子育ても仕事も「やるだけやった」と誇れるように。『上田皮ふ科』看護師・山下さん

取材

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大村市の『上田皮ふ科』は「この町を笑顔とありがとうでいっぱいに。」をテーマに、患者さんが来院するのがワクワクと楽しみになるような、笑顔と感謝があふれる医院づくりと地域医療への貢献を目指している皮膚科である。

2023年4月12日に社員研修の一環として、上田皮ふ科で看護師として働く山下さんに公開取材を実施。およそ1時間にわたり、山下さんの人生の出来事やこれからの展望、仕事の取り組み方などをじっくりと伺った。

ハイパーアクティブな青春

長崎市内に生まれ、放課後は学童で過ごしていた山下さん。あるとき学童にけん玉が導入され、その楽しさにのめり込んでいった。9歳の頃には「もしかめ」の記録を毎日のように更新し、県内大会で1位に輝く。その後も6年生までチャンピオンとして君臨し続けるほどの腕前となり、テレビでテクニックを披露することもあったという。

それからしばらくのブランクを経て、17歳で数年ぶりのもしかめ大会へ出場。なんと1時間27分という驚異の集中力とタイムを叩き出し、優勝を果たした。その後成人式で開けるタイムカプセルにもけん玉を入れるほど、山下さんにとってけん玉は人生になくてはならないものだった。

その一方で12歳の時に県内の学童ドッジボール大会で優勝、中学に上がってからは学校代表駅伝の選手になるなど大活躍。バスケット部にも入部し、中総体で部の歴史上初めての1回戦突破を成し遂げ、会場を大いに盛り上げた。

高校に入学後は新体操部へと入部。部活紹介で先輩方が披露した技が美しく「私もできるようになりたい」と感じたからだ。しかし進学した高校は新体操の強豪校であり、チームメイトは特待生ばかり。少しでも周りに追いつこうと努力に努力を重ね、補欠ではあったものの全国大会出場を果たした。

山下さん「新体操部に入って、メンタルが鍛えられたというのはかなりあります。社会に出て自立した時に、新体操で身に付けた忍耐力にかなり助けられました。人間『きつい』は耐えられるんですけど、『痛い』はすごく耐えるのが難しいんです。柔軟運動がとても痛くて、それで何回も辞めようって思ったんですけど。ただメンバーが少なくて、その中での自分の役割やチームで勝つ喜びがすごく大きかったので。ここで新体操をやったことが今の自分を作ってるなって思っています」

元々は体育教師を目指していた山下さんだが、友人を亡くしたことや看護師として働いていた母親の仕事ぶりを知り、看護師になりたいと強く思うようになった。

山下さん「患者さんからのお手紙だとか母が指導した看護師さんからのお手紙なんかを読ませてもらって。あんまり怒った事がないような優しいお母さんで、泣くところも見たことないんです。でも本当は熱い気持ちがあって、仕事に誇りをもって働いてるんだなっていうのを知って。それで私もそういう仕事に就きたいって思ったのが、看護師を目指したきっかけです」

高校卒業後は名古屋市の看護学校へ入学。寮に入り、別の仕事をしながら勉学に励んだ。怒涛の毎日ではあったが、寮の仲間たちとお互いを励まし合いながら大変さよりも楽しさに勝る日々を送り、20歳で准看護師を取得することができた。

子育てと仕事の両立

看護学校に通っていた頃に名古屋で夫と出会い、およそ2年後にふたりは結婚。夫の実家で暮らすこととなり、やがて長女、次女を出産した。そして同居している義母の手厚いサポートを得て、3年ぶりに某クリニックへ職場復帰。しかし山下さんはもっと看護師の経験を積みたいと、入院病棟のある病院に転職することとなった。

入院病棟での業務はおむつ替えや退院支援など、これまでの現場と全く違うことばかり。担当の患者を持つのも初めてだった。勉強を重ねる毎日を過ごしながら、プライベートでは27歳で家を建て、29歳で長男を出産。娘たちは出産に立ち会ってくれたそうだ。

長男出産後は3ヶ月で職場復帰。子育てや家事、仕事に追われ、その頃の記憶がほとんどないほどの忙しさだったという。

山下さん「保育園がお弁当を持って行かなきゃいけないところで、もう離乳食のお弁当を毎日持って行ったりとか。それと自分が布おむつにこだわっていたのもあって、もうその時の記憶が……どんな料理作ってたのかも全く覚えてないくらいで。それに休みを思うように取れず、子どもたちの行事に半年ほどいけない時期が続いて。これは私がやりたかった子育てとは違う!って思って、転職することにしました」

30歳で上田皮ふ科に転職。子育てに理解があり、とても働きやすい環境だと感じたからだ。そして32歳で新人看護師へのマンツーマン指導を行う立場となった。初めての指導に戸惑うこともあったが他の看護師スタッフが心強くサポートしてくれ、今も指導は続いている。

その後は院内の稼働率を上げるための環境づくりを行うチームのリーダーにも就任。上田皮ふ科のマラソン部や農業部といった活動にも参加している。

そして長女と次女は中学生に、長男は小学校へ入学。長男は1000回のリフティングに挑戦中だ(4月12日現在921回まで記録を更新中)。目標を達成できたら家族でディズニーランドに行こうと計画を立てている。

子育ての時間は今しかない

子どもたち3人を育てていくなかで「あの時もっとこうしてあげていれば」と後悔したくないとの思いから、お弁当作りや行事参加、習い事など、たとえ自分が疲れていても子どもたちに関わることには全力を注ぎたいという。また、子ども会の役員なども自ら引き受けて社会貢献をし、様々な人に出会うことで学びを深めたいと考えている。

仕事においては、患者・スタッフ・クリニックが“HAPPY”になり、感謝と笑顔にあふれる職場環境をつくっていきながら、子どもたちとの時間を大切に過ごせるようなワークライフバランスを目指している。

山下さん「どうしても仕事仕事になりがちなんですけど、子どもとの時間が少ない分、一緒にいられる時間を大事にしながら、仕事も手を抜かずに頑張りたいって気持ちがあって。それで、上田皮ふ科の看護師として働いていて、本当に素敵なスタッフばかりだなって。お互いにいつも声を掛け合って仕事していて、何かハプニングがあったときもすぐに『私がここを取るね』とか『次は私がやります』と声を掛け合うんですけど、その中で『ありがとう』という言葉もたくさんあって。素敵なメンバーと仕事ができているので、この時間を少しでも長く、新しいスタッフも育てながら楽しく仕事ができれば良いなと思ってます」

子どもたちの幸せを一番に願い、自分の時間よりも子どもたちとの時間を大切にしている山下さんだが、子どもたちへの深い愛情の源流はどこから来ているのだろうか。

山下さん「中学のバスケ部の監督がよく言っていたのが『やるだけやったと言える人間になれ』という、自分にとってすごく大きい言葉で。子育ては今しかなくって、後からいくらでも自分の時間は作れるんですよね。子どもたちがそばにいてくれる時間は限られてるので、できることは全部してあげたいなって」

山下さんってどんな人?

今後はけん玉検定や化粧品検定へのチャレンジ、学習意欲をもって様々な分野への見識も広げたいことや、4人目の子供をもちたいという意欲も語った山下さん。取材の後半では、社員研修に参加しているスタッフの皆さんに山下さんへの質問や普段の印象などを伺った。

スタッフAさん「山下さんとは看護師の立場として一緒に仕事させてもらってるんですけど、お仕事に対してはもう見ての通りスマートで的確に仕事をされる方で。結構患者数が多くて、私は自分のお客さんの対応をするのに精いっぱいなんですけど、山下さんは常に周りのことを見てくれる方で、自分の患者さん以外にも大丈夫?大丈夫?って周りに声をかけてくれて。とても感謝してます。それでお子さんのことにも、習い事とかすごく一生懸命で、私も同じママとしてとても尊敬しています」

中には、山下さんの美しさの秘訣を知りたいという質問も。

山下さん「ドクターズコスメも使っていますが、私は結構好きなものを食べてビールも飲んで、なるべく我慢もしない(笑)。ストレスをためないようにしてます。それと寝れるときに寝てます。子供たちが習い事に行ってる間に睡眠をとったりとかしてますね。ビールはめっちゃ好きで毎日飲んでます」

そして、これまでのお話にはほとんど出てこなかったご両親について尋ねる場面もあった。

山下さん「うちの両親は結構放任主義というか、こうしなさいああしなさいっていうのはほとんど無くて。私もあんまり相談する方じゃなかったので『名古屋に行くことにしたから』とか『結婚するけん』って感じでいつも勝手に決めてきちゃったんですけど、いつも両親は頑張れって応援してくれてました」

最後に、院長の上田厚登先生にも山下さんの印象についてお話しいただいた。

上田先生「山下さんは仕事も手を抜かないし、子育ても徹底されてるなと。そして、その姿を見て子供さんたちがですね、リフティング1000回というのはすごいなと。お母さんの背中を見て育つんだなと思いました」

子供たちや仲間を大切にし、何か嫌なことがあってもプラスに変わっていくようにと常に笑顔を絶やさない山下さん。彼女の情熱はたくさんの人々をHAPPYにする大きなエネルギーとなっている。

『上田皮ふ科』の研修に関する記事は、以下をご覧ください。