東彼杵町から最高のそのぎ茶を多くの人に。
地域住民に愛される老舗茶園。
日本人にとって、お茶とはなんだろうか。イギリスでは紅茶、中国では烏龍茶と世界の国々でお茶の文化があるように、日本でも緑茶を嗜む文化がある。物心ついた時から、当たり前にあるモノとして習慣的に喉を潤すその味は、口に含むと懐かしさが自然と湧き上がり、不思議と心を落ち着かせてくれる。
日本茶といえば、生産量も含め静岡県や鹿児島県あたりが有名だ。しかし、この長崎の地にも古くからお茶の歴史があり、各地域で茶畑が広がっている。なかでも、そのぎ茶は、県を代表する銘柄でふくよかな味と香りがする茶葉として人気を博している。全国茶品評会では四連覇を果たすほどに品質の高さが窺える。
そんなお茶の町として認知されつつある東彼杵町だが、田畑に囲まれた閑静な場所に池田茶園がある。当茶園の歴史は古く、昭和16年から約80年。これまで3代に渡ってお茶を作り続けてきた。系譜を見てみたい。
昭和16年 初代社長:池田甚四郎さん
昭和30年 2代目社長:池田昭さん
昭和54年 3代目社長:池田隆さん 工場長:池田厚さん
そして、4代目として頭角を表している池田亮さんが後に控え、家族を中心に経営を続けている池田茶園だが、まずはその代表である池田隆さんにお話を伺った。
隆「お茶って、茶畑を持つ人たちが茶を摘んで、乾燥させて、売っていると思っていました? 実は違うんです。今は分業化が進んで、我々はお茶の問屋をしています。お茶をブレンドしてそれぞれの規格段階、レベルにまで引きあげる”茶師”と呼ばれます。」
記者の無知な質問にも気さくに答えてくれた3代目社長。初めて耳にする茶師という専門業、その仕事とは…。お茶の世界を覗いてみた。
お茶の品質にこだわり抜くため
手と真心を尽くす職人=茶師
隆「お茶農家さんが全てやる、というのもあながち間違ってはいません。私たちの茶園も、終戦後に私の祖父の代から始まりましたが、先代の頃は茶畑から加工、仕上げ、出荷まで全て行っていました。それが、ある程度規模が大きくなってくると4月から夏場にかけて茶摘み、茶畑の手入れ、そして販売が重なってしまい、どちらも人手が足りない状態に。体はふたつにならないんでね(笑)。それなら、どちらかに絞ったほうが効率が良いし、良いお茶が提供できるということで仕上げて卸販売するという仕事にシフトしていきました」
効率と品質向上を考えての舵取り。そこから、問屋としての池田茶園の、茶師としての隆さんのキャリアがスタートしたのだ。当時、齢23歳。そこから31年、ひたむきに走り続けてきた。
隆「最初は、お茶の仕入れの時とか信用がまだなくて苦労しました。今はお茶市場というのがあるんですが、昔は生産者のところに行って直接お茶を分けてもらっていたので。信用作りがとにかく大変でしたね。地域に根強くやっていかないと成り立たないですから」
隆「今も茶畑は持っていますが、茶農業者に貸しています。管理し、茶摘みをしてもらって、それを加工します。この段階では、”荒茶(あらちゃ)”という半加工状態。もみ込んで、ある程度のお茶段階までいくんですが、乾燥が足りず一般の人は青臭くてまだ飲めません。お茶というのは、茎があって葉っぱがあって。粉になったときにそれらが一緒くたに出てくるんですね。見た目通り、品質が仕上がっていないため荒茶と呼ばれる。それを我々仕上げ問屋が購入し、ブレンドしていきます」
配合は無限大で、そこに仕上げ問屋、つまり茶師として真価が問われる。各問屋ごとにこだわりを持って配合のバランスを変えているのだ。
隆「品種によっても味が若干変わってくるので、作り手(茶師)がこうしたいという想いでブレンドしていく。お茶の本質がわからないことには茶師として話になりません。経験を重ねてお茶を目で見続けて、飲んで。その特徴を広く深く探究していかないとこの仕事はできません」
毎日お茶と向き合わないことには、お茶を見る目も養われない。これは、どの業界においても同じことが言えよう。しかしながら、お茶の良し悪しというのは何で決まるのだろうか。
隆「極端にひどいものは、一般の方でもわかります。水っぽくて、サラッとした感じ。これはあまり美味しくない。飲むとトロリとした口あたりで、いつまでも余韻が残るお茶ほど良いです。あとは、抽出した時の茶の色。ある程度緑がかったものが良い。茶畑の上に覆いを被せて、直射日光を避けて甘みを蓄えさせます。高品質のお茶を作るためには手間をかけて緑の色素を出して、見た目も味も良くします。ペットボトル飲料水のお茶などは、専門の業者が手間をかけずに”量”を取るんですね。私どもは逆で、”質”の方にこだわりを持って仕事をしています」
もうひとつ、茶師にとって欠かせない仕事がある。ブレンドをするための原料である茶葉の買い付け(入札)だ。
隆「この5月をピークに市場で入札が行われます。原料を目で見て確かめ、値段を決めて札を入れていくんですね。かなりの額が動くので、目利きができないととんでもなかことになる(笑)。極端な話で言えば、原料で1キロ6000円するものと、1キロ1000円するもの、しないものが混在している。全然違うんで、それを見分けてとにかく良いものを買い付ける必要があります。方法としては2種類あって、まずは札に希望の値段を書いて箱に投函し、開票される方法。もうひとつは、電光版があって、ボタン式で買い付けの人たちが値段を上げて競り落とす方法です」
例えば1キロ1000円のものであっても、買い付けの量は1000キロ単位にのぼる。それを、自分の目と感覚だけで判断し、入札をするとなると…考えただけで恐ろしい話である。
隆「なので、お茶を見れないことには話になりません。見た目、味、全部審査します。300〜400点数くらいある中から選ばないといけないので、まずは見た目で絞って、その中から飲んでみて。見た目は良いけど味がちょっと、というものを外して。半日その仕事に費やされます。入札会が行われるシーズンが4月半ばから5月末くらいまで。それが終わると2回目、二番茶の入札会が始まります。身体が空いたら、行くようにはしています。できれば毎日行きたい。お茶も株価と一緒で日毎に価格相場が変わってきますから」
どの業界もそうだろうが、初物は高い。それからだんだんと落ち着いてきて、今年はちょっと足りないぞとなったら逆に値が上がり始めるのだそう。茶師たちは入札会で1年分の茶葉を買い備える気持ちで臨む。買い時を見計らいながら、自身の経験と勘を頼りに動く。判断力の問われる難しい仕事といえよう。
隆「茶師にとったら春のシーズンが一番大変で、一番お茶が売れる大切な時期。そのために、仕入れは1000キロ単位でブレンドし、梱包して冷凍庫に詰め込まないといけない。仕上げも目一杯しないといけない。とにかく、大変です。それに加えて茶摘みまでやっていたら、とてもじゃないけど無理です(笑)。なので、今は分業化が進んでいますね」
聞いているとなかなかに骨の折れる仕事であることが理解できるが、それでも茶師を続けてこられた理由は何だろうか。
隆「一番は、なによりお客さんから美味しかったと言ってもらえることですよね。ファンになってくれればリピートしてくれますから。テレビなどで特に宣伝はしてこなかったんですが、口コミで広がって多くのお客さんに知って、飲んでもらえているのは、愚直に続けてきて良かったなと思えます」
茶師としての仕事の流儀
受け継ぐ4代目へと託す想い
これまで、茶師としての仕事について伺ってきた。徹底的に品質にこだわるため、できるだけ良い茶葉を買い付け、理想の味に近づけるためにブレンドをして仕上げていく。その道で生き、極める者だけが許される生業だが、その礎となる流儀とはいかに。
隆「理想としては、良いと思った味を変えることなく出し続けることです。お茶は農産物なんで、その年の気候など環境の変化によって香りも味も変わっていきます。最近は異常気象で秋も冬も気温が下がらずに根っこが休めないとか、天気が続いて雨が降らないとか、茶摘み前に霜が降りて枯れてしまうとか。そういう茶畑管理は、生産者にとってものすごく大変なことです。気候に合わせて肥料を変えたり、扇風機で霜除けしたりと、みなさんコストをかけながら努力しています。なので、お茶農家さんから託された大事な茶葉をうまくブレンドして仕上げ、”変わらない美味しいお茶”を提供することが茶師としての仕事だと思っています」
そうして、3代目の話はその想いを受け継ぐ次世代の話へと移っていく。
隆「お茶作りは奥が深い。私もいまだに勉強の連続です。とにかく場をこなすことが何よりこの仕事は大切。今後、4代目となる息子の亮がやっているんですけど、彼にもとにかく一緒にお茶を見させて、意見を出し合って共通点を探っていく。池田茶園としての味の方向性をどうしていくか。味や色、形状を共有しておく必要があります」
息子であり、4代目を担う亮さん(右)と、彼に製造工程のイロハを教え込む弟で工場長の厚さん。
隆「商売も大変ですから、私から店を継げと言ったことはないです。もちろん、継いで欲しいという思いはありましたが。子どもは3人いて、みんなそれぞれ好きなことをして良いという方針で育ててきました。そんななか、一番下の息子(亮)が『自分がするけん』と自らの意思で言ってくれたので、『じゃあ、せんばたい』と。そして、高校を卒業してからは手伝いから本格的な修行へと変わり、10年以上前から携わっています。そして、今年(2020年)から一年で最も重要な一番茶の入札会は、全て彼に行かせました。去年までは安い二番茶を任せたんですが」
仕事を任せるタイミング。これは、仕事を割り振る経験を持つ人間であれば、その見極めの重要さ、責任の重さは理解できるだろう。どの時期に、どこまでの仕事をやらせるのか。
隆「とにかく、失敗しても良いからということで一度任せてみようと。二番茶の競りにいって、良い結果も出してくれましたし。それで、一番茶もやって来いと。彼の中でプレッシャーに押しつぶされそうになったこともあるかもしれませんが、その分大きな経験を積んだはずです。これを機に、今後ももっとやってくれるだろうと思っています」
「お茶に関しては、おいがするけん」
職人気質を引き継ぐ、4代目の強い意思
「祖父が茶畑をメインに。父がどちらもやるようになって。そして、私の代で茶師をメインにするようになって。だんだんと移り変わってきました。そして、息子が今後どういう考えを持ってやってくれるか、見ものですね」。そう、最後に笑いつつも、嬉しそうに次の世代へと期待を込めて話を締めくくった3代目の隆さん。その話を受けて、四代目は何を思うのか。今度は息子の亮さんに話を伺った。
亮「物心ついた時からお茶に触れてきました。なので、本格的に仕事を担うようになってからも、メモなどはあまりとらず自分の感覚を磨いています。甘いとか、旨味が強いとかは自分ではわかるのですが、それを細かく表現するっていうのが苦手なんです。父もそうで、そういう指導は受けてきませんでした。最初は全然わかりませんでしたが、父が取ってきたお茶を後でコソッと飲んで、池田茶園で出してるのはこういうお茶なんだと今そうして、自分の味覚、嗅覚、視覚といった感覚だけで『これ、池田茶園で使える』かどうかを決めています」
受け継がれた血と、与えられた環境。自然と、必要なことを吸収する術は心得ているのだ。茶師としてのサラブレッドは、すでに頭角を現している。
亮「父と似てると思います。このお茶が良いとか、父が言ったことは自分も同じ感覚だったりしますし。一人で入札を任されて、取ってきたお茶を父に飲んでもらうんですが、ちゃんと取れていると言われて自信になりました。池田茶園として使えるお茶の味をちゃんと認識できているのかなと。
亮「市場でズラーッとお茶が並んでたら、ワクワクしてきます。普通の人にはない感覚かもしれませんが。『全部一緒やん』みたいな(笑)。自分も初めて入札の現場に行った時にはそう思っていたのですが、少しずつ違いが分かるようになってきました。色や、どこに欠点があるのかなど、分かり始めたらお茶がバーッと並んでいる光景に気持ちを掻き立てられる。この時期が一番キツいですが、逆に楽しいです」
そんな4代目は、今後の池田茶園をどうしていきたいのだろうか。
亮「池田茶園としてのお茶の味は変えたくない。今までずっとその味でやってきているし、父がそれで築いてきた顧客との信頼関係を、自分の代で美味しくなくなったと思われたくない。根本的なところは絶対に変えたくないですし、そういうふうに仕事をしています」
亮「それでも毎年、『去年よりももっと美味しいお茶を作る』というのは常に求めています。プラスαですよね。それを自分がお茶を取りに行くときの目標にしています。変えずに、加えていく。好きなことに対してめちゃくちゃこだわりがあります。できれば自分でお茶を買い付けて、自分でブレンドして仕上げて。お客さんが飲んでくれる完全なお茶を作りたいですね」
これまで、お茶について考えたこともなかった。恥ずかしながら、茶畑農家と別に茶師がいることも知らなかった。お茶の道に生きる人のお茶への想いを聞き、記者の頭にふと冒頭の問いが蘇る。日本人にとって、”お茶”とは何か。
それは、切っても切り離せない生活の一部ではないだろうか。客人と共に過ごす時間を大切にする意味でお茶を酌む。大事な人の祝いの席やお供えにお茶を酌む。”おもてなし”の文化が根強く浸透している日本だからこそ欠かせないモノであり、そのなかで生み出され、消費されていくのだ。
「日本人はどうしてお茶を飲むのか」と聞かれれば、こう答えたい。「それは、日本人だから」と。池田茶園からいただいたお茶を味わいながら、そんなことを考えていた。
みせについての詳細は以下の記事をご覧ください。