子どもに伝えたいのは「人助けの大切さ」。車を、家族を、地域を愛する『ハイウェイオートボデー』中原康尊さん、裕子さん

写真

取材

編集

ハイウェイオートボデー

生まれ持ってのリーダー気質で、困った人を見たら助けずにはいられない。

彼杵宿郷にある自動車鈑金塗装会社『ハイウェイオートボデー』の新社長、中原 康尊(やすたか)さんは、この言葉の体現者です。30年を迎える家業を継承しながら、これまで商工会青年部の部長や地域活性のための取り組みなどにも積極的に取り組んできました。

そんな康尊さんを支えるのが妻の裕子さん。子育てをしながら保育士、そして現在はハイウェイオートボデーの経理を担当しています。

今回は康尊さんの生い立ちを振り返りながら、車への情熱や二人が子育てするうえで大切にしていることなどについて伺いました。

長渕剛が大好きな野球少年時代。リーダーの気質も

橋の詰地区で生を受けた中原 康尊さん。小学校の頃から野球と長渕剛が大好きだったそうです。

中原(康)「小学校の時から思い出は野球ばっかり。あと、小学校の頃に長渕剛に憧れて、ギターしよる人のいらんクラシックギターもらって練習して。小学6年生の時に初めてギター買ってもらったと思う。そのギターまだあるからね」

その頃からもう一つ、変わらないことがあります。それが生まれ持ったリーダー気質。小学校で児童会長、中学で生徒会長を歴任しました。

中原(康)「みんなの前で面白いことするの好きやった。自習のときとか、先生のマネして進めるの好きやったね。あと、毎月みんなの前で挨拶してた。文章考えて覚えて喋ると。ちっちゃな台に乗ってみかん箱なっとるやつ(笑) 生徒会をしてたメンバーは今でも大好きやね」

学び始めた経営のこと、お客様のこと、板金のこと。

そんな康尊少年が中学卒業後の進路として選んだのは、長崎県立佐世保東商業高等学校(現在の佐世保東翔高等学校)。実は当初は工業系の学校に行きたかったそうですが、あえて商業高校への道を選びます。

中原(康)「色々親の話聞きよったら『自営業するなら数字ば覚えておかんば』ってなって。『それから車の勉強ばするなら遅くはなか』って言われて商業高校に行ったの」

自営業とは家業、つまりハイウェイオートボデーのこと。このころからすでに家業を継いで板金の仕事をしていこうという決意を持っていたんですね。

中原(康)「高校の夏休みとか、ここ(ハイウェイオートボデー)でできる範囲の洗車とか手伝いしとって。この頃から板金がおもしろいなって」

一方で、好きだった野球も諦めませんでした。高校時代はキャプテンに就任。チームをまとめ上げました。

中原(康)「高校には数字を覚えるために行ったけど、7〜8割は野球するために行っとったけんね。野球好きやったけん。(周りと)熱量は違った」

こうして高校を卒業した中原青年は本格的に車のことを勉強するため、その後一旦東彼杵を離れ、久留米工業大学技術専門学校に入学。当時を振り返って「楽しかったもんね、車のことを勉強するのは」という言葉は、康尊さんの、車への愛そのものかもしれません。

ディーラーから板金の道へ。垣間見える父との共通点

専門学校を卒業した康尊さんは、再び東彼杵に戻り、まずディーラーで働き始めます。

中原(康)「楽しかったよ。いろんなお客様と出会えて、仕事の基礎ば教えてもらったかなと思う。いかんやったら今の仕事の内容もまた違ったとかなと思うしね。お客様や車に向き合う姿勢が。ここが一番勉強になったと思う」

その後、23歳でハイウェイオートボデーへ。創業者であり、板金を独学で学んできた父の背中を見ながら、時には衝突しながら、板金について勉強するように。

保育士をしていた裕子さんと出会ったのはちょうどその頃。2008年に結婚し、6年前には裕子さん保育士をやめた今は、ハイウェイオートボデーで康尊さんを支えています。

そんな康尊さんと父親の和人さんは、「リーダー気質」という共通点があるそうで。

中原(裕)「お父さんもPTAしてたっていうもんね。嫌ではなかったって。自分のところはそういうのがなかったけん、逆に新鮮。結婚してそれが見えてすごいなと。同じ血が流れてるなと思います。やっくん(康尊さん)を通して色んな人がおるねって、すごく勉強になる

欠かせなかった兄貴分の存在

康尊さんに大きな影響を与えた人がもうひとりいらっしゃいます。創業期を支えた粒﨑 道明さんです。

康尊さんが若い頃リーゼントだったのは、粒﨑さんの影響があったそう。まるで兄弟のように並ぶ当時の写真は、今も事務所に飾られています。

そんな仲の良い二人でも、全く話さなくなった時期があったそう。ただ、事業継承の話をした2022年の正月以降は再び仲の良い姿が見られるようになったといいます。

中原(裕)「やっと素の中原康尊さんに戻ったって」

康尊さんの今日の姿は、周りの「かっこいい大人」たちの姿そのものなのかもしれません。

背中で語る「人助けの大切さ」

そんな中原家の子育ての基本は「困った人がいたら助けること」だといいます。母の妙子さんも、康尊さんは和人さんを「(よく)見てる」と一言。

中原(妙)「何でも似とらすね。話し方から」

中原(和)「近所の人に『康尊くんは迷子になっても誰の子かすぐわかる』って言われた 笑」

中原(妙)「和人ちゃんの子ってね 笑」

康尊さんの母・妙子さん

さらに、頼まれごとは断れないこと、口で直接伝えるのではなく背中で語るところも似ているそう。

中原(妙)「人から頼まれたらね、いやといえないの。自分で何とかせんばと熱中するもんね」

一方で、そのつながりが康尊さんを守ってくれているとも語ります。

中原(妙)「それがつながりになって、自分がなんかするときにはみんなが守ってくれるっちゃなかかなって思う」

目の前で困っている人がいたら放っておけない康尊さん。2016年の熊本地震の際もボランティアで現地に足を運んだそうです。

中原(康)「未だに(熊本の方から)LINEくるけんね。あのときはありがとうって」

中原(裕)「あのとき私は子どもを妊娠しとって、正直ちょっと行かせることを不安に思っとったけど、キラキラした目で帰ってきて。写真ば見せられて『ああ、行かせてよかった』って思った。『なんで行くと?』と思った自分がすごく小さく見えたんよね」

熊本では地震を経験した子どもたちのために、演劇も行ったそう。

中原(康)「子どもたちめちゃめちゃ喜んでたもんね」

中原(裕)「やっくんにしかできんやったもんね。それを子どもたちに伝えんばって思ったのも覚えてます」

『子どもは親の背中を見て育つ』という中原康尊さん、裕子さんご夫婦。その姿は子どもたちだけでなく、周りの方々にもつながっています。

ご夫婦が経営する「みせ」の記事につきましては、以下をご覧ください。