「早く外で飲みたかですね〜」。店内のBGMに加えて、小気味良いカットの音とともに笑い声のハーモニーが店内を包む。ひとりの美容師がひとりの客に向ける環境、技術、トーク。流れるように、全てが自然で軽快だ。マンツーマンの大切な時間だからこそ、配られるのは“おもてなしの心“なのだろう。
声の主は、久保田秀明さん。この『髪処くぼた』で美容師を営む。41歳の長崎県大村市生まれだが、東彼杵町に住む以前は都内で生計を立てていた。
久保田「いつかは田舎に戻りたい、そんな気持ちを持ちつつ都内で暮らしていましたが、東日本の震災を経験して価値観が変わりました。また、都内で生まれ育って田舎暮らしに反対していた奥さんも田舎で暮らしてみたいと。これはチャンスだと思って、『長崎に行こう』と」
長崎移住を計画中、東京都の移住相談センターで森一峻さんの講演を聞いたのが東彼杵町への移住のきっかけとなった。さらに、奥さんの友人である色鉛筆画家の松島理恵子さんが、9年前に東京から東彼杵へと移住していたことも背中を押してくれた大きな要因だ。
久保田「妻は、彼女と今でも交流を続けています。東彼杵に移住していると知ったときは妻のテンションは一気に上がりましたね(笑)。移住の際、家探しなどを世話してくれた恩人でもあります」
そうして2018年3月、子どもの入学に合わせて移住し、翌年の5月末に店をオープンしたのであった。
環境と技術と人柄の三位一体でおもてなし。
東彼杵の『髪処くぼた』店長 久保田秀明さん
久保田「実際に来て、美容院やってみましたが、やることは変わりません。それは、都会でも田舎でも一緒です。変わるのは自分のモチベーションですかね。都会は人数が多くて数を捌かなきゃ行けない。それはそれで刺激があるんですが、自分自身もハードになってくるし、1日に10人、20人を相手にするとお客さん全員の顔を思い出せなくなることがあります。それってどうなのかなと。一方で、東彼杵では地域密着な関係作りをという気持ちになって接することができるから、どこのあの人と繋がっているんだとか、人間のコミュニケーションまで見えてくる感じがして楽しいです」
田舎ならではのネットワークが、東彼杵にも存在する。コミュニティーが密なので、都会に住む人はカルチャーショックを受けてしまうことも大いにあるだろう。もともとは、大村市生まれということだが、長く都内暮らしをしていてギャップは感じなかったのだろうか。
久保田「基本あまり考えてなくて(笑)、苦手意識がなくて。ただ、楽しくお客さんにも喜んでもらえて、気に入ってもらえれば。ただ、狭い中で良い情報も悪い情報も広まりやすいので、多少は気をつけている部分もありますが。でも、東彼杵は住みやすいですね。家を建てたいなぁと考えたり。秘密基地のような家を作りたいです。お店はここで続けながら」
地域密着だからできることがある。好きだったか、嫌いだったかを聞いて、その人の好みに合わせながら方向性を見出していく。そんな双方向性のスタイルを導き出した。
久保田「カルテには毎回書くんですが、飽きないように、お袋の味じゃないですけど前回と同じようなオーダーでも自分の方でちょっと攻め方を変えたりしています。毎回通っている人に『同じカットで〜』という対応はしないですね」
つねに崖っぷちで生きてきた。
その中で感じる美容師のやりがい
久保田「美容師になるきっかけというものがなくて。最初は、福岡で道路舗装会社に就職し、半年で辞めて東京に内緒で行きました(笑)。その後、東京でホテルマンにになって品川駅前で働いていた。そこで奥さんと出会って。腐れ縁ですね」
美容師に展開したのは、ホテルマンとして1年が経ち、19歳で仕事に飽きが来たとき。ヌルさを感じ、このままでは自分がダメになると一念発起。接客、サービス業で自分の手に職をつけたい。そんな理由で美容師に転職したのであった。20歳で勤め始め、22年続けている。
久保田「性に合ってるんだなと思いますが、結婚や出産があったからか続けざるを得ない部分もありました。それがなかったら変わってたかもしれませんね。つねに崖っぷちという状態で今まで来た節があります(笑)」
そんな崖っぷちの人生を楽しめる氏の、美容師として面白いと思える瞬間を尋ねたときの答えが秀逸だった。
久保田「街のどこかでお客さんに会った時、ここで切った時と全然違う髪型をしていると、なんであんな風になってるんだろうなと思うのが面白いですね(笑)。真面目なことも言っておくと、全国の人と知り合うことができるということ。美容院に来てもらうお客さんは様々に出身地が異なっていて、繋がれることが美容師の特権だと思います。私は、よく『どこ出身ですか?』と尋ねるようにしていますね」
みせについての詳細は以下の記事をご覧ください。