標高300メートル。清々しい空気を肌に浴び、緑々と萌える銘茶『そのぎ茶』の茶畑を瞳に映しながら山道を登っていくと、小さな集落を思い起こすような空間が眼前に広がる。荒々しく、自由で、雄大に。手つかずの自然が、訪れたものに”自然であれ”と諭してくれる。そのぎ茶温泉株式会社が手がける『つわぶきの花』だ。
大村近郊の東彼杵の里山に、
ひっそり主張するつわぶきの花
「田舎の原風景を再現しました。デジタル化社会の中で神経が過敏になっている人たちが増えている状況下で、できるだけ自然の中で心を癒してほしい。そのコンセプトをもとに、建築技術も漆喰壁など昔の日本住宅のいいところを、できるだけ生かして造りました」。つわぶきの花の創設者であり、そのぎ茶温泉株式会社会長の矢野義範さんは語る。そうして建築に1年、道の舗装に8ヶ月の歳月をかけ、2020年4月1日に開館に至った。
矢野「この土地はもともと、三菱重工社長、会長を歴任した相川賢太郎さんが、どう余暇を過ごすかということで仲間8人で購入し、開梱して自分たちの村を作ろうとしたのが始まり。ログハウスを作ったりしてね。しかし、その後年月が経って荒地になっていました。そして、縁あって私が土地を分けていただき、障害者施設用の農園をやろうと思ったのですが、遠かったためしばらく持て余していました」
初めは、温泉宿をやるつもりではなかった。しかし、旅好き、宿好きで各地の温泉宿を巡っていくうちに、この地で付加価値のついた温泉旅館をやろうと考え、始めた。
「大村市は人口も企業も多く、税収も豊かです。今後、新幹線が開通するとなおさら可能性が広がる。若い人たちは、ますます福岡へショッピングとかレジャーに行く、そういう危惧を持っていました。そこで、市長には今から箱物に投資するのではなく大村にある自然や歴史を掘り起こした本当の街づくりをしていくべきだと提言しました。佐世保にはハウステンボス、長崎市は独自の文化がある。では、大村近辺はどうするべきが。そういう気持ちが芽生えて、温泉宿つわぶきの花を造ったのです」
つわぶきの花は11月が最も見ごろなのだという。季節になると、山手の方には黄色い花がたくさん咲くという。ひっそりと、慎ましやかに。決して主張はしないが、懸命に咲き誇るその野花の姿を見てこの宿の名前を決めたのだ。
のんびり、ぜいたくに。
つわぶきの花を、満喫し尽くす
2万坪という広大な敷地には、それぞれに13の野花の名前が付けられた宿泊棟がある。各部屋落ち着いてはいるものの細部まで趣を凝らした丁寧な作りで、さらに各部屋に内風呂と露天風呂も完備。
そのうち、1棟だけは、特別棟『つわぶき』として一間広いリビングと、御影石のお風呂をこしらえている。
こちらは、休憩所の『山荘憩い』。書斎になっており、薪ストーブ、囲炉裏の2部屋を自由に選択できる。
「宿泊のお客様に向けて、コーヒー、紅茶、焼酎の無料サービスをご用意しています。朝は7時から夜の10時まで。食事をなさった後、時間があれば書斎で本を読みながら、備え付けのマッサージチェアに癒されながら。もう少しお酒が飲みたい方はご自身で焼酎を注いで、囲炉裏を囲んで飲むことができます」
温泉・懐石料理付きの日帰りプランも昼夜で用意されており、日帰りの方もこの場所を利用することができる。出発の時間まで、贅沢にくつろぐことが可能だ。
温泉は、1200メートル掘った源泉の掛け流しで、各部屋だけでなく大浴場や露天風呂、予約制の貸切風呂も2カ所設置されている。広い敷地を巡る風呂三昧の旅を味わえる。
「みなさん、散策されていますね。展望台も作り、そこから大村湾が望めます。足が不自由な方のために、ゴルフ場のカートを使ってスタッフが巡回してくれるので、お気軽に各場所を巡ることができますよ」
そして、当館のこだわりは何と言っても『自家』であることだろう。2万坪の土地には畑や水田、山野草園、果樹園、鶏舎を設置し、竹林が生茂り、掛け流しの温泉が流れる。農園で採れた新鮮で安全な食材は、健康にこだわった料理にふんだんに使われる。
「椎茸も1500本の原木に鈴生りにできます。それを備長炭で焼いて食べる。他にも、対馬地鶏やビニールハウス栽培の野菜、たけのこ、ふきのとうなどの山菜と自家のものが揃っています。料理部のスタッフが山に入り、採ってくるところから。東彼杵町の地産地消として、お客さまから喜んでもらえます。また、280種の果樹の苗木を植えて育てており、今後は本格的な果樹園が完成する予定です。実になるまでは時間がかかるんですが、実った時にはお泊まりの方々にもいで食べてもらえるように、準備をしています」
細部に至るまでこだわり抜かれている。
「スタッフは、フロント5名、調理場4名。他にも管理棟等で12,3名という少人数で始めました。私は、大村市とつわぶきの花とを1日に2~3回往復しています。そんなに離れていないですし、この場所に居たくなります(笑)」
着飾ることはなく、普段の日常をおもてなす心配りが随所にちりばめられた空間で、心も身体もリフレッシュしてほしい。
コロナ禍を救うリピーターの存在。
追求した『口コミ』と『顧客満足度』
つわぶきの花がオープンして丸2年。コロナに苦しめられながらの2年であった。しかし、旅館業界が軒並み苦しい状況の中でも、着実にお客を増やして、その心を掴んできた。
「ここは、リピーターが多いです。ひと月に2~3回来られる方もいらっしゃいます。オープンして2年目ですが、すでに15〜16回と泊まられているお客様もいらっしゃいます。ありがたいです。長崎県内の方が今は多いです。その前は福岡県といった他県から来られる方もある程度いらっしゃって。主に、ご夫婦、ご家族連れが多いです。4家族同時に来られる方もいて、一緒にお食事を楽しめるように離れの食事場を広げることもできます」
各旅行業者の口コミは総じて高く、2年目にしてすでに日本の宿アワードにも選出され、他にも数多くの賞を受賞するまでに注目されている。なぜか。
「取材を受けていたこともありますが、口コミによる効果は大きいと感じます。一度ここに来られた方は、自然の中で人と接することなく、お部屋で露天風呂を楽しみ、散策し、そしてお料理が美味しいと言ってくれます。ここで出す料理は、どこに行っても引けを取らないくらいのものを出していますので、満足されているのかと。料理は2ヶ月に一回変わります。当館が発刊する『里便り』で変わった旨をお伝えしています」
つわぶきの花から車で5分ほどの場所に、大村湾カントリークラブがある。ゴルフをして、この宿に泊まる方も多いという。清々しい自然の中で汗をかき、それを自然豊かな旅館で洗い流す。身も心も、喧騒の世界から浄化される空間がここにはある。
「若い人たちは都会へと足を伸ばします。それは、その場所が彼らにとって魅力的なのだから引き止めることはできません。逆に、都会の喧騒に疲れた人に来ていただくような場所にしたい。ファミリー層を中心に、老若男女の方々に童心に返って心身ともに癒して欲しい」
文明の機器は、この場所に似つかわしくない。何かしようと思うなかれ。ただそこに居ることが、この場所での最高の過ごし方といえよう。
「ひと」についての詳細は、以下の記事をご覧ください。