アパレル販売員から商社の社長へ転身『有限会社アイユー社長 小柳勇司さん』

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誰にでも使いやすく、かつ洗練されたデザインの
焼き物を開発、販売。

2021年6月、アイユーが手がけているORIMEシリーズからさわやかに食卓を彩る「薄緑色」と「黄色」の商品が登場しました。薄緑色は全国に展開を広げるアパレルブランド『アーバンリサーチ』限定、そして黄色はくじらの髭限定の商品となっています。

特別なORIMEシリーズの販売に際し、私たちはアイユーで2代目の社長を務める小柳勇司さんにインタビューを敢行。今回は小柳さんのこれまでの経歴について詳しくお伝えします。

波佐見町で過ごした子ども時代

小柳勇司さんは1982年に生まれ、高校卒業までの18年間を波佐見町で過ごしました。高校は両親の勧めもあり地元の進学校へと入学しましたが、小柳さんにはとある思いをずっと持っていたそう。

小柳「東京への憧れを持ち続けていたので、いつかは行きたいと考えていました。そして自分は洋服がとても好きだということもあって、東京の服飾系専門学校に進みたいと希望したんです」

専門学校へ行きたいと両親に伝えたものの結局は説得できずじまい。大学進学の道を目指すため、高校卒業後は福岡の予備校へ入ることとなりました。

念願の東京へ

福岡の予備校で勉学に励んだものの、大学受験に失敗。そのタイミングで妹さんが東京にある文化女子大学短期大学部(現文化学園大学短期大学部)への進学することが決定しました。

小柳「受験に失敗して『あんた浪人するの、仕事するの、どっち?』と両親に迫られたので、あと1年だけチャンスを下さいと頼んで。ちょうどその頃に妹が上京することが決まったこともあり、自分も東京へ便乗させてもらおう!と(笑)」

やがて東京の予備校へと移り、無事に日本大学経済学部に合格。大学生活を経て就職活動に臨んだ小柳さんは日本全国でアパレルを展開する『株式会社オンワード樫山』への就職を決めました。

小柳「自分は営業職に就きたいと考えていたのですが、『営業するにしても販売して売った経験がないと説得力のある営業はできないよな』と思いオンワードの販売部門に挑戦したんです」

モノを売る難しさを知る

オンワードのブランドの中で小柳さんが担当したのは『JOSEPH(ジョセフ)』という紳士服ブランド。入社してすぐ西武池袋百貨店へと配属されましたが小柳さんの売り上げがゼロという日々が2週間も続き、販売の難しさに打ちのめされていました。

あるとき、たまたま来店したお客さんの接客を小柳さんが行うことに。お客さんが1枚のTシャツを気に入りいざ購入へとたどり着く寸前、要望するサイズのものが隣の百貨店でないと手に入らないことが判明しました。

小柳「そのことを店長に伝えたら『数時間後にご来店されるなら、その間に君が隣まで取りに行って用意しておきなさい。君の売り上げにしてあげるから』と言われて。これが生まれて初めて服を売った経験です。そこから次第に要領も分かってきて、だんだん売れるようになりました」

販売に慣れてきた小柳さんでしたが3ヶ月後に渋谷店、さらに4ヶ月ほど後には横浜店へと異動。関東に20店舗ほどある中でも横浜店はカリスマ的な店長がいると知られている店舗でした。

小柳「正直その店長に会うのが怖かったけど行くしかなくて(笑)。でもいざ一緒に働いてみるとやはり販売する能力が抜群に高い人だ、と。店長から手取り足取り販売や接客について学ばせてもらい、僕から服を買いたいと仰ってくれるお客さんも増えていきました」

波佐見へ帰ろうと決意

横浜店に移りしばらく経った頃、仕事でたびたび東京にやって来ていた両親から「そろそろ波佐見に帰ってこないか」という話を持ち掛けられるように。始めはアパレルの仕事を続けたいと答えていましたが、現実が見えるにつれ気持ちが動くようになります。

小柳「営業をやりたいから続けていたのですが、部署を移るのはかなり厳しいと感じるようになってきて。悩んでいた時に『帰ってこないか』という両親の声がよぎるようになりました。地元は好きだったし、関東でアパレルの仕事をやり続けるよりも面白いことができるんじゃないかと考え始めたんです」

店長や会社に地元へ帰りたいと相談しましたが、店長補佐として顧客や売上の管理など重要な仕事を任されていたこともあり、「君がいないと店が成り立たない」と説得され、さらに留まることに。

1年後、無事に波佐見に帰郷した小柳さんは会社運営に必要なパソコンのスキルを学ぶため職業学校へ通い技術を習得、その後アイユーへ正式に入社することになりました。

価値観が揺らいだ一言

高校卒業以来10年ぶりに波佐見に戻ったものの、東京での生活とのあまりの違いに戸惑うばかり。これから波佐見で生活できるのか? と不安が膨らんでいました。しかしそんな中でも「アイユーさんの息子さん」と業界の先輩方から気にかけてもらっていたそう。

慣れない生活を送っているうち、小柳さんの価値観が大きく揺らぐ出来事が起こります。それは某メーカーの社長さんと某商社の社長さんとの食事会で、メーカーの社長さんが放った一言がきっかけでした。

小柳「『アイユーさんみたいな商社からメーカーへ依頼するときに、品物を〇月〇日までにお願い、みたいな納期のやり取りあるでしょ。でもね、絶対にその日までに上がってくることは無いよ。納期は絶対に遅れるもの。波佐見の仕事はそういうものだからね』と言われて。どういうことですか!?とめちゃくちゃショックでした(笑)」

小柳さんがそれまで働いていたアパレル業界は、1時間でも納期が遅れるだけで大きく信頼が損なわれる世界。それに対して波佐見はお客さんが望む納期があってもタイミング通りにできなければさらに1週間待ってもらう、といったことが当たり前に行われている状況でした。

小柳「波佐見には独特の時間の流れ方があることを改めて気付かされました。何年経っても忘れられない、波佐見に帰ってきて一番最初の鮮烈な出来事です」

今でもたくさん学ぶことがある

そこから商社とは、窯元とは、モノを作ることとは…と勉強を続けてきた小柳さん。アイユーに入社して10年の間、会社経営の立て直しや『インテリアライフスタイル』などの展示会への出店、誰にでも使いやすいユニバーサルデザインを活かしたオリジナル商品の開発など大きな実績を次々と重ね続けています。

小柳「今でも日々勉強を続ける毎日ですね。その中で商品を作っていくときに立場ごとや場面ごとにハッとさせられたり学ぶことはすごいあって。波佐見に帰ってきて10年経つ今でも、一日一日過ごしている間に吸収することが沢山あるなと思うほど奥が深い業界だと実感しています」

そして遅れることが当たり前と言われていた波佐見の仕事のやり方は、仲間と共に体制を変革。お客さんからも対応の早さを喜ばれることが増えてきました。

小柳「先日、有田のとある方とお話をしたのですが『波佐見で仕事を頼むと対応がすごく早い。そしてお願いしたものを理想に近い形で作ってくれてすごくありがたい』と仰っていただいて。ともに波佐見を現在の形に変えてきた仲間は適応能力が高く、時代の先をつかむ感度が抜群の人たち。自分にとってとても良い刺激になっています」

東京のアパレル販売員から波佐見焼を展開する商社の社長へと転身し、大活躍している小柳勇司さん。服から焼き物へと品物の種類は変わりましたが、生活や人生を彩る素敵なモノをたくさんの人へ届けているすごい人です。

みせ・ものについての詳細は以下のそれぞれの記事をご覧ください。

小柳勇司(有限会社 アイユー)

1982年生まれ、長崎県波佐見町出身。高校卒業までの18年間を波佐見町で過ごし東京へ上京後、日本大学経済学部へ進学。卒業後、日本全国でアパレルを展開する『株式会社オンワード樫山』へ就職しアパレルの業界へ。アパレルの感覚を活かし現在は波佐見町へUターンし、有限会社アイユーの代表取締役を務めている。