「Bar Lab.(バー ラボ)」のミクソロジスト、そのぎ茶と出逢う。【久米孝幸さん】(長崎市くじらの髭連携店舗編)

取材

写真・編集

東彼杵町のそのぎ茶を使ったカクテル「茶華ロワイヤル」をいただきながらゆっくりとうかがおう

科学と融合した「ミクソロジー(mixology)」カクテルが、国内外のバー業界で広がりを見せている。

長崎市鍛冶屋町にある「Bar Lab.(バー ラボ)」の久米孝幸さんは「ミクソロジスト(mixologist)、つまりそのカクテルを作るバーテンダーだ。かつてはスポーツ少年だった久米さんが辿り着いたバーの世界。

さまざまな要素が混ざり合った魅力的な人生を、そのぎ茶を使ったカクテル「茶華ロワイヤル」をいただきながらゆっくりとうかがおう。

素材そのものの魅力を極限まで引き出す科学のチカラ

久米さんのこれまでのあゆみについてうかがう前に、このお店のことと、久米さんと「そのぎ茶」との出会いについてお話ししよう。

Bar Lab.(バー ラボ)。「研究室」の名を冠したこちらのバーでは、液体窒素や減圧蒸留機など科学実験に登場するような道具を使った「ミクソロジーカクテル」を味わうことができる。

そもそも「ミクソロジー(mixology)」とは、混ぜる意味のmixと、研究や学問を意味する〜ologyを組み合わせた造語。和洋中全てのジャンルをあわせたフュージョン料理の流行を取り入れ、国内外で広がりを見せているジャンルだ。主にフレッシュな野菜や果物、スパイスなどを使って作られることが多い。

静かに飲むイメージのバーだけど、思わず「おぉ~!」と声が出てしまいそうな液体窒素のスモーク!本当に科学の実験のようでワクワクしてしまう。

液体窒素の温度はなんとマイナス196℃。急速冷却することで、素材の鮮度を保ち、旨みやその良さを最大に引き出すことができるという。

こちらは、九州ではめったにお目にかかれない「減圧蒸留機(ロータリーエボパレーター)」

通常、液体を蒸留させる際には温度を上げるが、この機械では気圧を下げて蒸留する。例えば40度のお酒なら、気圧を限りなくゼロに近づけることで常温でも沸騰させることができる。気圧を下げることによって、温度を上げなくても液体の沸点が下げられるのだ。これにより、茶葉は熱の影響を受けることなくフレッシュな状態で成分を抽出されるという。

「茶華ロワイヤル」は、そんな減圧蒸留機を使ったミクソロジーカクテル。金柑とジンを減圧蒸留して作ったオリジナルジンとそのぎ茶抹茶をシャンパンで割ったカクテルだ。

そのぎ茶の、繊細で深みのある味わいが再現されたこだわりの一杯だ。

日本らしさをカクテルで表現=緑茶だ!

そもそも、久米さんがお茶を使ったカクテルを作ろうと思ったきっかけは、“日本らしさ”を海外の人々に広めたいと考えたことからだった。

日本酒ならまだしも、焼酎となるとまだまだ海外の認知度は低いと感じた。それ以外で飲み物として、お酒に転換できるものと考えたとき、緑茶が一番かもしれないとたどり着いたそうだ。産地によってさまざまな特徴や味わいがあるところも決め手だったという。

緑茶を使ったカクテルを作る先人たちにならい、はじめは玉露でトライしていた久米さん。しかしある日、Bar Lab.の客として訪れた東彼杵・さいとう宿場の女将、晶子さんの一言で「そのぎ茶」への関心が高まった。

久米「『そのぎ茶、ゼンゼン負けてないよ!』と言われて。おぉ〜って、衝撃を受けたんです。」

その後、長崎市で開かれたマルシェで「そのぎ茶」を味わい、「これだ!」と確信した久米さんは、東彼杵のさいとう宿場を尋ね、縁あって大山製茶園を訪れることに。そこでたまたま出会ったくじらの髭さんおすすめの3品を購入したことが、新たに決意を固めるきっかけとなった。

久米「自分で淹れて飲んでみたら、想像以上に香りも高いし、お酒で表現したいお茶の甘みがすごく含まれていました。独特の苦みも程よくあって。良いじゃん!と。」

「さえみどり」「つゆひかり」など、銘柄によってもまったく特徴の違う「そのぎ茶」の繊細な味わいや旨みを引き出すため、初めは漬け込み(バー用語でインフューズという)から挑戦し、久米さんは“実験”を重ねた。しかし、この方法では茶葉の特徴をイメージ通りに引き出せず頭を抱えることに。

そんななか出会ったのが「減圧蒸留機」。そして、「茶華ロワイヤル」をはじめとする「そのぎ茶」のカクテルが誕生することとなる。

理系に見えて体育会系

「お店を任された最初は、白衣を着てカウンターに立とうと思ったこともありましたけど」と冗談っぽく笑う久米さんだが、実はバリバリの体育会系。中学時代は陸上部に所属し、中距離をメインにひたすら練習に打ち込んできた。

久米「逃げ足も速い、協調性もないということで、個人競技が向いてるのかなと。当時、県内でも陸上が圧倒的に強かった高校に入学したんですが、周りがすごすぎて。長崎、九州、全国でトップを取ってる人間が集まってきてたから。中学校までは僕が一番早かったものだから劣等感しか生まれなかった。」

周囲との実力差を埋めようと、朝早くからの練習にも励んだが、努力だけでは超えられない壁があることを痛感したという。

久米「練習では埋まらない、フィジカルな勝負でした。でもそれがおもしろいところでしたね。」

挫折の中でも面白さを見出す、久米さんの好奇心は少年時代から冴えわたっていたようだ。

そんな久米少年だが、陸上をする以前から熱中しているものがあった。「魚釣り」だ。この持ち前の好奇心の強さと釣り好きという側面が、彼をバーの世界へと手繰り寄せていく。

水族館を作りたいと思っちゃった

陸上競技では、周囲には到底敵わない。自分の可能性を賭けた道を一旦諦めることとなった久米さん。

代わりに心の奥からふつふつと湧いてきたのは、かつて中学時代に漠然と抱いていた「水産関係の職に就きたい」という思い。もちろん釣り好きに由来するものだ。「プロの魚釣りを目指すなんてのも、最高じゃないか。」光明が見えた。

しかし、両親の賛同を得られず思うようにいかないまま、卒業旅行がてら一人ぶらりと沖縄へ。訪れた「美ら海水族館」の大水槽で悠々と泳ぐマンタやジンベイザメを見ているうちに、久米さんの夢が炸裂した。

久米「水族館で働きたい、ではなく、ナゼか水族館を作りたいと思っちゃったんです。美ら海水族館ぐらい大きい水族館を長崎に作りたいと。」

なんと久米少年、その意思を燃やしたまま、まずは設計の勉強をするべく、福岡の工業系の専門学校へ進路を設定。思い立ったら即行動、陸上で鍛えた瞬発力の賜物かもしれない。

そして久米さんは、「美ら海水族館」よりもとんでもなく刺激的な、「シーラカンス」の扉を開いてしまった。

扉を開けると、そこにはBARが。

専門学校に入学して5日ほど経った頃。先輩に歓迎会として、初めてバーに連れられた。

店の名前は「CERACANTH(シーラカンス)」。学校のすぐそばにあったのにまったく気が付かなかった。鉄の扉を開けると、深海をイメージした内装が広がっていた。電流にも似た衝撃が、久米さんのなかを走った。

久米「ものすごくカッコいいバーだなって思ったんです。この年齢で見ちゃっていいのかなって思ったぐらい。水族館を作ろうとしてたのが、頭からポーンって飛んじゃって。」

当時の興奮を思い出し、久米さんは少年のように笑う。

久米「これだ! バーテンダーじゃん! って。ははは。」

これをきっかけに、久米さんは18歳でバーの世界へ飛び込んだ。

両親の反対を押し切って学校を退学し、「シーラカンス」に熱意を伝え働かせてもらえることに。

1年半ほどホールなどで経験を積みバーテンダーデビューを果たし、その後は実力を認められシーラカンスを卒業。約12年間、福岡のさまざまな店舗を渡り歩いた。メインバーテンダーのみならず、フロア全体の人員配置やスタッフへの指示、接客などさまざまな経験をこなした。時には朝から深夜まで働き詰めになることも多く、体調を崩したこともあったという。

実は、話すのが苦手なんです

一段落つき、故郷である長崎へ戻ってきた久米さん。ということは、ついにここで「Bar Lab.」のバーテンダーに?と思うかもしれないが、選んだ道は意外にも昼間の仕事、旅行会社での勤務だった。

久米「実は、話すのが苦手なんです」

と、これまでカウンターで軽快なトークを繰り広げていた久米さんからは予想もしない言葉が飛び出してきた。

福岡で最後に勤務したバーのマスターは、トークや接客でお客さんを魅了する人物だった。トークが苦手だった久米さんは、現在の姿からは想像もつかないが、一日中一言も喋らずにマスターの横に立っていることもあったという。

久米「人生経験が足りなくて、話題がなかったんです。バーにいらっしゃるお客様の多くは、僕と違って昼間の仕事をされてる方が多いから、何かを提供したり寄り添えるようなトークをしたいと思いました。この仕事を一生続けると誓ったのに、このままじゃダメだなって。」

新たな経験を得て次のステップへ

そこで久米さんは、バーテンダーに戻ることを前提に、3年間という期限を設け旅行会社に勤務。企画から営業、添乗員まですべてをこなした。生粋の釣り好きが幸いし、独自で「怪魚ツアー」を組み集客を成功させるなど、自身のスキルを活かして多くの経験を得た。

久米「貴重な人との出会い、経験全てが手に入ったなと実感できたので、思い残すこともなく現在の道に進むことができましたね。」

8年前に「Bar Lab.」をオーナーに任されるようになってからは、周囲に先駆者もおらず情報も少ない中、ミクソロジーカクテルを手探りで研究。お客さんの意見も取り入れながら、トライ&エラーを繰り返し今日までレシピの開発に励んできた。

カクテルと、人生の研究は終わらない

久米さんが人生のあゆみで培った豊富な経験は、この先も融合し、また新たな要素と結びつき、さまざまな化学反応を起こしていくことだろう。

東彼杵と「Bar Lab.」の出会いもまた、カクテルを皮切りにどのように発展していくのかが楽しみだ。「Bar Lab.」の研究は、これからも続く。

みせについての詳細は以下の記事をご覧ください。