「シールと言えば、”マルケン”」と言われる会社を目指して。波佐見のシール専門印刷会社『丸研特殊印刷』二代目・丸田敦史さん

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『シール』大国、日本。そんな日本の西の端、長崎県波佐見町にシール製造を一貫して行う『株式会社 丸研特殊印刷』はある。今から46年前の1976年に創業した。「父と祖父が一緒に立ち上げた会社です」。そう語るのは、現在代表を務める、二代目の丸田敦史さんだ。

二代目が語る
丸研特殊印刷の歴史

丸田「創業時は、掘っ建て小屋みたいなところに印刷機が1台だけ置かれているという環境からのスタートでした。父は、当時の友人たちから「いったい、どこに会社があるんだ」と言われたそうです(笑)。ですが、そこから祖父と二人三脚でシールという特殊印刷の仕事を地道に増やしていきました」

学校から帰ると、会社を通って2階の自宅へ帰るという生活だったという。

「私が物心ついた頃には、印刷機が3台まで増えていましたね。あまり手伝いなどはしていませんでしたが、段ボールの中に入って遊んでいた記憶はあります(笑)。現在の会社が経ったのが24年前。それまで、父が会社を大きくしていきました。今は機材が6台。今年中には、会社の奥の敷地に新たに工場と機械を増設する予定です」

二人兄妹だった。妹の名前は、あかねさん。25年前、凄惨な飲酒運転の事故に巻き込まれ、その命は突然に奪われた。最愛の家族の死は深淵の穴となって、いつまでも埋まることはない。

「当時、私が中学2年生で、妹は小学4年生でした。きっと、その出来事から何かが変わったんだと思います。事故があってから1~2週間ほど学校に行けなくなりました。部活の仲間や友人が迎えにきて来れて、なんとか立ち直れて。その時の仲間や友達とは、今でも深い付き合いをさせてもらっています。周りの人たちを大事にしないといけない、そう感じるようになりました」

中学卒業後、隣の佐世保市の高校へ進学し、福岡の予備校に1年通ったのちに大学進学で東京へと上京した。

「常々、小さい時から東京などできるだけ外に出ろということを言われてきました。なので、大人になったら一度は外に出るものだと思っていて。そして、親戚が東京にいて小さい頃からちょくちょく遊びに行くことがあったので、いざ地元を離れるのもそんなに抵抗はありませんでした」

そこから5年間、関東の地でひとり暮らしていた。

「生活はとても楽しかったですね。家業を継ぐつもりも、帰るつもりもなかった。学生時代は特にやりたい仕事もなかったので卒業後は通信系の会社に勤めていたのですが、帰省する度に地元の先輩たちから『そろそろ帰ってきても良いんじゃないか』、『会社はいつ継ぐのか』とか(笑)。そういう後押しが積もっていくなかで、30歳になったタイミングで帰ってきました。そこから、いち社員として丸研特殊印刷に入社し、営業として県内外の多種多様な会社をまわって活動していました」

データから、現物へ。
対極の業種を乗り越えた今

これまで関わってこなかった印刷の世界に、初めて足を踏み入れた。

「正直、これまで興味を持ったことがなかった。シールを作って売っているんだという意識はもちろんあったのですが、前職はデジタル・通信関係の仕事でペーパーレスを推奨していた会社でした。なので、むしろ印刷機は使わない、紙は使わないという意識が高かったので、父からは当時『ウチの敵会社に入ったな』と冗談を言われたりもしました(笑)。それだけ、自分にとって対極となる転職だったのです」

電子から紙業へ。対局の仕事に移るということに、戸惑いがあった。

「なにより、”現物”があるという仕事に初めは戸惑いがありました。通信関係だと、デジタル上のサービスとして存在するものを提供していたので、PCでのやり取りで完結します。そこからすると、ものがあって、見た目や手触りなどを含めて自分の五感で確かめて、リサーチをするという。働き始めた当時にギャップを感じるのも無理はないですよね。でも、改めてこの仕事は”ものありき”というか。何でもない素材から価値あるものをどう作り上げていくかということが命題なので」

社会の大きな流れで見ると、現物の商品からデジタルへの移行が主流だ。現物大量生産社会からスマート社会へとフェーズが移り、いままであった商品が、いままであった仕事がなくなっていく。そんな中で、時代と逆行する会社に転職するのは大きな違和感を感じたに違いない。

「特殊印刷の仕事を始めて7年目になるので、そういうことはもうなくなりましたが。ただ、当時の意識はいまだに覚えていますね。今でも、前職の同僚とやり取りすることがありますが、逆に自分がいた頃とは全然知らない世界になってきていますね」

二代目として代表を引き継いだのは、入社して5年目だった。

「父が、2年半前に他界しました。私が前職から転職し、丸研特殊印刷に入社したその日に癌が発覚して、いきなり入れ替わるという。ただ、そこから手術を経て1ヶ月半後には復帰し、そこから5年間一緒に仕事をしていました。ただ、そこから癌が転移していったので、闘病しながら引き継ぎをする形で」

父から渡されたバトンを、しっかりと握りしめて。自分なりの形で、走り始めた。

「プレッシャーはありました。社員のほぼ全員が、私よりも社歴が長いので。私よりも短い人間は、一人、二人くらいしかいません。まあ、とはいえまだ入社して7年なので当たり前ですよね(笑)。ですから、新しいものをどんどん取り入れて、知識も含めいろんなものが劣らないようにするプレッシャーは今でも感じています。ただ、今は流れが大きく変わってきています。大量にものを作る時代ではなくなってきていて。そうすると、今まではとにかく作ればよかったことが、ある程度付加価値が高い、より良いものを作って提供していかなければならないと思っています」

マルケンにしかできない、
付加価値のあるシール作りを目指して

シールという特殊印刷の仕事に就て7年。改めて、印刷の仕事とは。

「頭の中に常にあるのは、いかに付加価値をつけられるかということです。シールは、本当にまっさらなものの上に貼ることによって、初めて商品名や、内容量、成分量などがわかります。この時点で付加価値はつくのですが、それに加えて、弊社が提案した内容や形状でプラスαのデザインを載せてあげる。それは、商品に少しでも付加価値をつけるものだと思います」

丸田さんのこの姿勢は、通常の仕事をするにあたっても変わらない。

「つい先日も、3周年のステッカーを作らせていただいたのですが、通常通りのステッカーも出しますし、それにプラスしてプレゼントとして『ビックリマンシール』のようなキラキラする特殊加工を施したシールにして一部お出ししました。そこは、仕事としてのひとつの付加価値というか、お客さんに提供できるものとして改めて見てもらえれば、うちにとってもメリットですし、お互いWin-Winですよね」

最後に、これからの丸研特殊印刷の目指すべき姿について、語ってもらった。

「考えたこともなかったな~(笑)。でも、さっき話に出てグッときた言葉があります。『九州圏内でも、シールと言えば丸研さんだよね』という言葉はまさにそうで、より多くの人に丸研特殊印刷のことを知ってもらいたいと思います。まだまだ、会社名含めて知らない人の方が多いので。そういう人が、一人でも、一社でも増えれば嬉しいですし、そうなるように努力を続けたい。まだ、なかなか発信ができていないので、これからはWEBの方にも少しづつ手をかけていく予定です。そうして、弊社のことを少しでも知ってもらえるような取り組みをいろんな形で続けていきます」

丸田さんの趣味は、ゴルフ。「社会人になってから覚えたんですが、ゴルフの面白さは上手くいかないこと(笑)。それで、100回に1回上手くいくことがあって、たまに出る会心の一撃が気持ち良いんです。大村のゴルフ場まで、足を運んでいます」。

丸研特殊印刷HPはこちら→ https://maruken-sp.jp/

みせ、イベントの記事につきましては、以下のそれぞれの記事をご覧ください。