東彼杵の里山と共生する旅館『つわぶきの花』を自ら手がける。彼杵茶温泉株式会社会長・矢野義範さん

取材・文・編集

写真

『旅館』の役割について考えてみる。ホテルとは異なり、畳敷きの部屋や居間など我が国独特の客室空間を表し、温泉や露天風呂など我が国独特の入浴設備も有するなど、日本の伝統と文化を守り伝えるものとしても機能している。それは、単なる宿泊施設としてだけでなく国の重要な観光資源の一つとなっているといえよう。

2020年。そんな旅館業を、東彼杵の地で始めた方がいる。『つわぶきの花』の創設者であり、彼杵茶温泉株式会社会長を務める矢野義範さんだ。

東彼杵の地との運命的な出逢い。
自然の資源を利用した、癒しの温泉宿へ

これまで、大村市でビジネスホテルの経営を23年に渡ってやっていた。その中で、東彼杵町にある土地、現在のつわぶきの花の建つ地を購入する縁が生まれた。

矢野「ここは、もともと三菱重工の社長、会長をやられていた相川賢太郎さんという方が購入されていた土地です。長崎造船所時代、週休2日制で何をやろうかと考え、仲間内で山を購入し、1日を開拓、1日をゴルフに費やそうということで利用されていた。その地を、縁あって私が譲り受けることになりました。私は、福祉施設の経営もしているので、果樹園を作って障がい者たちの農園にする計画を持っていたのですが、あまりにも遠いのでとりあえず購入して保留にしていました」

もともと、この土地を購入したのは温泉宿をやるためではなかった。だが、ここで矢野さんの趣味が一つのきっかけを生むことになる。

「私自身、昔から旅好き、温泉好きで全国各地を巡ってきました。土地を持て余していた時も、宿を点々と巡っていて。その中で、旅館だったらこの広大な土地を生かしてやれるのではないかという思いが芽生えたのです。ゴルフ場、飛行場も近い。東彼杵町の自然は豊か。この資源を無駄なく活用する。また、大村市にはどんどん新しいビジネスホテルが建ってきている中で、同じホテルを作るよりは付加価値をつけた温泉旅館をやろうかなと。今は、デジタル社会でお客様がストレスを溜まっている。そういうのを、里山の自然に癒されて昔の日本の田舎にほっとい一息つけるような旅館を造って、ストレス解消してもらいたい。それが、ひとつのコンセプトになりました」

そうして、理想は目標へと変わり、それが実現へと進んでいくこととなる。土木も、建築も、1年8ヶ月というスピードで、つわぶきの花は完成した。

「じつは、私が現場監督をして作り上げました。もともと、27歳から57歳までの30年は建設業を営んでいました。辞めてから、かれこれ12,3年になりますが、今回のプロジェクトは、土木も建築も当時一緒に働いていたオペレーターを連れてきて、重機をリースして山の切り開きからすべて自分達で行いました」

東彼杵の地で準備をしてきて、改めて感じたことがあるという。

「改めて、東彼杵町でやれて良かったなと思いました。会社名も彼杵茶温泉株式会社というのを2018年6月に立ち上げ、この場所に本社を作りました。大村にはすでにホテルがあるので、せっかくなら今は有名になっているそのぎ茶のあるこの地に根づこうと。他にも良かったのは、町長も議員の方含めて協力的だったということ。私の同級生も含め、地域の皆さんが暖かく、これから発展していこうと同じ方向を向いています。今後の新幹線の開通で、さらにこの地に集客を増やしていきたいです」

旅館で大事なのは、『料理』と『人』。
終わることのなく、展開していくつわぶきの花

完成から2年の歳月が流れた。つわぶきの花の2年は、コロナウイルスと戦ってきた2年でもある。始まりから、現在もなお苦しめられる状況は続いているが、それでも野原に咲く花のように、強く、逞しく、着実と咲き誇ってきた。各旅行業者の出す口コミは高く、すでに数々のアワードにも選出されるほどに育ってきた。

「賞をいただく上で、大事なのは”積み重ね”です。特に、当旅館では接客と料理に力を入れています。スタッフは、あえて旅館業未経験者ばかりを集めました。日本の原風景を再現した旅館のもてなしにふさわしい、人づくりと接客を当初から考えていたので、色が出てしまう玄人は呼ばないと決めていました」

「みんな、右も左も分からないから一生懸命にやってくれた。それが、功を総じてお客さまに受け入れられて口コミが上がったのではないでしょうか。旅館なら、温泉が良いのは当たり前。では、どこを意識するか。それが大事なのだと思います」

今後は、コロナ禍で一気に認知度急上昇中のグランピングやオートキャンプ場を作る予定だという。つわぶきの花に終わりはなく、今後もいろんなことをやっていく。

「現在は、アウトドアの時代でもあります。コロナ禍を考えた時に、いまでは冬にキャンプをする人たちも増え、これまでの”みんなで集まってワイワイ”というスタイルから変わってきている。少人数、ファミリー、もしくはひとりで楽しむ。この流れは、もう戻らないと思います。そう言う意味で、グランピングやオートキャンプ場、レンタルキャンピングカーなども準備します。本格キャンプから手軽な手ぶらキャンプまで。いろんなパターンで、みんなが温泉を楽しみながら過ごせる空間を目指します。こういう場所は、全国にもあまりないと思います。2023年春ごろの完成を予定しています」

「果樹園なんかも後5~6年すると立派なものができますから、ここに泊まった人が季節の果樹を自由にもいで食べてもらえるように準備していきます。結構、長期戦略です。釣りもしたいなと思っていて、マス釣り場も考えてみたり。グランピング場に来た人にはぜひ色々楽しんでもらいたい。というのも、ここにくる人は、お子様連れの夫婦か、リタイヤした人たちの夫婦か、その複合家族か。しかし、小学校、中学校のお子さんがいる夫婦や若いカップルの方はまだま少ないです。老若男女の方に楽しんでもらえる旅館にしたい」

会長の話を聞くと、未来のつわぶきの花像にワクワクさせられる。今後の発展が楽しみでならない。

長崎の資源は、自然にアリ。
今後の時代に求められる『個性』とは

新しいことに挑戦し続ける。そこに年齢は関係ないのだと取材をしていて感じさせられた。取り組むパワーはいったいどこからくるのだろうか。

「ビジネスの世界、建設業の世界で厳しい競争にさらされてきて大変な30年を送ってきました。なので、人生後半はゆっくりしたいと思っている。つわぶきの花をつくりながら、自分も楽しみながら。趣味的なものですかね(笑)。自分が好きなことをやるわけだから、きついとは思いません。言われて仕事するわけではないので。楽しいですよね」

楽しみながら仕事をやれているのも、東彼杵町の地のおかげだという。そこから一歩引いて、長崎県という目線でも今後の可能性について語ってもらった。

「乱開発されていない。町民も温厚で優しい。これからの資源は、自然だと思う。それを生かしていく町づくりが必要です。里山の原風景を今後も残したいし、自然を愛する人がどんどん増えて、移住してきていただければ。東彼杵町は、お茶関係も含めて若い人たちが頭を使って色々取り組み、努力している。それが良いですね」

「長崎県は、とにかく海と山という自然の資源が豊富です。海で獲れる幸と、山で採れる幸。果物などは、海風に当たると果実が甘くなると言われています。地元の人は、そんな環境で生活しているからこそ、感じていない。他所から来た人にとっては特別なことなのに、近すぎて価値がないと思ってしまう。なので、私は企業誘致など交流人口を増やすことを目指すべきだと思います。定着してもらえればそれに越したことはないですが、とにかく交流人口を各地で増やす。千綿駅など、今認知度が上がっていますよね。そういうのをひとつひとつ発見し、みんなで創り、発信していく必要があると思います。そこに、泊まるところ、買い物するところがあれば交流人口はおのずと増えていくはずです」

先を見通す力。これは、いつの時代においても、どの年代においても必要な力なのだと矢野さんは教えてくれているような気がした。

「2040年には、車が空を飛ぶわけでしょう(笑)。それは、ぜひとも見てみたいので。どんな時代になっていくのか。車で移動しながら、人脈を作りながら、いろいろなことを企画しながら見ていきたい。要は、仕事が好きなんです。あとは少しだけ美味しいものを食べて、、少しだけ美味いお酒が飲めれば良いのです」

「みせ」についての詳細は以下の記事をご覧ください。