出会うまま、誘われるままに。好奇心を持って流されよう。『大村湾商事・谷本雅章さん』

取材

写真(3,6枚目)

公開取材動画配信

その人らしさは、岐路に立ったときの「決断」に表れることが多い。

朝起きて、何を食べるのか。どういうものに囲まれて暮らすか。どんな仕事をして、どういう場所で生きていくのか。

やりたいことや意志がはっきりとしている人の行動は、見ていて清々しい気持ちになる。

とはいえ誰しも、ときには迷ったり悩んだり、立ち止まったりもする。そうした体調や心境の変化が生まれたとき、どのようにそれと向き合い、対処していくのかにも、人それぞれの個性があると思う。

今回話を聞いたのは、大村市でコワーキングスペース&カフェ「coto」を運営する株式会社大村湾商事の谷本雅章(まさあき)さん。なぜ冒頭で決断の話をしはじめたかというと、谷本さんのこれまでの歩みを聞きながら、その歩み方や決断のしかたが、なんだかユニークだなと思ったから。

その都度“こっちに進みたい”という意志はある。それも、結構明確なもの。

ただ、いざ何かを決断するタイミングでは、流れに身を任せているというか。「そこは決めないんだ!?」と思ってしまうようなエピソードも。

長崎への移住も、自分では決めていないらしい。…どういうこと?

芯がありつつも、どこか行き当たりばったりを歓迎しているような、谷本さんの半生をたどります。

(この記事は、2022/12/2に開催された公開取材と、その後の追加取材をもとに編集しています)

公開取材の様子はこちら。

谷本さんは、1993年横浜生まれ。お父さんの転勤の都合で、横浜→大分→北九州→横浜と引っ越しを繰り返してきた。

「九州の風景と食べ物で育ったなあっていう感覚が強くあります。兄と両親の家族4人で車に乗って、あちこち旅行して」

「思春期は都市部で生活していたわけですけど、そのなかで自分が心惹かれるのは、やっぱり自然のある風景だなって」

そんな生い立ちもあり、高校・大学と進むなかで地域活性化に関心を持つように。

調べてみると、地方は人口が減少し、さまざまな課題を抱えていることがわかってきた。自然も食も豊かで、人もあたたかい。けれども、このままでは立ち行かなくなる自治体がたくさんある。

自分の大事にしたい地域を残していくためには、どうしたらいいんだろう?

大学1年生のとき、その問いに向き合うヒントとなる出会いがあった。授業のゲストに来てくれたのは、島根県海士町でまちづくり会社を経営する阿部裕志さん。

「阿部さんは講義のなかで、『自分たちの島は人口減少が進みまくっていて明らかにやばいんだけど、そここそが世界の最先端なんだ』っていう表現をされていたんですね」

隠岐諸島の一部をなす海士町。アクセスのわるい離島ということもあって、もともとは少子高齢化や過疎地域のインフラ整備、教育や職業選択など、地方で懸念される課題をすべて先取りしているような地域だった。

そこから、行政・民間・学校が一緒になって高校の魅力化に取り組んだり、島への移住・定住を支援したり、島内に点在する小さな仕事を可視化して、町内での暮らしや仕事のあり方を提案したり。さまざまな取り組みを通じて、まちづくりの先進地域として注目されるように。

阿部さんは、その軌跡を『ぼくたちは島で未来を見ることにした』という本に著している。

「『あらゆる課題を先取りしているのだから、ここでの取り組みがうまくいけば、それはさまざまな地域に活かされていく。その一番先端に自分たちはいるんだ』と。その話を聞いてから、なおさら地域のことに関心が高まっていきました」

以来、谷本さんはさまざまな地域を訪ねて回った。奈良県川上村、北海道羽幌町…。

大学3年生のときには、一年休学してアフリカ・ウガンダに数ヶ月滞在したこともある。

「生まれ育った環境とまったく違う国の日常を体験したくて。裸足で走り回る人たちと、一緒に井戸まで水を汲みにいったりもしました」

「得られたものはいろいろあるんですけど、一番大きかったのは、そういう生活をしている人がこの地球上、同時代にいるんだっていう実感値を自分のなかに持てたこと。仕事という仕事をしなくても、農作物を育てて食べて生きている人たちがいるんだなって」

課題は捉えようによって、可能性になる。それに、外から課題のように思えることも、その土地で暮らす人にとっては課題ですらないこともある。

いろんな価値観や文化を知り、ときにはその只中に飛び込んで“当たり前”の枠を取り払うことで、谷本さんの世界は広がっていく。

谷本さんを形づくるもうひとつの大事な要素が「対話」だ。

ウガンダへの旅から少し時計の針を戻して、2012年。通いたい大学に受からず、浪人することを決めていた谷本さんは、暇を持て余していた。

「卒業式が終わって浪人生活がはじまるまでの間、暇だったので、東京でやっていたイベントに参加したんです。そのイベントのなかで、集まった人同士で対話する時間があったんですよ」

当時は東日本大震災からちょうど1年後。震災をテーマに、集まった人たちとディスカッションするという内容だった。

「それがすごく楽しかったんですよね」

どんなところが?

「考えてることを人に話したり、それに対して意見をもらったり。そういうシーンって、あまり高校生活でないじゃないですか。しかもそこには、大学生もいれば、社会人も主婦の人もいて。すごく刺激的だったんです」

そのイベントを運営していたのは、地域や学校と連携しながら、社会に10代の居場所と出番をつくることに取り組んでいる教育系のNPO法人。

大学入学後、谷本さんは学生ボランティアとしてそのNPOに関わりはじめた。高校での出張授業という形で、高校生たちの夢や悩みに耳を傾け、ともに語る。

自身が高校生でも大学生でもない時期に、さまざまな人との対話から刺激を受けた谷本さん。だからこそ、少し先をゆく先輩として高校生たちと向き合う時間に意味を感じた。

「とくに地方って、高校生の進路の選択肢が狭いように感じていて。大学に行くにしても、何かやりたいことがあるから行くのであって、東京の、偏差値の高い学校を目指すのが必ずしも正解ではないじゃないですか。美大もあるし、地元の大学を選択するのもいい」

「やりたいことを見つけて、選択肢を広げるために必要なことは、まずは『いろんな生き方があるんだよ』って知ることだと思うんです。高校生たちにいろんな選択肢を持ってもらうために何かできることはないかっていうのは、いまだによく考えることですね」

ウガンダからの帰国後は、当時住んでいた横浜のコワーキングスペースにインターン生として関わったり、ソーシャルビジネスなどの分野でユニークな本をつくっている出版社と一緒にイベントを企画したり。

就職活動は苦戦したものの、空間デザイン会社に内定が決まった。

「自分が就いたのはプロジェクトマネジメント職でした。空間のコンセプトをつくる段階からヒアリングやリサーチを重ねて、設計者と一緒に図面を見つつ、スケジュールや予算を管理し、入居が完了するまで伴走する仕事です」

ソーシャルビジネスや地域活性の文脈からは、少し離れるような気もします。

「そうなんですよ。でも、いろんなスペシャリストを束ねあげて、ひとつのアウトプットを出していく経験は何にでも活かせそうだなと思って。仕事も魅力的だし、働いている人もおもしろそうだなと思って入社しました」

のちに長崎へ移住することになるのも、その会社で働いたことがきっかけなのだそう。

「当時の取締役(現代表取締役)の長尾さんが、大村湾商事という会社もやっていたんですよ。自分も九州で何かやりたい気持ちはあったんですが、そのときは『会社の偉い人が長崎で会社やってるんだなー』っていう認識で、あまり関わる余地もなくて」

その後、大学時代に関わっていた横浜のコワーキングスペースに転職した谷本さん。ハードの空間づくりを経て、今度はソフトの場づくりに向き合う日々がはじまった。

ただ、次第に悩みも抱えるようになったという。

「次にどんなことをやりたいかなって、ちょっと悩んでいたんですよね。そのときに長尾から連絡があって。『お前も知ってると思うけど、大村湾商事という会社があってだな』と。『長崎でやってるんだけども、コワーキングスペースを立ち上げることが決まって、物件も決まっている。あとは住んで運営する人だけが決まってないんだ』って話をもらったんですよ。それが2020年の秋ぐらい」

「ぼくはその場で『やりたいです!』って答えていました」

どうしてそんなふうに即断できたんでしょう?

「今振り返るといくつか理由があって。次にどういうことをやりたいか、悩んでいたのもひとつですし、九州で何か仕事したいっていう想いもひとつ。あとは代表の長尾の人柄というか」

人柄。

「自分が働いていた当時から、スーツケースを持ってあちこち飛び回っているような人でした。たまに東京のオフィスに帰ってきて、メンバーに話しかけて去っていく…。なんかおもしろい人だな、気が合いそうだぞっていう感触はあって。その人に誘ってもらったことは大きかったです」

「だから、ぼくは移住先を自分で選んでないんですよね。誘ってもらった場所が大村だった。そういうきっかけで、長崎に来ました」

そうして2021年春、長崎にやってきた谷本さん。

縁もゆかりもない土地で、どんなふうに場をつくってきたのか。そして、これからどこへ向かおうとしているのか。インタビューは「coto編」へと続きます。

「coto編」についての記事は、以下をご覧ください。

cotoのHPはこちら→ https://coto-hub.com/