”無生物から、生物へ”。航空機産業のウラノが打ち出す、新プロジェクト『URANIWA(ウラニワ)』の取り組み

取材・文・編集

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金属加工を生業とし、その延長線上でいろんな方面に技術的なものを導入してきた『株式会社ウラノ』。航空機パーツを作り、半導体製造機を作り…。無機質なものと、とことん向き合ってきた金属プロフェッショナル集団が、この度新しい事業に乗り出すという。なにやら、これまでの事業路線とは全く異なる、地域の自然と人とを”食”で結ぶ取り組みだとか…!

自然に触れて、自然に癒される。
ウラノ独自の働き方改革

金属加工業で大きな業績を生み出し続けている株式会社ウラノだが、なぜ新事業へと乗り出す必要があったのだろうか。長崎工場を取り仕切り、新事業の発案・推進者である副社長の小林正樹さんに話を伺った。

小林「事業の多角化を目指す、”ダイバーシティー”事業の一環として今回のプロジェクトが発足しました。埼玉から長崎へ移り住んで15年。人の入れ替わりがある中で長く仕事をして見てきたのですが、職場で精神的な病気を患ってしまう人もいます。金属加工のプロフェッショナルとしてモノづくりに対するこだわりが強いが故に精神的にも辛く、本人も気がつかないうちに心の病を抱えている場合もあります」

昨今の日本社会においてうつ病を発症する社員は数多いる。ウラノでも、これまでにうつ病に罹患した社員はいて、復帰できる人もいれば、薬を飲み病院に通院してもなかなか回復しない人もいるという。会社として、環境改善できることはないかという声が上がっていた。

「そんな中、県内地域の方々との出会い、農業など自然を通した”食”にまつわる話を聞く機会が増えた。そこで、働き方改革の一環として農業へのキャリアチェンジも可能なのかもしれないと思い至りました。会社に行けないのであれば、お試し出勤で棚田に通ってもらう。そうして、これまでとは別の環境で、別の事業に取り組むことで会社に対する恐怖感を少しでも取り除けられればという想いがあって」

金属から農業へ。新事業の向かうベクトルは、これまでの事業とは180度異なるものだった。小林さん自身の”食”への想いが強かったこともある。

「常に新しいことにアンテナを張るのは本業でもそうなのですが、もともと食を中心とした産業に興味はありました。金属加工という生業も今後アジアのマーケットの中でどうなるかはわからないなかで、地に根を張ったような産業をイチから作ってみたい。物作りから、”食べ物”作りを。あとは、農業の話を聞いて見えてきた自然環境の問題や耕作放棄地の問題。そういった問題にどうしたら取り組んでいけるのかと考え、いろんな活動を総合してウラノで『URANIWA(ウラニワ)』というブランドを立ち上げました。会社の舵を切るまでの規模ではないですが、これをグループ化してひとつの事業として歩み始めました」

ハチミツ、コオロギ、ビオトープ。
ようこそ、ウラノの『URANIWA』へ

社員の心のケア、そして、食料問題や環境問題、地域の問題の認知・共有に繋げる活動をすべく、手探り状態から始めた新事業・URANIWA。まず、始めたのはブランドデザインを決め、事業の内容と状況の整理を行った。

「これにより、他者に対して説明しやすくなりました。ウラノは『U』のロゴマークなんですが、それを元に3つの丸と3本のユニットを作りました。丸は、過去の文化や自然を現在から未来に繋いでいくという意味があり、ユニットは空と海と大地を意味しています。コンセプトは、『庭』。URANIWAは、社員の想いが庭としてイメージされています。その庭のひとつ、ひとつにブランドを掲げていて、『BETTER FOODS(ベターフーズ)』がコオロギの食品加工事業、『pompom garden(ポンポンガーデン)』がハチミツの養蜂事業、『URABIO(ウラビオ)』がウラノのビオトープとして棚田再生・稲作事業。それぞれの事業から食品を作り、販売までを目標にしています」

なぜ、コオロギ、ハチミツ、ビオトープに目をつけたのか。コオロギ、ハチミツについては、それぞれの「もの」の記事をご覧いただくとして、ビオトープの経緯を知るために、中岳地区の棚田へと向かった。

「きっかけは、農業に興味が湧き、ワイナリーとして活用できる土地を探していると知り合いに声をかけたら、近くに土地があるからと言われて、いろんな田んぼをご紹介していただきました。そこから、あれよあれよという間に田んぼの開拓が始まったのです」

そうして出逢ったのが、中岳地区の棚田だ。管理していたのは、林田さんご一家。元東彼杵町役場の課長を務めていたご主人が、定年退職後にトラクターを新調し、これから本格的に農業を行うはずだった矢先に逝去された。代々受け継いできた景色の良い棚田を活用して、何かできたら。道半ばにして途絶えてしまった林田さん一家の想いを受けて、小林夫妻が引き継いだのだ。

「お母さんが土地を守りたいと言う気持ちはあったのですが、息子さんは継ぐつもりがないから道半ば諦めていたそうです。それで、自分たちが引き継いでやると言ったらすごく喜んでくれて。お互いにとって意味があると思いました。今後も、一緒にできたら本当に良いですね」

全部で3000坪の広大な敷地に、十数段の棚田が広がっている。日本の原風景が、そこにある。

「これまで休耕されていた土地です。4年間放棄されると、背丈以上の草木が生えてしまっていたり、猪が入って石垣を崩されたりしていて修復に人手が取られます。現在は2人の方にメインで作業に入ってもらって、私たちも週末は一緒になって開拓をしています。ものすごい大きなヨシの株があるんですが、それを何人かで刈って、焼いて。除去するのに丸2ヶ月かかり、それを元の棚田に戻すまで耕すのに半年くらいかかりました。水路を復活させ、水を貯める貯水池も整備して。組合にも入ったので、これからも地域の人たちと一緒に活動していく必要があります。しかし、それくらいに棚田に魅力があったし、そこに住んでいる方々の想いもあったので、やろうと決意しました」

正面には、会社のある彼杵のグリーンテクノパークが見え、その奥には大村湾が一望できる。壮大な景色から吹きぬける風が、心を洗っていくようだ。

「逆に、会社に行くといつも棚田のある方角を見ます。棚田からは狼煙が上がっていて、『今日も作業をやってくれているな』と(笑)。今年の6月に完成し、無事に田植えを始められました。初めての収穫が、これから楽しみでなりません」

”金属”から”人”へ。
地域に根付いた事業にシフト

これまで金属を扱い続けていたプロフェッショナルが、真反対である自然産業に足を踏み入れて学び、開拓していく。その姿勢に衝撃を受けた。

「金属加工業は、地球に優しくはありません。ISO(国際標準化機構)の観点でCO2の削減や環境問題についての目標設定の明示があっても、そこに限界があるというのも確かです。ですから、せめてもの思いというわけではないのですが、では”私たちの企業で、何ができるか?”。そういう思いがあって、会社で出た利益の一部をダイバーシティー事業の方に回しても良いのかなと。地域が潤うというのはおこがましいですが、少しでも産業地として招いてくれた東彼杵町の活性に繋がれば幸いです。URANIWA事業の立ち上げとともに、紹介に継ぐ紹介で関係の輪はどんどん広がって。いろんな人の協力があってこの事業は成り立っています」

『ダイバーシティー』。多様性を意味し、年齢や性別、人種、宗教、趣味嗜好などさまざまな属性の人が集まった状態を指す言葉だ。地域と、会社というそれぞれの組織。そこにいる多様な人々が垣根を超えて互いを想い、支え、一緒に利益を生んでいく。これこそ、働き方を改革し、かつ新たな町のデザイン形成も促す理想のダイバーシティー事業ではないだろうか。

「現段階でも、社員も手を上げれば参加可能です。定期的にTwitterやLINEグループで、手植えをすると告知したら20名以上が集まります。働いている方の子どもや家族も来てくれて、一緒に作業して。お弁当しか出せないのですが、良い経験になったと言ってくれます。最後にできたお米は、みんなで分けて、いただく。それも一つの”想いの共有”なのではないかと思います」

「ひと」・「みせ」などについての詳細は以下のそれぞれの記事をご覧ください。