洋食創作料理店が作る本格鶏白湯ラーメン「多々樂」

取材・文・写真

幼少期から料理とは無縁。流れ着いた料理の世界

「料理なんて、全くしたことなかったですよ」そう笑う店主の粒崎弘志さん。生まれも育ちも東彼杵町で、小中高と地元で過ごした。学生時代はとにかく騒がしい男の子で、通信簿には常に「落ち着きがない」と書かれていたという。高校卒業後は、地元のちゃんぽん屋さんでで2〜3年アルバイトをした後、現在の店舗の場所にあったラーメン店と洋食屋さんで働くこととなる。

粒崎:子どもの頃は、料理もしたことがなかったし何かを作ることが特別好きだった訳でもないんです。ただ高校卒業して地元のちゃんぽん店に何となく就職したことが正直な話です(笑)そこから現在の場所に地元の方の紹介で最初の転職をしました。昔この場所はラーメンとハンバーグを出していたお店だったんです。ただ入って2ヶ月くらいが経った頃、マスターが体調を崩されて、マスターのつてでハンバーグ屋さんへ。すぐに2度目の転職をしました。

実は、その頃からこの場所(現多々樂)はラーメン店と洋食屋さんだった。当時の店主と働いた期間はほんのわずかだったが、料理人人生においてかけがえのない時間となる。


さまざまな経験を経て

その後、粒崎さんは5年弱ほど佐世保市にあるハンバーグ屋さんで勤務した後、老人ホームの厨房で1年ほど働く。その後、飲食店でのアルバイトを経て、正社員として3年間勤務。さらに、魚料理を学ぶために居酒屋で1年ほど働く。

粒崎:ここまで飲食業の経験値を積んで来たけど魚を調理できないなと思って、居酒屋へ転職しました。1年くらい勤めて、そのあとまた佐世保市の飲食店へ行きました。結構転々としてたけど最後はある程度経験も積んだし、自分でお店を経営した方が向いてるのかもと思って、自営業になる決断をした感じです。

粒崎さんは転々としてきたと話すが、一貫して飲食業からぶれることがなかった。なぜ他の仕事もしてみようと思わなかったのか?

粒崎:そうね〜不器用だから他に何もできないと思った(笑)あと他の仕事に行くのも怖かったし。

等身大の、どこかゆるさを感じる粒崎さんらしい答えだ。

原点の場所へ

独立を考え、店舗を探し始めた頃に現在の場所が空き店舗になる。

粒崎:自分が入る前はハンバーグ屋さんがあって、探し始めるタイミングで、そのハンバーグ屋さんが出ることが決まり、料理を始めた場所だから、これも何かの縁かなって思って、ここでお店を出すことを決意しました。2019年7月オープンで、最初はワインに合う洋創作料理を出していたけど、半年後にはコロナがきて、2月、3月には予約もキャンセルが続いて、お店もめちゃくちゃ暇になりましたね。コロナになった最初の頃は飲食店も応援ムードでテイクアウトとかをしてました。でも、いつ元通りになるかも分からない中でこのままだと持たないなと思って、ラーメンに行きつきました。

オープン当初はワインに合うような洋食を提供していて、ワイン好きのコアな層をターゲットに店舗展開をしていたそうだが、もう少し普段の食事に取り入れてもらいやすいラーメン店へ方向転換をすることとなる。

コロナ禍が転機に。ラーメン店への挑戦

ラーメン作りは、ほぼ独学でスタートしたという。コロナ禍で動画などの情報が充実し、それらを参考にしながら試行錯誤を重ねた。

粒崎:今考えたら、ラーメンの経験もない中によく挑戦したなと思うし、他に、ハンバーグとかあっただろうにと思うけど、ラーメンに行きつきましたね。正直ここまで流れに身を任せてきました。若い頃から自分の店を持ちたい夢とかなかったし(笑)ただやっぱり根本には料理が面白いってあったと思う。それが今までやれてる証拠だと思います。

当初はつけ麺と辛つけ麺の2種類だけだったが、今ではラーメン、担々麺、まぜそばなど、豊富なラインナップを誇るまでに。

粒崎:メニューに関しては、つけ麺と辛つけ麺の2種類だけでした。メニュー開発は動画を見たり、昔ラーメン屋さんをやっていた地元の先輩へ相談にいきアドバイスをもらいながら開発して行きました。そもそも自分自身がラーメンは年に2回程度しか食べないし、どこに向かっていけばいいのか分からなかったし(笑)

ここでもまた粒崎節炸裂で、好物だったわけでもないラーメンに方向変換しているところが面白い。会話の中でも、「ここはもっと熱く語るところかな?上手く編集お願いします(笑)」と笑いながら等身大の姿を見せた。冗談はさておき、経営は笑い話で済まされない。ちゃめっ気たっぷりに話すが、経営のことを考えると、まずラーメンは回転率がいい所に目をつけて始めたのがきっかけだった。ここから作っていくうちに、ラーメンの虜になっていく。

ラーメン馬鹿へと変貌を遂げる粒崎さん

粒崎:ラーメンを作っていくうちにだんだん面白くなって行って、年に2回程度しか食べていなかったラーメンも、今では、外食と言ったらほぼラーメンしか食べに行ってない。今はラーメンのことしか考えてない(笑)

老人ホームの厨房、洋食店、カフェ、居酒屋と、ここに来てこれまでの経験が活きてくる。始めは回転率や、経営の事を考えオペレーションを簡素化しメニューを考えていたそうだが、さすが、ラーメン馬鹿は一味違った。

粒崎:ラーメンを作れば作るほど凝ってしまって、だんだん工程が面倒くさくなって行ってる(笑)最初はラーメンで経営の基盤を作って、好きなことをしようかな〜とか考えてたんだけど、ラーメンにはまって行ってしまって(笑)因みに好きなことをしようと思ったのは、極端な表現だけど、経営のことを気にせずに、好きなものを好きなだけ作りたいとか考えてました。今は自然とそう思わなくなりましたね〜

「好きなものを好きなだけ作りたい」そう思わなくなったのはきっと、今がそうなっているからだろうと感じた。今後のメニュー展開について聞いてみると、意外な答えが返ってきた。

粒崎:これからはメニューを増やしたいとかではなくて、逆にメニューを絞って行きたいと考えてます。ラーメンと、つけ麺に絞って限定メニューを出したり今ある、ラーメンやつけ麺を、もっと美味しくしていければと思います。やっぱりお客様が帰り際に「美味しかった」と言ってくれたり、スープを飲み干してくださるのをみると嬉しいです。

お客様の反応と同じくらいに、魅力を感じるのが作る過程にあると語った。

粒崎:洋創作料理は完成形をイメージすると、「なんの材料を使ってどんな工程で作れば完成する」と言うのが想像しやすい反面、ラーメンは、まだ道半ばということもあり、想像しづらい点が逆に面白いのかもしれない。イメージ、理科の実験のようなワクワク感や発見していく面白さに魅力を感じます。

ラーメン愛が止まらない粒崎さん。そんな彼が作るラーメンは美味しいこと間違いなし!

「多々樂」の由来

ここにきて、「多々樂」の名前の由来が気になり、聞いてみると、これまた面白い理由だ。

粒崎:ジブリのもののけ姫を観ていた時に「たたらば」と言っていて、その響きが何かいいな〜っと思った。文字は当て字だけど画数が良いことからこの「多々樂」の名前になりました。

何とも最後まで粒崎さんらしい由来が聞けた。抜け目がない。

最後にこだわりのメニューと、思いを込めて。

今回は2種類のメニューをご紹介。

味噌まぜそば

地元大渡商店のお味噌を使った混ぜそば。商品開発の際何かパンチが足りないと試行錯誤して開発されたメニュー。

そのぎ茶のつみれ

昔、粒崎さんの祖父母がお茶農家さんだったことから、開発されたメニュー。スープに入れるとお茶の魅力でもある緑色が出しにくいことからつみれにお茶の葉と粉末を練り込んだラーメン。クリーミーなスープとの相性抜群。

途中、限定メニューの話が出ていたが、実は原点に返ってメニューを開発する予定だ。当時、粒崎さんが初めて本格的に料理を学ぼうとした店主が残す、レシピがぎっしりと綴られているノートがある。そのレシピを元に限定メニューを考えたいと話した。当時も、ラーメンとハンバーグが食べれたお店。粒崎さんも何かのご縁でまたこの場所に戻り、気づけば、洋創作料理店からラーメン屋さんへと変化を遂げた。最後まで飾らずゆるりと想いを語ったが、粒崎さんの心には温かいラーメン愛と、原点を大切に感謝の気持ちに溢れていた。


店 名
多々樂
所在地

〒859-3808 長崎県東彼杵郡東彼杵町蔵本郷1839Google Map