「お願いごとって、叶うとね。」長崎の天才詩人・きくちゃんが紡いでいく心願成就の物語。

取材・写真

『株式会社りぼん』代表の大原万里亜(おおはらまりあ)さんは、長崎市内で『布なぷきん・布おむつ専門店りぼん』を営みながら特製の布ナプキンや生理を楽しく学ぶ生理カルタなどを製作し、悩める女性たちや子供たちの身体と心をサポートする活動を長年続けている。

万里亜さんは23歳の時から16年にわたって特別支援学校の教諭を務めたのち、夫の転勤で広島へ。そして2年後に長崎市へと戻り教諭に復帰することとなるが、そのきっかけとなったのはタイトルにもある『きくちゃん』だった。

53歳で小学生になったきくちゃん
平田喜久代さんと万里亜さん(万里亜さんより写真提供)

万里亜さんが長崎市へ戻ってすぐの2011年頃のこと。以前勤めていた特別支援学校から「53歳で小学生になる平田喜久代(ひらたきくよ)さんという人の担任をしてくれないか」という連絡が入った。万里亜さんはすぐに快諾し、入学前に一度面会することとなった。

喜久代さん(以下きくちゃん)が小学生になったのはなぜか。日本では昭和22年に義務教育が始まり誰しもが小学校へ入学できたが、あまりにも身体の障がいが重い子供の場合は入学が難しかったという。しかし障害があっても学ぶ権利があると学校で希望者を募集し、晴れて入学することになったのがきくちゃんだった。

ミュージシャンの高浪慶太郎さんときくちゃん(万里亜さんより写真提供)

初めて会ったきくちゃんは目は見えており耳も聞こえているが、指は一本も動かず首も動かないし、声は出ない。自力では呼吸もままならず、喉に大きな穴を開け人工呼吸器をつないでいる状態だった。ただ唇は動かせるため、会話は読唇術を使って行う必要があった。

きくちゃんの身の回りの世話をしている妹さんは唇の動きを読んで授業ができるか不安で、授業中は自分が通訳としてずっとそばについていないとコミュニケーションは難しいかもしれないと感じていたという。しかし、その心配は大きく裏切られた。

インタビューの様子

きくちゃんは言葉のボキャブラリーがとても豊かで、ユーモアのセンスに溢れていた。会話の流れのテンポも良く、実際には声が出ていないのに万里亜さんにはきくちゃんの声が聞こえてくるように思えたほどだった。

万里亜さん(以下万里亜)「きくちゃんとは出会ったときから超意気投合して。『ひょっとしたら私たち前世で恋人同士だったのでは?』っていうくらい。ただ、徹底していたのは何て言ったか分からないからってごまかさないこと。そこはきくちゃんはとても敏感だったから、絶対確認して適当なことはしないって決めてたから、きくちゃんもすぐに心を開いてくれて。『私おばちゃんだけど小学生だからさ』って言ったりして、ユーモアがすごくあったんですよね」

きくちゃんは好きな芸能人のことや水晶やスワロフスキーのようなキラキラしたものに興味があること、小学生になってやりたいことなど万里亜さんにたくさん教えてくれたという。

生まれて初めて見た虹
きくちゃんのサンキャッチャー(万里亜さんより写真提供)

数日後、きくちゃんの初めての授業の日。万里亜さんが「きくちゃんには言葉のセンスがあるから、詩でも書いてみない?」と提案してみると、それまで生き生きしていた表情が暗くなり「絶対しない」と拒絶されてしまった(後で理由を尋ねると「唇を見てもらわないといけないから、みんなの時間を奪うでしょ」と答えたそうだ)。

万里亜さんは気を取り直して天然石やスワロフスキーでサンキャッチャーを作ることに。サンキャッチャーは窓辺に吊るしてガラスや天然石に日光を反射させ、虹色の光を作り出すもの。きくちゃんの小さな頃からの夢が“虹を見ること”だと知った万里亜さんが一緒に作ろうと提案したものだった。

壁一面の虹(万里亜さんより写真提供)

サンキャッチャーが完成し、早速きくちゃんの病室に飾ることに。普段の病室は窓辺のブラインドが閉まっていて暗いため、せっかくだからとブラインドを開けて吊るしてみると光がちょうどサンキャッチャーに当たり、虹色の光が壁一面に広がった。とても美しい虹だった。

万里亜「ものすごく大きな虹で、きくちゃんも私も、妹さんまでみんなびっくりして感動して。私と妹さんが泣きながら興奮してたらきくちゃんが口をパクパク動かしてたんです。どうしたのかなって見たら『先生、お願いごとって叶うとね!』って何回も言い続けてて、『そうよきくちゃん、願ったら叶うんだよ』って…私、車の中で泣きながら帰りました」

そして次の日の授業にやって来たきくちゃんは、ノートにたくさんの詩をしたためていた。『虹』や『おばちゃまですけど』など、頭に浮かんだ詩を妹さんに書いてもらったものだった。それからも万里亜さんが授業を行う度に数多くの詩を作っては披露してくれたという。

きくちゃんの詩は全国へ
きくちゃんの詩『虹』 作字はイラストレーター早乙女道春さんによるもの(万里亜さんより写真提供)

きくちゃんの詩の素晴らしさを他の学校などへも伝えたいと、万里亜さんは校長に直談判へ。しかし注目されたくない障がい者に不安を与えてしまうなどの理由から詩の配布をしないこと、きくちゃんの詩を誰にも見せないこと、そしてきくちゃんに詩を作らせないことを言われてしまった。

このままではきくちゃんの可能性を狭めてしまうかも、と思い切って教諭を辞め“友人”としてきくちゃんを応援することを決意。そこできくちゃんに詩集を作ろうと持ちかけるも「CDが良いな」との答えが。しかし何度か説得するうちに賛成してくれ、制作へと動き出した。

きくちゃん初めての詩集『きくちゃんの詩(うた)』(万里亜さんより写真提供)

詩集制作のため万里亜さんが連絡したのは、フォトグラファーの西澤律子さん。原色の鮮やかな色使いがきくちゃんの世界観にぴったりだと感じていたからだ。西澤さんはすぐにきくちゃんのもとへ駆けつけ、挿絵用の写真を撮影してくれた。それからトントン拍子に展開は進み、2012年の夏に初の詩集『きくちゃんの詩(うた)』が出来上がった。

詩集の完成にきくちゃんも大喜びで、万里亜さんがSNSで情報を共有したところまさかの事態が。女優の大地真央さんがきくちゃんの詩をBSの番組で朗読したいという連絡が入ったのである。後日、大浦天主堂で撮影された番組では『虹』『愛の中で生きているよ』など3編が大地さんによって朗読された。

きくちゃんを取り上げた新聞記事。左下に写るのは伊藤銀次さん(万里亜さんより写真提供)

きくちゃんの奇跡はまだまだ続く。次はギタリストで作曲家の伊藤銀次さんから「きくちゃんは本物のアーティストだ、ぜひ会いに行きたい」との連絡があり、すぐに長崎まで駆けつけてくれた。伊藤さんはきくちゃんが書いた詩の全てに曲を付けたことに加え、『虹』を自身のベスト盤のなかの1つに選曲。きくちゃんは印税契約も結ぶこととなった。

そして元ピチカート・ファイヴの高浪慶太郎さんとの音楽作品も。高浪さんには万里亜さんから朗読CDの制作を持ちかけ、長崎の音楽家や幼稚園の子供たち、そして伊藤銀次さんからはギター演奏、ジャケットに雑誌『クロワッサン』で挿絵を手がける早乙女道春さんのイラストと、たくさんの人たちからの心強い力添えもあり豪華な作品が出来上がった。きくちゃんは目が不自由な人にも自分の詩を楽しんでもらえると喜んだという。

きくちゃんと高浪慶太郎さん(万里亜さんより写真提供)

万里亜「この話はね、10年くらいの間の話なんですよ。プロのすごいアーティストの皆さんがきくちゃんに会いたい、一緒に作品を作りたいってわざわざ長崎まで来てくださるんですよね。きくちゃんは頑張り屋で、つらいことがあったり悪態をつきたいこともあったと思うんです。だけど『愛の中で生きているんだよ』とか日々の美しい気付きとか、勇気をもらえることを詩の中に書いてるんですよ。私はきくちゃんと一緒に過ごして、できないとかきついとか絶対に言えない。私は自由に走り回って人に会って話す事もできるんだから、もう、全力でやれるだけのことはやろうってすごく思ったんですよね。だから私としては『きくちゃんの手となり足となり声となろう』って思ってひたすら動いて回りました。学校に行きたい、虹を見たいという小さなころからの夢を叶えさせたきくちゃんを見て、本当に強い想いを持つと願いはこんなにスピードに乗って叶うんだって、きくちゃんに教えてもらったんですよ

やがてきくちゃんの詩は全国ニュースにも取り上げられ、書店での売り上げも年間ベスト10に入るほど大きな話題となった。

今のきくちゃんの夢は『NHKみんなのうた』に自分の詩が選ばれること。新型コロナが流行り以前のように会うことは難しいけれど、これからも万里亜さんときくちゃんは一緒に、心からの強く大きな願いを叶えていくことだろう。

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