食堂代表・新井明香さん

東彼杵町でオーガニックにこだわった料理を提供する海月(くらげ)食堂。運営をするのは、ふたりの女性であり、子どもを育てるお母さんだ。自らの視点を軸に、健康的なライフスタイルを送る上での環境改善を発信し、SDGsにも力を入れている。そのうちのひとり、新井明香さんはオリジナルのオーガニック商品を作って販売したり、店の広報や経理を担当。「長崎県で生まれ育ったのに、東彼杵が長崎だということを知らなくて(笑)」。諫早市出身の彼女が、東彼杵を知り、移住するきっかけとは何だったのだろうか。

3.11の震災を経て生じた”都会で暮らす”ことへの限界。

新井「高校卒業後は、看護の専門学校へ行って看護師の資格を取り、横浜で働いていました。結婚して子どもを産み、育てながら暮らしていましたが、2011年の東日本大震災を経て、このまま都会で一人で子育てを続けることが不安になりました。そのタイミングで、長崎にいる父が亡くなり、遺品の整理をするために一旦子どもたちを連れて諫早へ帰ってきました」

新井さんには、難病を患っている息子がいる。長崎へ帰ってきてからも、受診や入院、治療も長崎の地で受けていたという。

新井「そのとき、一緒の病室になったお母さんが東彼杵町の大山製茶園のお嫁さんで。そこで、恥ずかしながら初めて東彼杵が長崎だということを知りました。仲良くしていただき、そのぎ茶を飲みにも行きました。当時は、まさか自分がそこに移住するとは思わなかったんですが」

大山製茶園とは今も交流が続いており、海月食堂にそのぎ茶を卸してもらっている。なんとも不思議な縁である。さて、長崎でしばらく生活をした後、横浜へと戻ることになるが、すでに都会での暮らしに限界を感じていた。

新井「神奈川から帰ってくる一年前に離婚をし、一人で4人の子育てをしていました。マンション住まいで、週に3回は看護師で、もう3回は助産院で働く生活です。助産院では、産前産後のお母さんのために食事を作ったり、乳児をお風呂に入れたり、お母さんの話を聞いてあげたり。どちらもやりがいはあったのですが、自分の子どもたちを育てるために、家賃を払うために、ご飯を買うために、働いて。自分をすごく消費していました。当時は、すべてが消費のように思えました。とても疲れていましたし、ひとりで子ども4人を育てるのは大変だと感じました」

生活の変化もあるが、それは3.11の震災の影響が大きかった。次に長崎へ戻るときは、移住を決意していた。物件を探し、友人の話や移住相談を受ける中で、東彼杵で暮らすという選択肢が生まれた。

新井「田舎では、何でも代用できます。仲良くなった農家の方から食材を分けていただけたり、釣りをすれば魚が獲れるし。最低限生きていけるんですよね。そういう意味では、都会はすごく便利で、華やかではあるけど一人で子どもを無事に育てていくには限界を感じて戻ってきました。この地で暮らし始めて、不便さは感じたことないんですよ。東彼杵町には何でもあります。自然が豊か。インターチェンジがあり、空港も近く、子どもが病気しても大きな医療センターが3つもある。私の中では全て揃っているんです」

町民の人の暖かさに触れて気づく。
移住者に優しい、東彼杵町。

新井「当時からオーガニックの食に興味があり、東彼杵町で活動するNPO法人の方からそういった仕事をやらないかと呼んでもらえたこと、そして長崎県内で物件を探したときに人に優しい町だと感じました。移住者に対する補助金が手厚かったり、一緒に家探しを手伝ってもらえたり。町の人たちが、本当に良い人たちでした。いろんな意味で、引き寄せられましたね。東彼杵町の人たちは、基本優しいんです」

生まれ育った諫早市も、移住してきた東彼杵町も、同じ長崎県内の市町だ。それでも、場所によって人の性質が違うという。

新井「持論ですが、生まれ育った町は漁師町なので、人が良くも悪くも”荒っぽい”んです。それは、命をかけて命(魚)を獲る仕事ゆえ声が大きく強い口調のヒトが多いかもしれません。それゆえに誤解されることも多いかもしれないと思います。どちらの町のかたもみんな優しい。その点、こっちの人は農業で命を育む人が多いのからか、失敗しても受け入れてのんびり迎えてくれる人が多いように感じます。そして、外から来た人と地元民とが相入れる事が難しい町も多い中、東彼杵町の人は一緒にやってくださるんですよね。若者も、高齢者も。何かお願いをされたら一緒にやってみてくれる。それは、長崎県の人口ワースト2という危機感もあるかもしれませんが、簡単な事ではないと思います。とても有難いです。新しい人も、ことも。一緒に受け入れてくれるチャレンジャーだなと思いますし、それはこの町の強みだと思います。」

移住し、右も左もわからなかった自分たちを受け入れ、支えてくれている優しい町の方々。町への愛情があるからこそ、自分達も町の人達が喜ぶことをしたいと新井さんは考えている。

新井「町の方にこれまで支えられてやってきたので、彼らに還元したいという気持ちはあります。このお店をやる時も常に考えているし、そうしないといけないなと思います。彼らには恩を返して欲しい気持ちは一切ないと思いますが、恩を仇で返したくない。地産地消の担い手になれたりとか、広告的なことをやって交流人口を増やし、町の良さを発信する、そういうところで町の方々の役に立てればという思いで活動しています」

そうして、東彼杵の地へ移り住み、6年以上の歳月が過ぎた。田舎でのライフスタイルを送る中で、これまで都会で暮らしてきたときに感じていた”消費している”という思いは拭えたのだろうか。

新井「私もそうでしたが、都会に暮らす人たちが思っているような憧れのスローライフは田舎にはないです(笑)。むしろ、田舎の人たちの方が定年がないので。特に、農家の方々は常に忙しい。強いていうなら、田舎の”ビジーライフ”を満喫していますが、疲れの質が違います。忙しいというのも、『梅が生ったので採る』、『採った梅を漬ける、干す』など季節に沿った忙しさがあります。人間も自然の一部だと思っているので、折々で忙しくはあるけど四季を感じて作業をするし、できたものが自然100%なものです。そういう意味で、自分自身を消費しているという感覚はなく、とても豊かな気持ちで生活を送れています」

親が子にできることは”環境を与える”こと。
田舎暮らしを通して、子の成長を願う

新井さんは、5人の子どもを育てている中で親としてできることは何かを考えている。この地で、自分なりの母親の背中を見せることで、そこから生きる術を感じ取って欲しいと願う。

新井「親ができることって『こうしなさい、ああしなさい』ではなくて、環境しか与えられないと思っています。子どもたちへ環境を与えることで、自分で自らを育んでいって欲しいです。そこから学び取って習得していくのは子どもたち自身ではないですか。海に連れていったら海の景色や潮風を感じ、手や裸足で触れる波や川の冷たさや土の暖かさとか。それが気持ちいとか自分で思うか思わないか、そこに寄り添えるかどうかはその人それぞれですが、知らないところではきっと根付いていると思っています。私自身がそうだったように。都会の学校では茶摘み体験なんてなかなか出来ない、私は諫早市の小長井町が地元なので、貝掘りも日常で体験していましたし、それが季節のレクリエーションの中に自然と組み込まれている。田舎では当たり前のことですが、それって物凄く恵まれていると思います」

これからも、この地で子どもを育てながら、海月食堂という場所で食について、環境について、発信していく。自分らしく、自分なりのペースで。一歩一歩、着実に。今後の海月食堂の動向にも、目が離せない。

ひと・みせについての詳細は以下の記事をご覧ください。

ひと:東彼杵の食や環境から、健康を見つめる。海月(くらげ)食堂代表・黒澤希望さん

みせ:自然体の移住者コンビが営む、東彼杵の憩いの場。身も心も滋養に満ちる、海月(くらげ)食堂

記事:東 孔明
取材:東 孔明
写真:小玉 大介

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