創業の物語――寿司屋の夢に向かって
「平成4年に創業した割烹寿司『魚徳』は、東彼杵町に深く根ざし、地域の文化と新しい試みによって成長を続けてきた店です。先代から引き継がれたその精神は、現代に合わせた変化と工夫を重ね、地域に愛され続けています。今回は、お店を支える前平幸也(たつや)さんとしのぶさんご夫妻に、その軌跡と思いを伺いました。」
東彼杵町で長く親しまれている「魚徳」の歴史は、平成4年の創業にまで遡ります。大川ストアー内の鮮魚店として始まった魚徳は、地域の皆様に新鮮な魚を提供することを目指し、創業者である前平幸也さんの父、幸徳さんが「魚屋から寿司屋へ」という夢を抱き、鮮魚店と寿司屋の兼業としてスタートしたところから始まります。寿司職人を雇って一から学び、地域に新しい味を提供したかったというその思いは、現在もお店の基盤となっているそうです。「義父は寿司屋に憧れを抱いていたようです」としのぶさんは話します。幸也さんもその夢を受け継ぎ、幼少期から両親が忙しかったので自分で料理をしていたそう。幼少期から見てきた両親の姿と自分自身の料理への興味から調理師免許を取得。さらにステーキハウスやハウステンボスの洋食店で修行を積み、料理人としての技術と経験を培いました。地域のお客様に新鮮で美味しい料理を届けたい、その思いを胸に、家族一丸となって魚徳を支えてきました
家族経営の魅力――仕事と家庭の融合
しのぶさんは元々看護師として働いていましたが、家業をサポートするため、魚徳に加わる決断をしました。「家族と一緒に過ごす時間が増え、料理を通してお客様の笑顔に触れられることが何よりのやりがい」と語るしのぶさん。家族が共に働くことで、家庭と仕事の時間が自然と交わり、家族の絆がさらに深まったといいます。
魚徳では、しのぶさんが看護師として培った気配りや細やかな対応が光ります。お客様一人一人に寄り添い、丁寧に対応することで、お店には常連客が増え、地域の人々にとって「居心地の良い場」として定着していきました。
コロナ禍の試練――テイクアウトや道の駅での新たな挑戦
世界中が未曾有の影響を受けたコロナ禍は、魚徳にも大きな影響を与えました。飲食業界全体が厳しい状況に置かれる中で、魚徳も営業スタイルの変更を余儀なくされました。そんな中、幸也さんとしのぶさんは、同業者の居酒屋まつうらさんや商工会や地域の仲間の協力を得ながら、テイクアウトサービスや道の駅での販売を開始しました。「幸也さんの友人のアドバイスで新たに手巻き寿司セットを作ったり、地域の方が自宅で楽しめるメニューを提案しました」としのぶさん。その結果、手巻き寿司セットは多くの地元住民に愛され、魚徳の味を自宅でも楽しんでいただけるようになったのです。地域の支えを感じながら、魚徳は厳しい時期を乗り越えることができました。
新たな展開――「旬菜 ゆう花」で地域に新しい風を
今年、魚徳は「旬菜 ゆう花」という新しい展開も始めました。こちらは、社員の仲道裕輔さんが店長を務め、若い感性と経験を活かして運営されています。「ゆう花」という名前には、裕輔さん「ゆう」の名前の一部としのぶさんの好きな「花」を取り入れ、家庭的で温かみのある空間を目指しています。
旬菜 ゆう花では、東彼杵の新鮮な食材を使い、天ぷらや刺身といった一品料理を提供。食事の楽しみを地元の人々に届けると同時に、遠方から訪れるお客様にも町の味を楽しんでもらえるよう、椅子席も設けて年齢層を問わず親しんでもらえる店作りを心掛けています。
息子の成長と家業継承の決意
前平夫妻の息子、翔太郎さんは、料理の道に進むことを決意し、佐賀の鹿島のお店で修行を積んだ後、魚徳に加わりました。「幼い頃から創業者である祖父、幸徳さんや父や母が働く姿を見て育ち、自然と料理への興味が芽生えていったようです」としのぶさんは語ります。絵本を読むように中古車情報を見て過ごすほど、当初は車に興味を持っていたものの、やがて家業に魅力を感じ、親子三代での魚徳継承が現実のものとなったのです。「口の中に入れるものはとにかく美味しいものを、新鮮なものをとか気を付けて意識はしていたんですけどね、このお店に来たら、口の中におじいちゃんがぽっと切った魚を入れたり(笑) わーっまだ離乳食とに。って思ったけど、でもそれがあって今があるとかな。」としのぶさんは当時を振り返ってくださりました。
地元の特色を活かしたメニューと開発――くじら料理とそのぎ茶
魚徳では、東彼杵町ならではの特色を生かしたメニューも提供しています。くじらの刺し盛り、くじら料理やくじらカツ丼は、長崎ならではの味として人気を博しています。「くじらの風味は独特で、くじららしさを引き立てる調理法を日々模索しています」と幸也さん。伝統的な料理を大切にしながらも、長崎や東彼杵町の甘さや味覚に合ったアレンジを加えることで、幅広い世代に親しまれる料理を生み出しています。「くじらの料理っていうのは、メジャーではないじゃないですか。当時は、私も、まだお店に入ってなかったのでわかんないですけど、一緒にメニュー開発のための勉強に食べには行ってましたもんね。くじらはやっぱり長崎まで行って食べさせてもらって、それから くじらカツ丼の味を追求しました。くじらカツの下味って、 くじらの臭みを取ってしまったら、くじららしさが消えますもんね、でも、ちょっと拒絶したい味とかもあってくじらの味に慣れない人もいるので。で、それを試行錯誤して、今、現在の味に仕上がってきています。そこから日々、手を入れて行っているのですが、そこらへんからは、もう企業秘密ですけどね。それは主人(前平幸也さん)がずっと追求してきてますね。」としのぶさん。
唐揚げ1つにしても 開発期間は長く、話し合いながら、塩胡椒一振りでもそれぞれの料理人で違うのでそれを定めて、味が変わらないように提供するように話し合ってきたそう。「提供してからも味見もずっと繰り返しするんですよね。揚げものもランチでも。さくら御前がはじまったのは、コロナ前だったんですけど、女性が喜ぶメニューにしたいっていう想いからでやっと味が見えてきたというか。」一つのメニューに対しても5年以上追及するなど味付けから揺るぎないこだわりを持ってらっしゃいます。
仕入れに関しても聞いてみました。「赤身とかに湯かけなんか結構どこでもあるけとけどね。他の部位は結構、貴重でもあるし。尾の身とかは時価で高いし、やっぱり入ってこないですね。入ってこんし、ちょっと高すぎて怖いっていうのもあるし10万とかいう単位になってくるけど、本当にいいのに巡り合った時に目利きして入れたり。」と幸也さんの仕入れに対するこだわりが見えます。
冬場には、「くじらしゃぶしゃぶ(要予約)」も提供されています。また「鯛茶しゃぶ鍋(要予約)」も提供されており、地元の特産品であるそのぎ茶を使ったメニューにも注力しており、こちらは新鮮な鯛とお茶の風味が絶妙にマッチした一品で、地元民のみならず、観光客にも好評を得ています。「抹茶を製造するフォーティーズさんもできたので、できることがまた増えましたもんね。抹茶があるので色々試してみたいですね」としのぶさんは語ります。
地域への想いとこれからの展望
魚徳がここまで成長できた背景には、地域の支えがありました。東彼杵町の人々に愛され、支えられてきた魚徳は、地域とのつながりを非常に大切にしています。「地域の方々のおかげで、今日まで続けてこられました」としのぶさん。今後も地元の食材を生かし、新しい挑戦を続けていきたいと意気込んでいます。くじらに関わりのある町でくじらが食べれる地域も減る中で文化を継承していく。東彼杵町としては文化を伝える意味でも「魚徳」がくじら料理を提供していくことは非常に貴重であり重要なことだなと改めて感じました。
特に、魚徳はこれからも地域の若い世代に伝統的な食文化を伝える活動を進めていきたいと考えています。「これからも東彼杵の味と文化を継承し、新しい形で地域に還元していきたい」と語る前平夫妻。その情熱は、家族や地元の未来へと続いていきます。