大切なのは、自分自身のやり方を開拓すること。『お茶のこばやし』小林幸男さん

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東そのぎインターから嬉野方面へしばらく進むと、カフェのようなおしゃれなお店が見えてきます。高品質なそのぎ茶と毎朝4時から作られるフワフワのおまんじゅうが並ぶ、地元の人に愛されているお茶屋さんです。

『お茶のこばやし』を営む小林幸男さんは『長崎緑茶販売有限会社』の2代目として2016年に社長に就任。製茶業を始めた父・濱雄さんから会社を受け継ぎ、自らの販路を切り拓いてきました。

お茶のこばやしの商品は店舗や道の駅『彼杵の荘』のほか、関東方面を中心に全国各地の物産展などのイベント、オンラインショップなどで販売中。お茶の品質と味わいの良さに心をつかまれたファンを全国各地に抱えています。

考えを変えた、お客様の言葉

幸男さんは1976年生まれで、製茶の仕事にいそしむ両親を見ながら育ってきました。幼い頃は両親がやっているお店へ遊びに行ったり、東彼杵町中尾郷にある長崎県農林技術開発センター茶業研究室で指導員をしていた祖父・末馬さんのお仕事を手伝うことが多かったそう。

幸男さん「お店ではお客さんに可愛がってもらったり、毎年春に行われる茶市ではうちの屋台の中でよく遊んでいました(笑)。指導員だった祖父は書類仕事が多く、当時はパソコンがなかったから全部手書きだったんです。自分は図を描いたりして手伝っていました」

幸男さんには7歳上のお兄さんがいます。おしゃれなお兄さんからはかなり影響を受けたそうで、ファッションなどのアドバイスもよくもらっていたとか。

「自分が中一の時に『リーバイス履いてベースボールキャップかぶっとけ』みたいなことを言われていたのを覚えています。それからジーパンが好きになって……そういう美的感覚的な影響は大いにありますね」

やがて高校を卒業した幸男さんは、公務員になったお兄さんにならい専門学校へと進学。しかし学校生活を送るさなかで「自分が公務員になるのは違う」と違和感を感じ、退学に至りました。

それからは学校を辞めてしまった申し訳なさもあり、濱雄さんの仕事を手伝うことに。最初は作業を見て覚えながら、指示通りに製造を手伝う毎日を送りました。それに加え当時は会社が卸業務も行っていたため、ブレンドや仕上げの方法も勉強していたそう。

「父はとにかく口数が少ないので、見て学びなさいという感じで。それでもたまに口を開いたかと思えばケンカしてましたけど(笑)。ある意味厳しかったですが、おかしいところや間違えたところがあればちゃんと指摘してくれました」

幸男さんが24歳の頃、出店イベントへも積極的に参加していた濱雄さんに付き添い、各地へ出張することも多くありました。関東や関西方面など1年のうちに何度も巡りながら、移動販売の勉強を重ねていきます。1~2年ほどは濱雄さんと一緒でしたが、それからは幸男さんだけでも出張の仕事をこなせるようになりました。

いつものように移動販売を行っていた時のこと。数日間にわたるイベントの最中、2日連続で訪れたお客様がいました。「昨日買ったお茶が美味しかったから、また買いに来たよ」という言葉に思わず嬉しさがこみ上げます。

「これまではうちのお店を継ぐとか全く考えてなくて、あくまでお手伝いだって意識だったんです。でもお客様からそんな言葉をかけてもらって『仕事をするってこういう事なんだ。精一杯作った美味しいお茶を提供する、それでまたお客様が買いに来てくれるんだ』って頭をよぎって、こういう仕事をやっていきたいって強く感じました」

数多くの場所を巡る中で毎年参加するイベントもあり、前年に来てくれたお客様がリピーターとして次の年も来てくれるケースも多々あったそう。その度に幸男さんの中で「また来てくださって嬉しい、これからもこの仕事を続けていきたい」という強い思いが確固たるものになっていきました。

何もかもを変えた改革

2016年、長い修業を経て39歳で2代目当主となった幸男さん。自分がやっていかねばならないと意気込み、会社の様々なことを変えることにしました。お店を現在の形に建て替え、たくさんの人に分かりやすいように・親しみを持ってもらえるようにと『お茶のこばやし』という新たな屋号を設けました。

そして一番の改革は、卸売りを辞めたこと。それまで濱雄さんが数十年にわたって卸売りと小売りを続けてきましたが、思い切って小売りのみに専念することにしました。長年付き合いのあった取引先をすべてリセットし、自分自身で新たな道を探すことにしたのです。濱雄さんにはきちんと話をし、決断を受け入れてもらえました。

「卸をやる場合、卸先に値段を合わせる関係で様々な階級のお茶を混ぜることになり、必ずしもお客様に味わってほしいお茶の味にならない可能性があって。それで自分の代になってうちのお店の名前を名乗る以上は、全国どこで買っても同じ美味しいお茶を提供したいと考えていました。それで卸の仕事は全部お断りして、お客様と直接相対しやすい小売という形でやると決めたんです」

お茶を仕入れる農家さんとの付き合いもリセットし、幸男さん自身の付き合いを少しずつ築いてきました。同年代のお茶農家さんなど自らの足で一軒一軒を回って荒茶を見ては、どういうブレンドにするか・次はどういう茶葉を仕入れるかなど頭の中で組み立てながら直接交渉を行っています。新茶の時期には、幸男さんが仕入れたお茶を見ながら濱雄さんと意見交換をすることもあるとか。

「あの茶葉良いな、これも良いなって思いながら色んな農家さんのお茶を見させてもらって。そうやって自分が考える形で取引させてもらえるのが楽しいですね。それで仕入れたものを持ち帰って自分の納得する味に仕上げていくのもすごく楽しいです」

『お茶のこばやし』のこの先

2020年に新型コロナが蔓延し、その影響はお茶のこばやしにも及びました。店舗への来客数が少なくなり、イベント参加の機会も減少。電話注文が増え、2022年2月から東京にある某百貨店オンラインショップへお茶の出品が決まったものの、行く末については正直悩んでいると幸男さんは語ります。

「とてもありがたいことに父の代からのお客様や、今まで自分が全国を回った先々でうちのお茶を気に入ってくださったお客様から電話注文をいただけることが増えてきていまして、おかげさまで今つながっているという感じです。ただ店舗への来客数は減っていますし、オンラインでの集客もまだまだで。遠出が難しい今の状況を考えると、いかに店舗やうちのお茶を置いている道の駅へ人を誘導するかが大事かなと考えています」

強い意志をもって自分自身の道を進み、丁寧なお茶づくりを続けてきた幸男さん。彼の誠意が込められた美味しいお茶は、これからもたくさんの人の心を温め続けることでしょう。

みせの記事につきましては、以下をご覧ください。