創業七十七年 浦川理容三代目 浦川政裕さん

東彼杵町の困りごとを解決することをやりがいにする若き三代目の理容師

「すぐ傍にある困りごと、その困りごとに寄り添うことができれば、やりがいのある仕事ができ経営理念に沿ったものになると確信しました。」

そう話す、店主の浦川政裕さん36歳。浦川理容の経営理念は「喜びと、癒し、かっこよさを提供する理容店」。

1943年創業の浦川理容は、今年で77年目を迎え、政裕さんで3代目となる理容店です。

そんな浦川理容の、これまでの歴史や店舗を建て替えられたエピソードを聞いてみました。

「きっかけはすぐ傍にあったんです」

そう淡々と語る政裕さん。

実は、創業者である政裕さんの祖父、義見さんは44歳で他界。その時、2代目である父、義則さんは小学5年生。当時、祖父、義見さんと一緒に働いてくれていた、従業員さんや、お客様が親のように見守り、育ててくださり、父義則さんは一人前の理容師になれたと政裕さんに教えてくれたそうです。

創業当時の浦川理容(1943年当時)

まだ、幼き頃からそうやって地域の方々に育てられてきた父、義則さん。政裕さんが修行先から帰省した3年後の23歳の頃。父義則さんの体調は少しずつ悪くなり、店舗に立つことが困難に。

政裕さんは「なんで今、勘弁してくれよ」と思いつつ悪くなっていく父の姿に気づいておきながら、何もせずにいたことを反省し、右往左往しながら事業承継を進めることになったそうです。

父、義則さんの散髪を行う政裕さん

そんな中、常連のお客様の来店の周期の変化に気づいたそうです。1ヶ月が2ヶ月となり、最近来店されていないと思い話を聞いてみると、体が不自由になって、床屋に行くのがきつくなったとのこと。

祖父の代からずっと利用してもらい、困られているのに、店として何かできることはないのか。と疑問に感じた時、父、義則さんからの言葉を思い出しました。

「政裕、おいは父さんば早う亡くして、お客様に育ててもらった。お客様のことば大事にせんばぞ。店が一番きつかった時、助けてもらったとやけん」

政裕さんが修行先から帰ってきた頃は、開業当初からのお客様が30人程いらっしゃったそうです。時間が経過するにつれ旅立たれ、今では5人に。可愛がってもらったのに、お返しも出来ず、悲しく、もどかしい思いを繰り返していたそうです。

これ以上後悔はしたくない。早急な対応をしたい。

改装前の店内の様子(通路も狭く人1人が行き交うので精一杯な状態)

そう思い立ち、商工会青年部の仲間に相談しました。

話し合いながら出てきた答えは…

店舗の建て替えに伴い、段差がなく座りやすく、手摺が上下し、横からも座ることがき、車椅子での来店も可能な椅子を導入すること。導入後、苦痛が軽減したことでお客様には喜んでいただき「ありがとう、またお店に来ることのできたばい」と声をいただけたそうです。

すぐ傍にある困りごと、困りごとに寄り添うことができれば、やりがいのある仕事ができ、経営理念沿ったものになると確信したと政裕さん。

高齢になっているのは町の事業者も同じ。お店も減り、後継者も減っている。地方から若い担い手が流出し、それは町の課題でもあります。東彼杵町は人口8,000人の小さな町です。人口減少に歯止めがかからず、急速に町の状況が変化して行く中で、政裕さんが行動を起こすきっかけがそこにはありました。

リニューアル後の店内

事業である理容店に限らず、政裕さんは商工会青年部でも町の事業に取り組んでいます。

そんな中で、様々な業種の仕事を体験してもらい、町に残り、仕事をしている私たちに関心を持ってほしい、就職をする際に育った場所が選択肢にもなればと地元中学生と向き合い職場体験事業を行いました。

その時に受けた質問が衝撃だったそうです。

「もし、都会の人から沢山、お金をあげるから、こっちに来て仕事をしないかと?と言われたらどうしますか?」

この質問には「政裕さんが何故、ここに残り仕事をしているのか?」という疑問を投げかけられているかと感じたそうです。これまでの経験や、育った場所で働くやりがい、そしてこれまでのお客様との関係性やお店の経緯から政裕さんは伝えました。

「私のお店はね、町の人達に助けてもらったことがあるとよ。だから恩返しがしたいとさ。町も高齢化しとるやろ?高齢化社会に適応した理容店にする目標があるとさね。ここでしかできんことだってあるとよ」と。

先代からの大切な思いも受け止め継承し、繋いでいきたいという思いから現れる言葉。そしてあたらしく3代目政裕さんが建て替えた店舗には、当時の「浦川理容」という書体や店舗デザインにも施されていました。

父が言っていた夢。

「もし、自分がお店の建て替えをすることができていたら、川が見える理容店にしたかった」

その言葉の通り、彼杵川を渡す鉄橋を行き交うJRが見える店舗の設計に父、義則さんが喜ぶ姿、笑顔が嬉しかったと語りながら自身で建て替えた店舗の運営になお一層期待が高まると語っていた政裕さん。

そんな、政裕さんの先代や家族、仲間、地域に対する愛情や情熱がこれからもまた「きっかけ」と共に、この場所に受け継がれていく姿を見届け、政裕さんの人柄と軽快な対話に引き寄せられるのでした。

写真:小玉大介・川崎順平
記事:森 一峻
記事参考:商工会青年部主張大会より

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