東彼杵町からはじまった、こども110番のみせ・いえとは?

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  • 福田万作

    福田万作

東彼杵町のこども110番のみせ・いえとは!?この取り組みを再起させた彼杵小学校元PTA会⻑、中原康尊さんを取材しました。
近年の子供を見守る状況

全国で子供が登下校中に犯罪被害に遭うケースがみられます。被害の多くは、子供だけで行動しているときや、人の目が少ない状況で発生しています。こうした犯罪被害や事故を減らすためには、地域全体で登下校中の子供たちの見守り活動をすることが欠かせません。

一方で、見守り活動を含めた防犯ボランティア活動者数は近年減少しており、今、皆さんの協力が求められています。しかし、生活環境や生活スタイルも、そして世の情勢も変化したりとめまぐるしく社会も変化している中、日々、私たち親世代も地域コミュニティに尽力できていないことも痛感しているところです。

きっかけは、川崎市の通り魔事件

そんな中、今回は、そういったことを踏まえ、地域や住民、地域団体やお店を運営している皆さんに協力していただき地域一体となった見守り活動をできないかと彼杵小学校の元PTA会長、中原康尊さんが企画されました。中原元会長は昨年まで、東彼商工会青年部(東彼3町)の部長を務められ、自身の経験からPTAとしてできることはないかと数年前から模索されていました。そのきっかけは、2019年の川崎市で発生した、通り魔事件。そのニュースを見た次の日の朝、中原さんがお子さんを見送る際によぎった不安こそが、この企画を行動に移そうと思われたきっかけとなったそうです。そこで以前から実施されていた、「110番のいえ」を「みせ」でも実施してもらえないかと思い立ち、彼杵小学校の山口校長の助言のもと、川棚警察署へ中原会長が行動をうつします。

中原:「バス停で待っていた小学生が通り魔に切りつけられ、6年生の子が亡くなったのをニュース速報で見ました。その次の日、いつも通り子供を見送っていた時に、この子たちがもしあんな目に遭ったら嫌だなと思いました。自分の子供が通うのであったら、それなりに携わらなければと思って毎日行くようになりました。そうするうちに110番の家のステッカーが店に貼ってあるのが目に留まったんです。」

長崎県初のこども110番のいえは東彼杵町から

そんな出来事がきっかけとなり川棚警察署へ向った中原会長。「こども110番のいえ」は平成9年に長崎県内初で東彼杵町から始まり、教育委員会や、各小学校で実施していたことが判明します。現在は、なかなか管理が難しく以前の状況とは変わっていることに気づきました。110番のいえとして以前、登録されていた家が空き家になっていたり、リストも当時の状況とはまったく異なる状況でした。そこで中原会長が考えたのは「いえ」だけでなく「みせ」に登録してもらえたらということを思いつきます。

中原:「何とか110番の家を増やせないかと色々とやり方を考えました。軒数を増やすために区長や総代にお願いしたり、民家にお願いして回ったりするのには結構なパワーが必要です。それだったら私自身、自営業で商工会青年部長でもあったし、お店に商工会を通じてお願いすれば、早く取り組めるし、協力してくれる店も結構あるのではないかと思いました。商工会ってまちづくりとかの活動に携わっている人が多いので、話したら分かってくれる人が多いと思ったんです。お店ってやっぱり子供たちが寄ったりする所にありますし、毎日通る所にあったりしますよね。店には知り合いもいるだろうし、お父さんお母さんと一緒に行ったことがあるお店だったりして、何かあったときに入りやすいというメリットもあると思ったんです」

式典での中原元会長の挨拶の様子
東彼杵町の変化を感じた瞬間

登録のお願いに地域をまわった中原会長。地域の変化にも気づいていったそうです。

中原:「だんだん高齢化していることを感じましたね。先日、橋ノ詰地区に行った時の話です。110番のお店の協力依頼の申込書を持って行けないから、取りに来てくれないかと連絡がありました。その方は85歳の男性で、110番の家の立ち上げ当時からずっと加入されているそうで、守ってあげたい気持ちはあるが何かあっても守りきれないし、辞めたいと思っているけどどこに言えばいいのか分からない。そうおっしゃった男性は、以前、私の出身地域で主催した音琴地区の琴の音フェスティバルにずっと協賛をしてくれていた人だったんですよね」 色々と見えてきた中原会長。高齢化がすすんでいて110番の家を掲げていても人がいなかったり、空き家になっていたり、お子さんが町を出てしまい世代交代できない家や、核家族化がすすみ子供の登下校時に家に誰もいないというところが多いことがわかりました。110番の家を頼んでも断られるパターンがほとんどではないか。だから「いえ」ではなく「みせ」にも頼む方がよいと思った中原会長。「みせ」なら営業時間中に対応できるし、家には入りづらいけど、店には入りやすい。そう思い110番の「みせ」への登録のお願いへと至ったのです。」

写真:中原さんの母校、音琴小学校(琴の音フェスティバルにて)

中原:「商店の減少や空き家の話など、過疎化していくと色んな問題があります。子供たちを見守れないまちになってしまうのではないか。でも東彼杵町だからこういう活動(110番の店・家の依頼)ができると思います。他地域とかでは絶対にできないと思います。東彼杵町は人口が少ないということもありますが、もともと地域に密着している店が多いですし、理解者も多いです。そういうのを商工会青年部で学ばせてもらったと思っています」

地域のこれからのコミュニティーとして

冒頭にも地域のコミュニティーは変化してきています。そんなかなに、これからのPTAや地域のコミュニティーのあり方がどのようにあったらいいのか、中原元PTA会長にお聞きしました。

中原:「昔って、自分たちが何か悪さをすれば怒られたり、大変なめにあった時は助けてもらったり、小学校の頃って地域の人と繋がっていたイメージがありました。そういうことが無くなると逆に危ない感じもします。今は、地域の人とか、じいちゃん・ばあちゃんが運動がてらといいながら、毎日雨の日でも風の日でも雪の日でも、登下校の子供たちに一緒についてきていただいていることに、もっと自分たちも感謝しないといけないと思います。昔は今と違ってそんなに事件とかもありませんでしたし、地域の人が自分たちのことを見守ってくれていたのかもしれないけど、今は車も増えたり、通学路が歩道じゃなかったり危ない場所も結構ある。時代が変わったのだろうけどね。町内の学校はコミュニティスクールの実践校になっています。もしも東彼杵町のお店が全部110番の店になったら、地域と学校を繋げられると思いました。せっかくコミュニティスクールでやっているのに地域との温度差があっては… 地域の人たちが頑張っているのだからPTAも、もっと子供たちに携わりましょうよと励みにもなります。会長をしていて今思うことは、他人事ではなく、自分事にしてほしいと思います。」

挨拶が地域の安全を育む

インターネットが普及し昔に比べて色んな情報が手に入るようになりました。私たちの時代と違って、今の十代の子供たちはいつでも情報を取れる反面、情報の良し悪しは判断できないこともあるかもしれませんし、やけに知識はあるけれど、情報の背景や本質を捉えきれず表面だけを感じとってしまい心が不安定になっている若者も増えたような気がします。結果的に人を疑うような精神状態になっているような。。。そんな世の中に中原元会長にとって必要だと思うものは何でしょうか?

中原:「何かのデータで、こどもが挨拶をしない=何か身に危険があってもこどもが助けを求められないというのを見ました。確かに普段挨拶をしない子が知らない大人や家に助けてくださいと言えるだろかと思いました。親もそういうことをきちんと教えないといけませんが、親が出来ていないことも多い世の中になりました。挨拶できない子供が大人になり、その子もまた挨拶できない子になってしまう。人と関わらない大人になってしまうのが心配です。自分の子供とかには絶対に挨拶するように言っています。育ちって結局、親の影響じゃないかと思います。蛙の子は蛙とも言いますが、心を育てることが大切だと思います。昔と比べると、そういった関わりや場面が減っています。そういう意味でも地域との関わり合いや場面を作ることが必要だと思います」

地域への恩返しと恩送り

31年前、1990年代、音琴小学校に通った中原会長。クラス数はもちろん1クラス。生徒は80人くらいだったそうです。その時の担任の先生が現在の彼杵小学校の山口校長先生。PTA会長をしようと思ったのは、中原元会長のお父さんが小学生だった頃、PTA会長をしていた姿を見た影響もありますが、山口校長が最後の年だったということもあるそうです。

彼杵小学校の山口校長先生と中原元PTA会長

中原:「当時の音琴小学校の運動会は地域行事みたいでした。子供がいなくても参加する、町民運動会みたいになっていたんでしょうね。自分も社会人になってリレーに2回出ました。玉入れとか宝釣りとか地域のお年寄りの行事があって、今はそういう地域行事が減ってきています。特にコロナで尚更つながりが無くなっています。そういう時だからこそ、今できることをやりたいと思い、こういう活動(110番の店・家の依頼)を行いました。活動が制限されるのであれば、子どもたちの為に何かできることを皆でしませんかと理事会で話をしました。それと何より、山口校長と一緒にできるのはこのタイミングしかないと思いました。最後の離任式のタイミングに教え子がPTA会長って、こんなチャンスは滅多にないですからね」 そんな、中原会長の眼差しから、東彼杵町で育った感謝の意と恩師への感謝が込められた活動への意気込みを教えていただきました。

●現在の登録店舗の状況は?

中原:「130店舗ほどです。」

今後の実施予定はどのようになってますか?

中原:「ステッカーとのぼりは完成していますので、1月頃、配布予定です。道の駅などで、セレモニーをしようかとも思っています。今後は町Pで管理する予定で、警察署と教育委員会へリストを共有したいと思っています。また参加してくださる店舗のご紹介も何らかのかたちで随時していきたいと思っています」

いつも、有言実行。取材後、小学生の皆さんと川棚警察署、関係者各位の皆様とご一緒に、セレモニーを道の駅そのぎ荘で開催されました。この姿勢にいつも励まされ、背中をいつも押してもらっていて次なる課題へまた取り組んでみようと思えるのはこれだけの想いを持った先輩だからこそなのです。

中原元PTA会長が経営する「ひと」「みせ」の記事につきましては、以下をご覧ください。