東彼杵の海に眠る1300年の真珠の歴史を伝え、海を護りたい。【大地千登勢さん】

みなさんは、大村湾がかつて琴の海と呼ばれていたことをご存知だろうか。

四方を陸に囲まれ、山や森の恵みがたっぷりと注がれる世界的にも閉鎖珍しい海域。湖のような穏やかさを表し、聴く者の心を癒す琴の美称がつけられた。

10万年前からスナメリがイキイキと泳いでいたほどに豊かな環境を誇る大村湾には、天女の伝説があり、1300年以上前から紡がれてきた真珠の歴史や文化がある。太古の昔には“美しい珠の揃った国”の意を持つ具足王国(そないだまのくに)とも呼ばれたそうだ。ちなみに、この呼び名はのちの彼杵の由来となる・・。

そんな深い歴史をすくいあげ、さまざまな形で伝え続けている女性がいる。あこや貝、あこや真珠から作られたブランドacoya(アコヤ)のディレクター、大地千登勢(おおち ちとせ)さんだ。

琴の海に眠る記憶を呼び戻す

2019年11月にSorrisorisoを中心に行われたイベント『琴の海、真珠の海の物語 — 大村湾 東と西を繋ぎ海に眠る記憶を呼び戻す』では、トークや音楽会、ワークショップ等を通じて大村湾の真珠の歴史を発信してきた。

きっかけの一つとなったのは、東彼杵で唯一の真珠養殖場「松田真珠養殖のオーナー、松田さんとの出会いだった。

なぜ、大地さんは東彼杵の真珠の歴史に手繰り寄せられ、松田さんと出会ったのだろうか。そこに通じる、彼女がこれまで歩んできた物語を辿っていこう。

濃厚な自然のなかで

大地さんは熊本県熊本市出身。1歳まで、熊本県の上益城郡旧矢部町(現:山都町)で育つ。無数の滝が轟く豊かな九州山地で、美しい自然に囲まれた町だ。

ここには日本最古の神社といわれる「弊立(へいたて)神宮」があり、数々の神話が眠っている。長年故郷を離れ、つい2年前に滞在したときは、あまりの美しさに「幼少期はこんな場所にいたのか」と驚いたという。

両親の家はどちらとも大きな農家だったので生活のすべてが自然のなかにあった。

彼女にとっての原風景は、れんげ畑とひばりの鳴き声、つばめたちの姿。祖父は牛を飼っていたのでよく遊んでいた。白川の清らかな水は畑のすみずみまで行き渡り、畦道などで裸になって遊んでいた。保育園を出てからは、父親が教師を務めていた学校に徒歩で通っていた。4歳だった少女が初めてあるいたその通学路は、いつの日でも大冒険に溢れていた。

海も小さい頃から大好きで、父親のスパルタ教育のおかげでカッパのようにスイスイ泳ぐのが得意だった。夏休みは必ず海に行く。水が、たまらなく大好き。学校に「登校日分、休みにして!」と懇願するほど、夏休みが大好きだった。

中学、高校は数々の悪さをしでかし伝説に。三人姉妹の長女である大地さんの妹たちは、「あの大地の妹か!」と周りからリアクションされることもしばしばだったという。

当の本人は、「三つ子の魂百までですもんね。」と笑い飛ばし、

「森さん(取材・編集担当)と同じです」とニヤリ。きっと、この無邪気な笑顔は少女の頃から変わっていない。

——ちなみに、一番の伝説はなんですか。

思わずこちらもニヤッとして尋ねてしまった。

大地「10代、20代…色々ありますけど。会社辞めます、ってなったときのこととか。30代頭でH.P.F辞めたとき」

とにかく、好きなことしか勉強しなかった。厳格な家庭が息苦しく、できるだけ家に居たくなかった。世界から取り残されたような気がして、恐怖を感じた。

大学進学と同時に東京に飛び出し、フランス好きが高じてホームステイでパリに住んだ。大学3年のとき、みずから発見して飛び込んだH.P.Fで、今の大地さんが型作られていく。

H.P.F

フランス人の上司、フランソワーズ・セーグル・キャロル氏に師事しバイヤーのアシスタントとして勤務。あまりのスパルタぶりに、あれほど大好きだったパリが嫌いになってしまったことも。

会社の拠点がNYに移り、そこでの勤務を命じられたが断った。2003年~2007年夏まで、銀座にあった5階だての古いビルをリノベーションし、立ち上げ、プロデューサー兼バイヤーとして携わった。

大地「まだ今みたいにブランド街になってないときかな。お茶屋さんとか着物屋とか、老舗の旦那さんみんな粋な方ばかりで。同じ町内の集まりで、私だけ一番若造だったんだけど、会長さん(着物屋の旦那さん)がとても良い人で。次の世代と一緒にやっていかなきゃ、って、話もよく聞いてくれたり。良い時代の銀座だったなぁって思います。」

「火が灯ったチョコレート事件」と、決意と

当時最先端だった銀座のギャラリー。アートの力で、より多くの集客をと、さまざまなアーティストらと協力してあるイベントを企画した。

大地「心の中に火を灯そう、というコンセプトで。火の灯ったチョコレートを食べるパフォーマンスアートを行ったんですが…」

企画は大成功。しかしトラブルもあり、ちょっとした波も起きたという。大地さんの心にも波紋が広がった。

ふと、節目が見えた。このままここに居ても良いのだろうか。

ある日、大地さんは社長に尋ねた。
「夢はなんですか?」

すると、社長は答えた。
「会社をどう維持していくかだけだ。」

多くのオーディエンスたちの心に火を灯したイベントの映像を記録したDVDを社長に手渡し、13年勤めたH.P.Fを大地さんは去った。

大地「色々大変でしたが、結果やりたいことをさせて頂きました。このちょっとした事件は今ももしかしたら、語られているかもしれませんね。」

と彼女は苦笑する。

大地「会社には、本当にお世話になりました。良い時代に、色々やらせてもらえたなぁって。仕入れや販売、接客を通してたくさん学べました。特に、(フランス人の上司)フランソワーズに鍛えられた2年間は。それがあっての私でしょうね。仕事の面では、たぶん。」

H.P.Fを離れたあとは、建築家・黒川雅之氏が主宰するK&Kにて、自身が立ち上げたアートジュエリーブランドの活動、黒川氏がそのとき新しく始めた、Kの仕事、秘書的なことなどを行っていた。建築家・黒川雅之氏の兄は、同じく建築家で長崎県美術館など長崎の建築物も手掛けた黒川紀章氏だ。紀章氏にはH.P.Fに在籍していた頃から色々レクチャーなどに参加し、そこから学ぶことがとても多かったと話す。

「黒川さんからも言われたけど、アーティスト気質なんだと思う。アレンジしたり、気持ちが動かなかったら何も動かない。」

後述するが、その経験は、大地さんの美の感覚を大いに影響を及ぼした。世界のアーティストに参加してもらうコンセプト型アート・ジュエリーの展覧会やプロデュースを手掛けていくなか、大地さんの心に灯っていた火は徐々に大きくなっていった。

“美を通じて心が動く瞬間を生み出し、様々な人々に伝えたい。”

2015年、アートやアートジュエリー、デザインの分野を横断し新しい側面を開拓するため、東洋、西洋の文化を融合し、ユニークな美意識を通して次なる世界を作り出す『C&(チーアンド)』を設立。

彼女は大きく一歩を踏み出した。

濃厚な自然のなかへ

2016年の夏、大地さんは初めて東彼杵を訪れた。

きっかけは当時実施していたプロジェクト『Sweets Hirado』。

まず感じたのは、かつて幼少期を過ごした故郷とも違う“濃厚な香り”だったという。

大地「こんなに海と山が近いんだと思った。すごく香りが濃いなって感じたんです。どんな場所かなと調べていくうちに、真珠のワードが出てきました。」

大好きな夏の記憶のなかでも、この年は特別に濃厚なときを過ごすことになる。

独自の調査を経て、冒頭で述べた大村湾の真珠の歴史に辿り着いた。大村湾の海が、東彼杵の土地が、こんなにも豊かで恵まれたものだったとはと驚いた。

この土地のことをもっと知りたい。地元の人でさえ知らない、まさに知られざる歴史を。しかし、文献だけでは足りない。どうすれば。

そこで、東彼杵町役場のまちづくり課に勤務する中山氏と、われわれSorrisorisoくじらの髭)が繋がることに。大地さんは東彼杵で一軒のみとなった、千綿の里郷・串島の鼻半島にある「松田真珠養殖」へと導かれた。

その後彼女は、自身の価値観を揺さぶられる数多くの出来事に遭遇する。本来、着色や脱色などの加工を経てジュエリーとして出回る真珠だが、松田さんの手によって母貝から取り出されたそれは、加工をいっさい施していないにも関わらず、息をのむほどに美しかった。

大村湾の海の色がそのまま反映されたかのような色、いびつだけれど生命の躍動を感じる形。

「いい真珠ができますように。」

母貝に真珠のもととなる核を入れ込む際に松田さんが必ず添える言葉だ。この言葉と愛情ともに、4、5年かけてあこや貝は大きくなる。太古の昔から変わらない、自然の美しさ。自然から命をもらってものを作る。収穫時には、海の環境次第では多くの貝が死んでしまうというとても厳しい世界。

ふと、気がついた。起点は母なる海だ。

これには、大地さんが手掛けているもうひとつのプロジェクト、沖縄の与那国島に伝わる織物の魅力を発信する『midiru midiru(ミディルミディル)』との共通点があった。

“糸を績み、染め、織り上がる布。
想いを重ね 、祈り、 静かな形となり現れる。
愛する何かを想いながら生まれる、
それは物言わぬ 静かな想いの布なのだ。
———C&(チーアンド)サイトより引用”

大地さんは、母なる海で作られる真珠に、ものづくりの原点を感じたという。

何かものを作り出す根源は、愛する人や愛することを想う、願いや思い。

真珠づくりは、海という自然と、愛情を込めて作る人とのマリアージュ。その心の部分を伝えていきたい。

東京から東彼杵まで毎月通った。母貝が命と引き換えに真珠を生み出し、それを松田さんや家族らが慈しみの手で取り出すその様子を見守った。身をもって、大村湾の真珠の歴史を心身に刻み込んだ。

この形容しがたい、複雑だけれど純粋な美しさ。真珠には、生と死の美しさがあると大地さんは感じた。

真珠の輝きは、生と死の美しさ

——大地さんのおっしゃっていた「真珠の美しさは、生と死の美しさ」という言葉がとても印象深いんです。

彼女はたびたび、「生と死」について話す。その背景には、かつて師事していた二人の人生が浮かび上がってくる。H.P.F時代に師事していたフランス人のボス、フランソワーズ氏と、建築家の黒川紀章氏だ。

フランソワーズ氏は60歳という早さでこの世を去った。黒川紀章氏も73歳で死去した。二人とも、現在の大地さんを形作った大きな要素の1つだ。

—黒川紀章さんといえば、長崎歴史文化博物館など長崎県でもゆかりのある人物ですね。彼について、エピソードをお聞かせください。

大地「紀章さんは、建築で日本を良い方向に持っていこう、やってやろうという気概がすごかった。あの時代の方々は、戦争で自分たちの大事なものを失くして、自分の魂のありかと対峙している。本当に、敵わないと思いますよ。建築を通して真っ向から、人の在り方、地球の在り方、日本を立て直そうとしている人でした。」

思い出せば、きりがない。大地さんの言葉や表情からは、黒川氏への尊敬の念と愛情が次から次へとあふれ出してくる。

黒川氏が設計し、2007年に開館した国立新美術館のレセプションでのワンシーンも印象深い。

大地「道がまっすぐで先が見える人生なんて、何が楽しいの?と励まされたこともありました。」

余談だが、この直後に先述した「火の灯ったチョコレート事件」が勃発する。大地さんは、黒川氏が病に倒れたときのことを振り返る。

大地「(国立新美術館の)オープニングパーティーでは、無邪気に写真を撮ったり踊ったり。そんな元気なお姿を見たのが3月。それから病に倒れ亡くなったのが10月。誰にも弱さを見せない、武士のような人でした。」

黒川氏が妻の若尾文子氏をとても愛していたのは有名な話だ。病室での最後、二人は以下のような会話をしたと記録されている。

“『私、あまりいい奥さんじゃなかった』

『そんなこと(ない)。本当に好きだったんだから』”

大地「若尾文子さんのことはとても愛されていて、『設計した建築を頭の中に思い浮かべる時、僕はそこを妻と歩くんだ』と。お亡くなりになって8周年の節目にようやく奥様とお話しできて、そのことをお伝えしたんです。ああ、なんだかお役目を果たすことができたんだ、と思いました。」

と、大地さんは涙ぐむ。

——フランソワーズ氏や黒川氏との出会いが、大地さんの表現に表れている気がしますね。

大地「周りの大切な人が次々と亡くなってしまって、自然に助けられて私は生きているんだなぁって、感じるんですよ。それと同時に、そんな環境によってならざるを得ない方向に引っ張られていくような感覚も。早くしろ、と言われているような。」

大切な故人について話すときの大地さんと、思い出の中の故人の姿はどちらも優しい輝きを放っていた。

それはとても、真珠が生まれるようすに似ていた。

身を削り、駆け回った2019年

“大村湾で1300年続いた真珠の歴史を絶やしたくない。”

その想いを掲げ、大地さんを中心に地元有志で動きが強まった。2017〜2018年に3回農工商連携に応募したものの、あと一歩及ばずの状態が続く。なかなか形にできず、周りが悶々とするなか、2019年、大地さんが長崎中を駆け回り、日蘭協会などをバックスポンサーにつけた。

東彼杵、大村の松原、オランダ村の3箇所で、展示やトークイベント、音楽会などを開催することが実現したのである。

主宰でありながら、時折、身体を張って会場づくりなどに勤しむ大地さん。

イベントは成功、多くの反響を呼んだ。

なかでも、「音琴ーNegotoー」の奥にある事代主神社前で行われたリュート演奏会はとても手応えの感じるものだったという。音琴の浦地区にもある弁財天が持つ楽器に似たリュートの美しい調べと、大地さんによる音琴につたわる”天女の琴の音”のお話の朗読に観客たちは聴き入っていた。

大地「ほんとうに、身を削りましたから。続けていきたいけど、自分たちのお金だけでは限界がある。」

大地さんは、つらい本音を漏らす。

真珠の歴史を通して土地の魅力を再発見

——大地さんは、東彼杵に来て背景を探ってくれましたよね。「音琴ーNegotoー」の奥にある弁財天さんとか。観点がすごいなと。僕ら地元民でも知らないような。

大地「本当に、東彼杵は良いところ。地域一丸で、そのぎ茶とか、特産品にも力入れてますよね。山と海に囲まれたすごく豊かなところ。水も美味しいし。音琴のように美しい地名、風景、神話なども存在しています。」

まだまだこの土地に魅力や歴史は眠っていると話す大地さん。

大地「でも・・。川棚の石木ダムの件にも現れているように、“豊かさ”の観点が50年でズレたかなと。故郷を離れていく人も出てきましたよね。まだ期間は短いから、間に合うと思うけど。」

山からのいのちが海に降りてきて真珠を育む。万が一があれば大村湾の環境にも大きなダメージを与えてしまうだろうと懸念する。

大地「コロナ禍になって、人間も大変だけれど、地球は『一回休みたい』と言っていますよきっと。地球と一緒にお仕事することがまだまだ残ってますから。」

ホントに、実は私もイロイロ大変なんですよぉ・・と苦笑いしつつ、

大地「東彼杵は魅力がいっぱい。恵まれている地域だと思います。もっと発信していきたいですね。」

と微笑んだ。

真珠の物語を絶やさないために

年々減少していく真珠養殖。東彼杵でただ一軒のみとなった松田真珠養殖でも、後継者の確保へと動いているようだ。

大地「松田さんの、真珠を作る技術や知識、勘は本当にすごい。大切な宝物をこれからも繋げていってほしい。」

大地さんが主宰する『C&(チーアンド)』では、あこや真珠を軸にさまざまなプロジェクトを考案中だ。

大地「平戸のお菓子(Sweets Hirado)もまたやりたい。オランダ関係のアーティストもいるから、今度は真珠のお菓子を作ったり。沖縄の織物のプロジェクト(midiru midiru)で、真珠と織物と組んだ作品というのも素敵。」

大地さんは東京在住だが、大村湾の真珠にまつわるイベントを開催した。

大地「人の心は変えられない。けど、人の心が少しでも動くきっかけを作ることができたらと思う。」

大地「私、去年から来年にかけての1〜2年は、一番人生の変わるタイミングだと思っています。やるしかないなって。」

大地さんはこれからも、あこや真珠、海を通して、人と自然とが作り上げる美をアートや物語として発信を続けていく。

写真:川崎 順平 / 森 一峻
記事:山本 千尋
取材:森 一峻

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