平成28年の農林水産統計によると、長崎県は収穫量・出荷量共に日本一というびわの産地であるという。「量で言えば、『茂木びわ』や『三和びわ』といった地域がダントツ。なので、私たちは”キロ単価で日本一”を常に意識しています」。そう語るのは、東彼杵町で柑橘類やびわを育てる果物農家の明時幸治(みょうじ・こうじ)さん。県の副部会長、県央地区の部会長をそれぞれ務めるプロフェッショナルだ。
物心ついた時から果物に触れ、農家になるべく研鑽を積んできた
1981年生まれ、長崎県東彼杵町出身。みかんやポンカンなどの柑橘系、そして日本一の品質と量を誇るびわといった果物農家の長男として育ってきた。
明時「祖父の頃から始めたので、自分で3代目。もともと、みかんや野菜の栽培から始まり、約30年前からびわのハウス栽培を行っています。3人兄弟の末っ子で、長男。そのため、物心ついた時から家業を継ぐつもりでいて、高校生ぐらいから徐々に手伝うようになりました」
高校は諫早農業高校へ、そして、卒業後は大分県にある大分短期大学へと進学した。大学では生物工学を学び、バイオテクノロジーの研究を行ってきた。20歳の時に地元に戻ってきて20年。今までの知識を活かし、この地で働いてきた。
明時「最初は、仕事の手順など覚えることが大変でした。今は、気候変動による台風被害の後片付けなど、別の意味で大変なことが出てきてます。この4、5年は大型台風の影響が必ずあり、昔やっていた頃と全然違います。そのため、最近は台風に備えて梅雨明けの時期にビニールを剥ぎ、台風シーズンが過ぎた11月ごろにまた張り直すように変更しました。そのままだと、骨組みまで持っていかれるので」
昨今では、夏場になるとビニールハウス農家が台風被害を受けるニュースを耳にすることが多くなった。他にも、未曾有の大雨や最高気温の更新といった地球温暖化による影響も計り知れない。我が子のように育てた作物を、外的要因から守る。そのために、時代に応じた対策は敏感に、フレキシブルに取り入れる。
明時「花のつく時期に長雨に当てないことが重要です。そのため、梅雨時季はビニールを張って対策するんですが、その後は夏の日差しによるハウス内の気温上昇を防ぐべくビニールを剥ぎます。びわにとっての被害のひとつが高温障害。ハウスの中を25度以内に収める必要があるんですが、春先の天気の良い日でも30度以上になることもあります。また、乾燥もびわの裂果に繋がるので、ハウスの横と上を開けて調整し、対応しています。そうしないと、小さいまま完熟したり、そばかすような日焼けをしたり。日焼けしても味は変わらないんですが、見た目が悪くなってしまうので」
桃、栗同じくびわ3年。
手間暇かけて育て上げる
びわは、みかんなどの柑橘系の果物よりも手がかかるといわれる。びわの木は、定植して3年は木を育てるためだけに時間を費やす。そのため、出荷することもできず、大きな木にするために根気よく育てる必要がある。
明時「2、3年苗というのを買って育て、4〜5年目からようやく取れるようになります。定期的に移植する必要があるんですが、それが重労働で大変な作業です。また、ハウスの中は繊細なので、雨による冠水被害に気をつけたり、肥料による薬害もあるため土壌分析をしつつ必要な時に必要な分だけ与えます。そういった努力を欠かさなければ、30年は取り続けられます」
弛まぬ努力があってこそ、びわはようやく美味しい実をつけるのだ。綺麗な実が成っているのを見た時、それは輝く結晶や宝石のように見えるに違いない。
果物農家のやりがいを次世代に。
挑戦し続けることで、繋げていく
これまで主にびわの紹介をしてきたが、明時さんは柑橘系の農家として代々に渡ってみかん栽培を行ってきた。現在、育てているみかんは5〜6品種。ザボン、スイートスプリング、ポンカン、伊予柑、甘夏、レモン、しらぬい。販売しているのはみかんと、不知火。他は、個人客用に。
東彼杵のみかん栽培は戦後から始まった。急激にみかん農家が増えたが、継ぐ頃にはみかん農家が半分まで減ったという。
明時「現在の半分の値段まで単価が下落したのが原因ですね。体を壊してしまったというのであればしょうがないですが、単価が上がらないから割りに合わなくてやめてしまうというのは、とても惜しいです。それまでやってきた農地を更地にするか、誰か他にやってくれる人がいれば売るという結末です」
そんななかで、柑橘系やびわといった果物農家としてやり続けることが大事だという。そのために、今後も挑戦は続いていく。
明時「もともと、個人売りもやっていたというのも大きいですが、”ちゃんとしたもの”を作っていさえすれば、そこそこ売れていくと思っています。現在は、インターネットを介して直販することも多くなって交流も増え、そこで直接食べた人から声を聞くとやりがいがあります。7割は固定のお客さんで、残りは毎年新規のお客さんが入れ替わる。安定したお客さんがついてもらえるような体制を維持しながら、半分は農協に出して。農協は個人がダメだった時のセーフティな意味もありますが、産地として名を上げていくべきだし、部会も大事にする必要がありますから。そのバランスで、農業を続けていくのが理想です」
東彼杵の果物農家であることに誇りを持つ。果物農家としてあり続け、背中を見せていく。そうすれば、次世代へと継がっていくという思いもある。
明時「その時の状況次第ではありますが、子どもがやりたいと思えるような環境づくりをしたい。現在3人子どもがいて、手伝いをするといっても作業というよりまだ遊びなんですが(笑)。でも、これだけ生活ができるよということを実生活を通して見せてあげれば、今後の選択肢になっていくのかなと思います。また、地元だからというのもありますが、自分は東彼杵町が好きですね。過ごしやすいし、作物も育てやすく、農業推進の町なので。ただ、地方というのもあって作物に対するブランディングが上手ではない。JAと一緒になってブランディングしていくのが今後の課題だと思っています。大きい組織なので、なかなか動きが鈍いですが(笑)。そして、みかん農家は高齢化が激しく、なかなか動きにくい部分ではあります。自分より年下が一人しかいないので。なので、後継者を育てることが必要ですね」
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